第3話:優しさが故の

 平日―。


 学校での昼休み中、空本は自身の廊下側の席で紙パックのオレンジジュースを飲みながらぼーっと周りを眺めていると後ろから別のクラスの友人でサッカー部の仲沢なかざわに声をかけられた。


「翔すまん、数学の教科書貸してくんね?」

「ああいいよ。はい」

 

 空本は教科書を仲沢に渡すと嬉しそうに受け取った。

「いや~助かるよ!翔。やっぱ翔しか勝たん!ありがとう!」

「…それ使い方合ってる…?終わったらまた返して」

「おう!」


 仲沢はそう言うと一旦自分の教室へ戻ろうと少し歩いた。すると振り返り小走りで戻ってくるとこう切り出した。

「あ、そうそう。そう言えば」


空本はいつもの女子の話だと思い、話半分に聞いていた。すると仲沢は驚きの言葉を放った。

「お前のクラスの林さんって3年に彼氏いるっぽいよなー」

「いーなー、俺もあんな可愛い彼女欲し〜」


空本は驚いて飲んでいたオレンジジュースを落とした。

「…や…やばっ……」

「だ、大丈夫か?」

 動揺する空本に仲沢は心配をする。


「い、いや大丈夫。で、今何て……?」

「え、だから林さんって3年に彼氏いるじゃん。俺もそんな彼女欲しいなーって」


 聞き間違いではなく先程と同じことを言い返してきた。

「…なんで?」

「いや…彼女欲しくね……?」

 仲沢は不思議そうに聞き返した。


「…いや、そこじゃなくてさ……」

 そう反論しようとしたら被せる様にチャイムが鳴った。


 仲沢は教科書を片手に掲げ、笑顔でお礼を言い自分の教室に帰っていった。   

 空本にはモヤモヤだけが残された。

 「(…なんで彼氏がいると思ったのかを聞きたかったのに……)」

 みかん、即ちオレンジの花言葉には『純粋』という言葉がある。ピュア少年な空本は純粋にその言葉を信じ切ってしまい、休み時間は終わりを告げた。

 


 ―― 帰りのホームルームが終わり林は荷物をまとめていた。今日が喫茶ブローディアでの初めての出勤日である林は少し緊張していた。

 初出勤の日は空本もいると事前に糸上に聞いてた為、一緒に喫茶店に向かおうと思っていた。

 空本を探そうと辺りを見渡すが彼の席に姿は既に無かった。下駄箱に急いで向かうと、空本は何かを考えているような仕草をしながら下駄箱から出ていくところだった。


「……なんか、声掛けにくい………いつもとなんか違う…」


 わざと少し距離を置き、林も下駄箱から出た。駅に着くと勿論同じホームだ。

 林は空本が待っている車両とは別の車両が止まる所にあるベンチに座った。


「…空本くんどうしたんだろ……」

 林は思い出すように考えた。

「…あ、そっか。この前…一緒に駅に居るところを見られたら噂になるって言ってたな……」

「…それを気にしてるのかな」


 少し納得した林はこの間購入したばかりの電子書籍をスマホで読み始めた。


 間もなくして電車が到着した。それぞれ別の車両に乗り込みバイト先へ向かった。林はガラガラの車両の端の席に座り外を眺めながら思った。


「(…電車に乗ったら空本くんの隣に座ってもいいのかな?)」

「(そこまでまだ仲良くないかな…)」

「(迷惑…だよね…)」

 

