第11話:わすれもの

「と……とりあえずもう今日は暗いし、今度で良いかな……?」


 空本は茜に頭を下げ、懇願した。 


「いや、駄目だけど?」

 腕を組みイスの上に立ち、女王様の様な目をして見下してきた。

 

「……じゃ」

 空本はそんな茜に一言言い残し、教室を後にしようとした。

 すると、袖を掴まれた感触があった。振り向くと、茜が静かに涙を流して袖を掴んでいた。普段明るく振舞っている人ほど、考え込んでしまうと人より深いところまでいってしまうことが多い気がする。空本はそんな人を見捨てることが出来ない性格だ。


「……わ…分かったよ…」

「とりあえずカバン持ってくるから待ってて」


「…ありがとう……」

 薄暗い教室で泣く茜は、一瞬小さく笑いお礼を言った。


 空本は廊下を歩きながら考えていた。

「(…まあでも…この人でも悩むことあるんだな……俺のジュース奪って飲んだりしてたくせに…。でも…俺に……今の彼女を…見捨てる理由はあるのだろうか…だからと言って助ける理由は思いつかない……でもそれは、助けない理由にならない気がする。誰かを助けるのに理由は要らない、という言葉をゲームで聞いたことがある。至極ごもっともだ。しかし、ジュース強奪犯の彼女だぞ…)」

 そう考えた空本のスーパー長考ちょうこうモード脳裏に一瞬、林が現れた。


「じゃあ…ボランティアってことで」


 空本はそう呟き、結論付けると廊下を走りカバンを取りに向かった。


「おーい暗いからって廊下走るなよー」

 先生に怒られた。



 部室に到着して、扉を開けると明かりはついていたが中に林はもういなかった。

「…帰ったか……」

 荷物を持ち、部室から出ようとしたところでリュックを引っ張られた。

「…え?」


 振り返ると林が笑顔で立っていた。

「…待ってたの…?」

 空本がそう聞くと、林は頷いた。

「うん」

 続けて林はニヤニヤしながらこう言った。

「今さ空本くん。帰ったか…って言わなかった?」

「ちょっと寂しかったんじゃないの?」

 空本は焦りながら返す。

「い゛っ」

「いやいや…」

 

 林は小さく息をして、一呼吸おいてこう言った。

「―……あのさ…」

「嫌じゃなければ…一緒に帰ろ…?」


「え…全然……」


 空本はそう返して思考が停止した。

「(―――………全然ってなんだよ俺!!!)」

「(…しっかりしろ俺!!!)」

 パァンッ!

