第2話:事実はコーヒーのように苦いと思いきや
空本はテーブルに置かれたお茶を飲み、少し考えるように腕を組んだ。そして俯いてふと疑問に思ったことを林の顔を見ずに聞いた。
「…そういえば林さんって接客業やったことあるの……?」
林は自分のことを聞いてくれたのが少し嬉しかったのか、笑顔で答えた。
「あるよ、喫茶店」
「今さー、オーナーが入院になっちゃって暫く店閉めちゃうんだ。だからどーんと来いだよ」
空本の脳内では〝なぜ喫茶店を選んだのか〟については納得しつつも〝なぜ隣町の喫茶ブローディアなのか〟という疑問は残った。
しかし直接聞き辛く、空本は視線を横に逸らしながら斜め上の返答した。
「どーんと…こい……あー、Don't 来い?任せるなってことか」
心なしか空本はドヤ顔混じりだった。
「…ふふ。でた空本君のそーいう返し」
「そーいうの嫌いじゃないけど」
林はクスりと笑いながら返答した。そんな林の返しに空本は焦りながら言い返す。
「も…もう面接終わりだし…また学校で」
林は目を細めながら、少し聞きにくそうに糸上の方を見ながら言った。
「…あの人と仲良いんだね」
空本はその発言の意図が分からず思わず驚いてしまった。
「…え?」
「(…さっきのやり取りって仲良くみえるものなのか……?)」
「…まぁここではかなりお世話になってるし尊敬はしてるけど…?」
「…仲は…別に普通じゃないかな……?」
少し考えるようにして視線を逸らしながら言った。
「………」
林は何も言わずただジッと空本を見つめた。
林が口を開き、喋ろうとしたタイミングで糸上が来て空本に面接の状況を聞いた。
「空本君、どんな感じー?」
空本は顔を上げると糸上を見ながら答えた。
「合格を出せと、お上からキツく言われてますので。合格で」
糸上は片方のほっぺたを少し膨らまして返した。
「もー。教えなかった事まだ気にしてるの?」
空本は糸上から目を逸らし小さく答えた。
「いえ、別に」
糸上は小さくため息を吐いて、林に話しかけた。
「ちょっとあっちで…」
糸上はレジの方を指差した。
「は、はい」
林に手招きをし、レジの方へ連れていった。レジ付近に着く頃に糸上が切り出した。
「じゃあ林ちゃんお疲れ様」
「お疲れ様です」
「面接って感じじゃなかったわよね」
それを聞いた林は面接を少し思い返してこう言った。
「そうですね、でも接客業の経験とか聞いて下さったのでちょっとだけ、それっぽかったですけど」
林の言葉を聞いて糸上は考えた。
「(……一応ちゃんとやってるのね…)」
「(…なんだかんだ言って根は真面目なんだから)」
そこまで思って、糸上は続けて言った。
「じゃ、林ちゃんは来週から勤務開始でお願いね」
「分かりました。持ってくるものって何かありますか?」
「そうね…メモ帳と書く物と……あっ、書く物はボールペンでお願いね。あと、黒いシャツってあるかしら?」
「分かりました、黒いシャツってどんなものでもいいんですか?」
「柄が無ければ大丈夫よ。あと…………」
そんな会話が延々と続けられてる中、奥のテーブルで空本はさっき林から言われた「あの人と仲良いんだね」というセリフの意味を深く考えていた。
暫くすると糸上がこちらを覗き込んで話しかけてきていることに気が付いた。
「―――…………空本君、聞いてる?」
「空本君が林ちゃんの教育係なんだから、優しく教えてあげるのよ」
空本はそう言われて林をチラっと見て答えた。
「……まぁほどほどに…」
空本はそう返すとテーブルの上に置かれたお茶の入ったグラスを持ち、洗い場に持って行った。
2人のそのやり取りを眺めていた林は、そそくさと荷物をまとめて挨拶をして帰っていった。糸上はその挨拶に返事をしたが、その時の林の表情に疑問を抱いた。深く考えることはせず、引き続き業務へと戻った。
1時間半後―。