 林は一旦立ち上がろうとしたが腰を席に下ろし、再度小説を読み始めた。

 駅に到着して電車から降りると足早に改札を出る空本を見つけた。

「(こ、ここはもう良くない…?)」


 そこまで早く歩けない林は空本に追いつくのを諦め、自分のスピードで歩き始めた。


 空本が喫茶ブローディアに着くと店の奥のテーブルで接客をしていた糸上がこちらに気づいた。注文を聞き終わりこちらに近づくと、小さい声でこう聞いて来た。


「林ちゃんと一緒に来なかったの?」

「……え、あぁ…忘れてしまいました。すいません」

「そんな…物みたいみたいに言わないの」


 空本はスタッフルームへ入っていった。


 その後すぐ、遅れて林も店に入ってきて糸上に挨拶をした。

「お疲れ様です、今日から宜しくお願いします」

「お疲れー林ちゃん。よろしくね。エプロンの場所教えとくね。こっちこっち」


 林はそれを聞くと、手招きをしている糸上と女性用スタッフルームに入っていった。


 2人きりになったのを確認して糸上はこう切り出した。

「…空本君って今日学校で何かあった?」

「え…なんでですか……?」

「いや、何か雰囲気がね~…」

「(…え……やっぱ私が何かしたのかな…。でも…ここで言うとややこしくなる気が……)」


 林は何かを悟っている糸上の反応に対して、自身が関係あるのではと思った。しかしそれを発言することで事態の悪化が進む事に懸念し嘘で自分を纏った。


「何もなかったように思います」

「……そっか、あたしの気のせいね」

「あ、エプロンこれね。ここにあるから出勤して着替えたらこれを付けて表に出てきてくれる?」

「分かりました」

 会話を終えると糸上は先に出ていった。


 その日の勤務は空本が林に仕事の流れを教えていたが、空本は常にうわの空のように感じ取れた。その度に林は空本の名を呼び、現実世界へ呼び戻していた。


 林がお客さんの帰った後のテーブルの食器類を片付けたいと思い、トレーの場所を空本に聞いた。

「空本君、トレーってどこ?」

 空本は反応を示さず自分でそのテーブルの片付けに行ってしまった。


 林は何度も今日どうしたの?と聞こうとしたがあと一歩が踏み出せず聞けないままだった。



 閉店作業中―。


 空本がゴミを捨てに行ってる際に、他人の恋愛話が大好きな糸上は林に肩をぽんぽんと軽く叩いてこう言った。

「林ちゃんって学校に好きな人とかいないの?」


 林が返答に戸惑っていると、ここぞと言わんばかりのタイミングでゴミ捨てから戻ってきた空本は糸上に、ゴミを捨ててきた旨を伝えた。

 糸上はそれに対してお礼を言うと続けて、空本に発注の仕事を教え始めた。その為、好きな人がいるかという元の質問はそれ以上進むことはなかった。



 勤務終了後―。


 糸上と林が業務内容のおさらいをしている横を足早に「お疲れ様でーす」と言い、空本は店を出ていった。糸上はそれに返事をしたが林は返さなかった。

 不思議に思った糸上は林の方を見ると、空本が出ていった扉を複雑な表情で見つめているのに気付いた。


「(……林ちゃん?)」

その後すぐに糸上は察したように続けた。

「………じゃ、そんな感じで…」

「次のシフトは3日後ね。またその時に今日思い出しながらやってみよっか」


「はい」。次もよろしくお願いします」

 糸上の言葉に林は小さく返した。


「初出勤お疲れ様、気をつけて帰ってね」

「お疲れ様でした」

 林はそう返すと着替えて荷物をまとめ店を出た。


 駅に着き、改札を通った。自宅のある最寄り駅へ向かう電車が止まるホームに目をやるが、そこに空本の姿はなかった。悲しげな表情を浮かべ、普段と比べて対応が薄い彼に対して考えた。


「…なんだろ今日のあの感じ……」

「……なに考えてるのかな。やっぱ私に原因あるのかな…」

 そう心の中で思いながら向かいのホームへ続く階段を上った。



 向かいのホームへ下り、ベンチに座って改札の方を暫く眺めていると酒に酔った様な、二十代くらいの男性が改札を通りふらふらと階段を上っていくのが見えた。


「……なんだろ?」


 そう一瞬思ったが特に気にも止めずスマホを取り出し、電子書籍を読み始めた。どこまで読んだかと、次読み始める文章を探していると、どかっと横に誰かが座った。


 ふと横を見ると先程の酒に酔った男性がいた。

「(…何で他にも座るところいっぱいあるのに横に座ってくるの…?)」

「(絡まれたらいやだしあっち行こ…)」

 ホームにあるもう一つのベンチを見て、立ちあがった。

 

 その瞬間、横にいた男は林の手を軽く触ってこう言った。

「可愛いね~。今帰りなの~?」


 酒で顔を真っ赤にした男は、話すたびに酒の匂いもする。その男は明らかに酔っており、なんなら悪酔いしてる雰囲気を林は察知した。

 しかし恐怖で動けない林は声が出なかった。


 すると男は肩に触れながらこう言った。

「うちこない?1駅なんだけど」


 林は必死に助けを呼ぶために叫ぼうとするが声が出ない。男はそれでもしつこく誘ってくる。


 咄嗟に俯き、どうしたらいいか考えてると、聞き覚えのある声が聞こえた。


「あの…ちょっと…」

 見上げると酔った男の腕を掴む空本がいた。

 下唇を噛み締めながら今にも泣きそうな顔をする林はなぜかその光景にデジャヴを感じた。

 デジャヴの正体はすぐに分かった。

 林は目を丸くしながら呟いた。

「え、あの時の……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る