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「え、え? え、えっと、つまり、どういうことですか?」

「このときから僕の陰茎は機能不全に陥ったんです」

「え、ああ、え? あっ、そうなんです、ね……」

 中学生活最後のあの日、僕の陰茎は一瞬にして凍り付いてしまった。凍り付いて、あれから十年以上たった今でも、僕の陰茎は微動だにしない。

 あのときに何が起こったのかは今でもよくわからない。わかるわけがなかった。あの後は、僕たちはお互いに服を着直して、太陽光に照らされた雪の上を歩いて帰路についた。終始無言だった。

 あれから僕たちは同じ高校に進学した。だけど僕とセツナはまた、中学時代と同じような、疎遠の幼馴染という距離感に落ち着いてしまった。セツナはあのとき、僕のことを好きだと言ってくれた。幼稚園児の頃からだと言ったから、十年ほどの間ずっと僕に想いを寄せていたことになる。

 高校二年生になると、いよいよ僕はセツナと一言も口を利かなくなった。二年生の秋ごろに、セツナに恋人がいるらしいことを噂で聞いた。

 僕に恋人はできようはずもなかった。

 そのままセツナとは連絡先も交換しないままに高校を卒業して、東京の大学に進学した。大学四年間は必要最低限の人付き合いしかしなかった。もちろんここでも恋人はできていない。僕は完全に自信を失ってしまっていた。たったひとつの身体の器官のたったひとつの機能が不全に陥ってしまっただけで、男という生き物は著しく自信を失ってしまう。

 雪を見ると毎回あの倉庫内での出来事が思い出されてしまう。十五歳のセツナの絶望的な表情が瞼の裏に浮かんできてしまう。そして、今なお自分が抱えているものをはっきりとまざまざと自覚しなければならなくなる。それが苦痛で仕方なかった。だから僕は雪が嫌いだった。

 大学を卒業して、しばらくは首都圏に住んでいたが、首都圏でも冬になれば稀に雪が降る。それがやはりどうしても嫌になって、今年から沖縄に移り住んだ。

 それなのに、今日は雪が降ってしまった。

 この雪女のせいで。

「よく女性のわたしにそんな話をしようと思いましたね」

「あなたが聞いてきたんでしょう」

「それはそうですけど……」

「それに、あなたは最初から気付いていたんじゃないですか。僕がこういう人間だっていうことに」

「え?」

「だから、何の躊躇もなく一人暮らしの男の部屋に上がり込んできたんじゃないんですか」

「いやいや、そんなの気付けるわけないじゃないですか。わたしは、ほら、雪女だから大丈夫なんですよ、色々と」

「……?」

「別に何でもないですよ。お兄さんがどうして雪が苦手になったのかはよおくわかりました。それと同時に、雪女としてお兄さんをハッピーにする目処も立ちましたよ」

「え、どういうことですか、それ」

「言い忘れてましたけど、ラーメンごちそうさまでした。雪が降ったせいで疲れているでしょうし、お兄さんはもう寝てしまっても大丈夫ですよ。わたしは適当にシャワー借りちゃうので」

 言って、雪女は風呂場へと消えていった。部屋に一人になると、自然と欠伸が漏れた。雪が降ったことで疲れているのもあるし、初めて自分のトラウマを他人に吐き出したことで安心感が身体を満たしていたのもあり、強烈な眠気があった。僕はそのままベッドに倒れこみ、すぐに意識を失ってしまった。



 あるとき、不意に目が覚めてしまった。ぼんやりとした視界は真っ暗だったので、まだ夜なのだろうと思って二度寝を決め込もうとしたが、女性の話し声がうっすらと聞こえた。雪女が独り言を呟いているのかと思ったが、ぼんやりとした視界に二つの人影が映りこんでいた。

 雪女と、もう一人、誰かいる。

 妙に見覚えのあるシルエットだった。

 しかし僕は寝起きの睡魔に身を任せ、そのシルエットが誰なのかを確認する前に眠りに落ちてしまった。



 朝日に瞼を焼かれ、僕は目を覚ました。ソファの上では雪女がまだ眠っていた。スーツ姿のままで、死んだように静かに寝息をたてるその姿だけは、少しだけ雪女らしく思えた。

 いつも通り部屋のカーテンを開けて朝日を浴びようとしたら、僕はまたも目を疑うことになった。

 街が、沖縄のこの街が一面、白い雪に覆われていた。

 真っ白の銀世界がそこにあった。

 ここは新潟県じゃない。南の果ての沖縄だ。

 昨日降ったみぞれだけで、ここまで雪が積もるなんてあり得ない。

 四十年ぶりどころか、こんな雪は観測史上初なんじゃないか。

 僕は危うく卒倒しそうになった。後ろに倒れそうになった僕の肩を、雪女が支えてくれた。

「おっと危ない」

「これ……、これ、これは、いったいどういうことですか」

「何がですか?」

「いや、この尋常じゃない雪の量に決まってるでしょう」

「ああ、これは、昨日沖縄に二人目の雪女が来たからですね」

 二人目の雪女?