糸上は洗い物をしていた。そして目の前でカウンターに座っていたお客さんが使用した食器の片付けをしている空本に何気なく喋りかけた。
「…空本君さー……林ちゃんになんか言ったの…?」
「……んえ⁉︎何でです…?」
空本は予期せぬ言葉に裏声混じりに不思議そうに返した。
「え、こわ…なに焦ってんのよ……」
少し笑いながらそうツッコミを入れると続けてこう言い返した。
「面接の時さー、こっちからは林ちゃんの顔しか見えなかったのよね。奥に座ってたから」
「笑ってはいたけど、なんかたまに………なんていうんだろ。…うーん…切なそうだったり?してたから」
「どんな会話してたのかなって」
空本は心の中でツッコミを入れた。
「(…探偵かよこの人)」
続けて思ったことを口にした。
「よく見てますね、仕事してください仕事」
すると、入口の鈴が鳴り常連のお客さんが入ってきた。空本はその対応へ向かった。そんな彼の後ろ姿を洗い物をしながら眺めていた。
その日の帰り―。
空本は駅のホームで電車を待っていた。
ホームのベンチに座り、イヤホンをつけて、お気に入りの曲を聴きながら天を仰いでいた。
すると、閉店作業中に言っていた糸上の発言を思い出した。
『笑ってはいたけど、なんかたまに………なんていうんだろ。うーん…切なそうだったり?してたから』
その時の言葉の意味を再度深く考えてるとつい声に出た。
「…そんな表情してたかなぁ……」
すると後ろから声が聞こえた。
「…なに独り言いってるの?」
振り返ると林が怖い物を見る目で立っていた。
空本は慌てながら目を逸らして返す。
「…いや、ちょっと……」
「あれ…帰ったんじゃなかったんだ…?」
林は顔を逸らす空本を、覗き込む様にして即答した。
「…おばあちゃん家でご飯食べてたんだ。空本くんは今帰り?」
林の目を見てすぐに逸らして蚊の鳴くような声で答えた。
「あ、まぁ…」
林は小さくため息を吐き、一言で返した。
「お疲れ様」
空本はそう労ってくれる林に、俯きながらお礼を返した。
「…ありがとう……」
すると横に林が座り、何かを言いたそうに空本の方を見ているのが視界に入ったことに気が付いたが敢えて反応はしなかった。
「………あのさ…」
少しして林が言いにくそうに口を開いた。
「…え?」
空本がそう聞き返すと林は口を開いて語り始めた。
「…前からずっと思ってたんだけど……。空本くんって何で私と喋る時……顔逸らすの…?」
空本は心臓を針でチクリとされたような感じがした。
「…ほ、ほら。学校でもさ」
林は容赦なく続ける。
「空本くんって1ヶ月くらい遅れて入学してきた時、私の隣の席だったじゃん」
「その時ノート見せてあげようとした時とか…」
空本は容易に察することができた。
事実、その時林は空本にノートを見せてあげると言っていた。その質問に空本は一切林と目を合わすことなく断りを入れた。
空本はその件に対して生じている誤解を訂正する為に冷静に言葉を選びながら返した。
「……あ、あれは確かに左は林さんだったけど右が
「…男の方が聞きやすいだろ……」
林はジトーっとした目で空本を見た。
少し俯いてる空本は一瞬だけ林の方に視線をやると、ジト目で見られてることに気付きすぐに逸らした。
「(…何その目!)」
林は続けてこう言った。
「それだけじゃなくて、空本くんが消しゴム落とした時も…」
「……なにそれ…!?そんなの覚えてないよ!細かすぎない…!!?」
空本はもっと大きな事かと思っていた中で、消しゴムを落とした事という全人類が人生で一度は経験してそうな事に突っ込んでくる林に若干の恐怖すら覚えた。
林はそんな空本に構いもせず続けた。
「私が拾って渡そうとしたらさ、空本くんも同じタイミングで拾おうとしてて、顔がすごい近くにあった時」
空本は片手で顔を隠して察し、林は続けた。