 空本はおもむろに自分の右頬を叩いた。

「!?」

 あまりの急なセルフDVに心配な眼差しを向ける林。

「帰ろっか、林さん」

「うんっ!」

「(……やればできるじゃん俺…)」



 学校を出て少しして―。


「…やば!!!!」 

 空本は周りにも聞こえそうな大きな声で慌てながら言った。


「どうしたの?」

 少し驚いた林がそう聞くと、空本は口を開いた。


「……わ……忘れ物した…」

 ぷるぷると震えながら言う空本に林は聞き返した。


「え、教科書とか?もう明日で良いんじゃない?」

「…いや……それはまずい……」

「なんで……?」


 空本は数秒置いて言った。

「…松本さん……忘れた………」

「忘れ物なの……!?」


「いや、もはや忘れ物じゃなくて忘れ人だね…ハハッ…」

 空本がやれやれと言わんばかりの手の動きをして笑った言った。


「いや笑いごとじゃなくない!?」

「とりあえず戻らなきゃ!」


「犬じゃないんだしさすがにもう帰ってるよ…」

「だめ」


 林にリュックを掴まれ連行された空本は、自分たちの教室へと向かった。


 電気のついた教室の中で、茜が自分の机で伏せて寝ていた。


「し……しんでる………」

 空本が冗談交じりにそう言うと茜が飛び起きて言った。


「…生きとるわーい!!」

「遅い!!!遅すぎんねん!!!!どんだけでかいカバンやねん!!」

「何だそのなにわ節……」


 そこまで言ったところで空本の後ろから林が顔をひょこりと覗かせた。


「……およ?しうたん?」

「しうたーん!!!」


 茜は走って林に抱き着いた。

「しうたん!空本君にイジメられた!」

「よしよし」

 林は茜の頭を撫でた。

「えへへー」

 まるでその姿はペットをあやす飼い主の様だった。


「……相談に乗るといった俺が間違いだった………」


 空本はがっかりした表情をして帰ろうとした。


「あーーん!嘘!!もー!冗談通じないんだから!!」

「そんなんじゃ海外で通用しないぞ!」

「海外行かん」


 冷静にツッコミを入れた後、空本は林に話しかけた。

「ごめんね林さん、帰るの遅くなって。茜がさ…」

 そこまで空本が言った時、林の顔が曇った。


「(あれ……また何か…林さんの顔が……)」


「ちょっとトイレー!」

 茜が立ち上がり、カバンを持ってトイレへ向かった。


 張り詰めた空気感の教室で林は空本に近付き肩をくっつけて耳元で言った。

「なんで…茜のこと…下の名前で呼んでるの…?」


 例えるならば年上悪女が年下男をからかうときの目つきというのだろうか。

 肉食動物が草食動物を狙うときの目つきというのだろうか。それらを足して2で割ったような目つきをしていた。


「……!」

 空本は顔を赤くし返した。

「…い…いやなんか…しつこくて……」


「……ふーん…」

 林は空本の正面に立つと顔を近付けて言った。

「じゃあ……私も…下の名前で呼んでよ…?」

「…な…なぜ……?」


 後ろで手を組み、顔を近づけて見つめてくる林に空本は意識が遠のきそうになった。


「…う……うた……」

 必死に声帯を雑巾の様に絞り、声を出す。


「…詩……?」

 少し心に余裕のある林は、頬を赤くしながらも空本にちょっかいをかける。

 

「…うた…歌い手に…なりたい……」

「(何言ってんだよ…俺…ならねぇよ…)」

 空本は自分に絶望し、失望した。


「もー、ふざけないで!」

 ほっぺたを膨らまして林は言う。


「…わ、わかった。詩…」



 そこまで言った時だった。

「詩花」

 知らない男の人の声が後ろから聞こえた。

 林は空本の後ろの方に視線をやると一言言った。

「あっ」


 いつもより脈が早い。空本は心拍数が上がるのが、まるで心臓を手で持ってるかのように伝わった。


「…ごめ…先帰るわ……」

「…え…空…」

 空本はそう言い残し教室の前の扉を開けると、林の呼びかけにも応じず振り向かずに出て走り出した。


 脈はまだ早い。このまま死ぬんじゃないかというくらい早く、そして強く脈打つ。

 空本は自分に言い聞かせる。

「走ってるからだろ…」


「廊下走るなよー」

 また怒られた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……今の子は……?」

 林の兄である、はやし 葉詩ようたは、空本の奇行に驚いた様に、詩花に聞いた。


「…え…っと、クラス一緒の子なの…!」

「なんか忘れ物したとかで!」


「あー、そうなんだ」

「あれ、てか詩花こんな時間まで残ってるの珍しくない?」

「…っと…、友達と勉強してて。今その子トイレ行ってる!」

「(嘘は言ってない、トイレ行ってるし…)」

「そっか、俺もやることあって残ってて」

「今からちょっと練習して帰るわ!ついでに母さんに言っといて〜!」

「気を付けて帰れよ〜」


 葉詩はそう言うと、走って下駄箱に向かって行った。

「廊下走るなよ〜」

 少しして遠くから先生の声が聞こえた。



「あと…もう少しだったのに……」

 林は少し笑いながらそう呟いた。



 林はしばらく待っても変えてこない茜に電話を入れた。

「あ、ねね(※1)、大丈夫?全然帰ってこないけど…」(※1 茜のこと)

「何がー?」

「え、何がって教室で待ってるけど…?」

「おー!忘れてた!ごめーん!お母さんから電話あって早く帰ってきなさいって言われちったー!!」

「……あ、そうなんだ…」

「ごめんねしうたん!またね!」


 茜はそう言うと電話が切れてしまった。

「もー…ねねってば……」


 林はそう呟くと、カバンを持ち、教室から出た。

 少し薄暗い廊下は1人で歩くのは気味が悪く、居心地が悪かった。


 不気味に感じた林はパタパタとスリッパを鳴らして、小走りで下駄箱に向かった。


「よう」


 あともう少しで下駄箱というところで暗がりの中から後ろから声をかけられた。

 

「わっ」

 林は少し暗がりが怖かった中、声をかけられ少し驚いた。

 声の方に視線をやると、空本が立っていた。


 暗闇の中で壁にもたれている空本の表情は僅かにしか見えなかった。

 横を見ている空本は口を開く気配がない。


「……空本くん………?」

 林は不思議そうに聞いた。


 少し間をおいて、空本はマフラーで口を隠しながら恥ずかしそうに言った。

「…う……詩花…帰ろ………」


 林はその発言に少し驚いた後、笑顔になりこう言った。

「うん、いいよっ」

「しょう…」


「(え…俺の…名前……)」


「…しょうがないから帰ってあげよう」

 真っ赤な顔で林は言い直した。


「…ぁえ?」

 空本はタイヤから空気が漏れたように声が出た。

「な…名前呼ばなかった?」

「ん゛ん゛んんっ」

 林は咳払いでその場を誤魔化した。


 空本はそれを見て、こう返して歩き始めた。

「…行こっか、林さん」


「え…!ち…ちょ!待ってよ…!てか…名前は〜!?」


「……知らない」


 空本はマフラーで顔の半分くらいを隠し、そう返して歩き続けた。

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