「その、雪女っていうのは結局何なんですか。あなたは何者なんですか」

「わたしはそんなに得体の知れない存在じゃありませんよ。お兄さんがイメージしている雪女と、だいたいは合致しています」

 僕は雪女に支えられながら体勢を直した。彼女の手は氷のように冷たかった。

「雪女は、雪を操ることができます。いや、雪を操ってしまう、というか。でもたったそれだけなんですよ」

「だから、それの意味がわからないんです」

「意味がわからないのはわたしたちも同じです。そういうものとして受け入れてください」

 雪女は、昨日ラーメンを食べたときと同じようにテーブルのそばに座り、僕に向かい側に座るように促した。

「これからお兄さんのあのトラウマについて答え合わせをしましょう。裏に隠された真実を明らかにしていきましょう。それがきっと、お兄さんのハッピーに繋がっているはずですから」

 雪女はそう前置きすると、こほん、と咳払いをしてから、ゆっくりと語り始めた。

 僕の知らない、セツナについての物語を、滔々と語り始めた。



 いきなりですが、まずひとつ、驚かずに聞いてほしいのですけれど。

 お兄さんの幼馴染、セツナさんは、既にこの世に存在していません。

 いえ、高校卒業後に、お兄さんがあずかり知らぬところで息を引き取ってしまったという意味ではありませんよ。

 セツナさんが七歳だったあの日、お兄さんと雪合戦をしていたあの日に、セツナさんは若くしてこの世を去ってしまったんです。

 そうです。お兄さんがセツナさんを殺したんです。

 お兄さんが投げた雪玉によって、目から血を流して、そのまま。

 普通、小さな子供があんな大けがを負って、失明もせずに無傷で帰ってくるなんてあり得ないんですよ。

 しかし、お兄さんはその日以降もセツナさんと会っています。会って、一緒に遊んだ記憶がありますよね。

 簡単なお話です。あの日以降にお兄さんが見たセツナさんは、それ以前とは別人だったんです。現にお兄さんもまるで別人のようだと感じていましたよね。その通り、本当に別人だったんです。

 でも、聡いお兄さんなら、ひとつおかしなことに気付きますよね。

 セツナさんの母親は、どうして自分の娘を殺したお兄さんを許したのか。

 セツナさんのお家が母子家庭だったことは、お兄さんも知っていますよね。あの母親は働きつつ、女手ひとつでセツナさんを育てていました。母親にとって、たったひとりの家族であり子供のセツナさんは、自分の命よりも大切な存在に違いありません。

 しかし、お兄さんも知っている通り、母親はよくセツナさんを外に連れ出してくれるお兄さんに感謝していました。当時のお兄さんは知らなかったんでしょうが、セツナさん——お兄さんが殺したほうのセツナさんは、身体が弱く、他の同年代の子供よりも体力がなかったそうです。本当に子供を大事に思っているなら、そんな子供を外で遊ばせたくありませんよね。でも、あの母親はセツナさんを外で遊ばせていた。

 つまり、あの母親にとってセツナさんは邪魔な存在だったんです。

 あの母親には夫ではない他の男との子供がいました。その子はセツナさんよりひとつ年下で、セツナさんによく顔が似ていました。双子でもないのに、瓜二つで見分けがつかないほどでした。

 もうわかりますよね。お兄さんがセツナさんを殺した日から、セツナさんはこの子に入れ替わったんです。セツナさんの妹が、セツナさんとして生きていくことになったんです。

 その妹は母親によってずっと存在を隠されてきました。お兄さんが家にセツナさんを呼びに行くたびに、姉のほうが外へ出て行くのをずっと羨ましく思っていました。

 だから姉が死んで、やっとお兄さんと二人で遊ぶことができて、妹はさぞかし楽しかったでしょうね。

 そして、中学校の卒業式の日。あの倉庫内でのセツナさんの言葉も、嘘ではありません。妹は確かに幼稚園児の年齢のときからずっと、お兄さんを恋い慕っていました。昔から、姉を呼びに来るお兄さんの姿に一目惚れしていたんです。あのときも妹は本当に嬉しくて、幸せだったんでしょうね。

 自分の能力のことを忘れてしまうくらいだったのですから。

 妹さんの父親、つまり母親の浮気相手ですが、その男は、あまり詳しくはありませんが、少なくとも普通の人間ではありません。そして、その男の遺伝子を持って生まれた妹もまた、普通の人間ではありませんでした。

 セツナさんは、雪女だったんです。

 つまり、セツナさんは、私の同僚ということになりますね。

 セツナさんが雪女だったから、あの日は吹雪になったんです。倉庫に隠れることになったんです。

 お兄さんの下半身が凍り付くことになったのも、セツナさんが雪女だったからです。

 雪女は性行為をすることができませんから。

 何が言いたいのかというと、決してお兄さんが情けないからあのような結果になったのではないということです。セツナさんに問題があっただけで、お兄さんは何も悪くないんですよ。

 それに、ここから、お兄さんにハッピーなお知らせがあります。

 昨日、セツナさんがこの部屋に来ました。セツナさんはずっとお兄さんのことを探していたそうです。自分の犯した過ちをずっと気に病んでいたそうです。セツナさんが来たことで沖縄は雪に覆われてしまいましたが、まあ、お兄さんがハッピーになれるなら安いものでしょう。

 そうです。セツナさんはお兄さんの下半身を治してくれました。お兄さんの氷を解かしていってくれました。

 十年ぶりの朝立ちの感覚はどうですか?

 まあ、わたしは相手になれませんけど。

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赤く染まった雪を見た。 ニシマ アキト @hinadori11

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