「でさ顔も見ず、何も言わず私が手に持ってた消しゴム、奪うように取ってったじゃん」
「(…あ、ありましたね〜〜それ〜〜…)」
何気ない事かもしれないが、林からすると傷ついたのだろうと思った空本は素直に謝った。
「…ごめん……」
「…あれ、ちょっと取り方怖かったよ」
林は笑いながら言った。
「…ご…ごめんなさい……」
少しの沈黙の後、空本は頭を重い切り下げ再度謝った。林は少し笑みを浮かべながら言った。
「いいよ。大丈夫。あとさー、あれも」
「まだあるの?」
更に続けようとする林に空本はツッコミを入れた。
「…これはいいや!」
空本を少し見つめ顔をすぐ逸らした後、自分で断った。
「…一応聞くけど。治せるところは治すし……」
空本は不思議そうに聞き返すが林はもう一度断った。
「ううん、大丈夫」
「そ、そっか…」
林は記憶を手繰り寄せた。
先週のとある日―。
空本は用事があった部室に寄っていた為、バイトに遅れそうになっていた。その為、駅への道を必死に走っていた。
丁度その頃、駅前の本屋にいた林はレジで会計を済まし、店を出たところで目の前の横断歩道の向かいからおばあさんが来ているのを見つけた。
横断歩道のど真ん中でおばあさんが押していたシルバーカーが何かに躓き、シルバーカーに乗せていた買い物袋から中に入ってたものが落ちてしまったのを見かけた。
急いで林が助けに行こうとしたところ、向かいから空本が走って現れ、そのおばあさんの荷物を拾い上げて、手を取り助けている姿を見た。そのおばあさんは空本にお辞儀をして去っていった。
再度走り出そうとする空本に林は後ろから近づき声をかけた。
「空本くん、優しいんだね」
「え…っと…。林さん…?俺…バイトだから」
空本はそう背を向けて言うと慌てて駅に向かって走っていった。
その姿を林は暫く見つめていた。駅の改札に入り、
「…なんでこの辺でバイトしないんだろ?」
そんなことがあった。
「(…空本君って良いことしてるのにそれを恥ずかしがるところがあるよなぁ……。謙虚っていうか…なんだろ………)」
「(…恥ずかしいからなの……?それとも本当に急いでただけ……?)」
「(思い返すとあの慌て方…)」
「(なんか良い意味で色々ヘタだなぁ…。不器用っていうのかな……)」
「(……でも深く考えすぎちゃう私も……生き方とかヘタなのかな………)」
林は心の中で思い、少し笑顔になった。
「……林さん……?」
反応の消えた林に空本は問いかける。
林は
「…でさ……。今日糸上さんと喋ってるの見てたけど……普通に顔見て喋ってたから………」
「…クラスの子とも普通に顔見て話してるし………」
「…私、なんかしたかなって………」
不安そうに話す林に空本は核心を突かれたような感じがした。しかし悟られないように冷静に返す。
「いや、特に意味は…」
「…そっか………」
そんな空本の返事に悲しそうな表情をする林に向けて、空本は数秒おいてから言いにくそうに続けた。
「――……んー……」
「…でも………」
「…わざと…林さんから目を逸らしてる訳じゃなくて………」
「林さんの顔を見て話すのが…なんか、ちょっと恥ずかしくて……」
そう呟いた後に林の顔をチラっと見た瞬間、林の表情が少し赤く、恥ずかしそうになっていることに気付いた。
空本は糸上が言ってた〝林の表情〟についての話は〝自身が彼女の顔を見て話さないから共感できなかった〟ということだと気付いた。
空本は不意に立ち上がった。林はそんな姿を不思議そうな顔で見ていると空本はホームにあった自動販売機に近づき暖かいカフェオレを2つ買い1つを林に渡した。
「…あの…良かったら……お詫び…」
「わぁ、いいの?ありがとうっ!」
空本は嬉しそうにしている林の表情を見て少し照れたが、喫茶ブローディアでのバイトのことについて話を逸らした。そして自分たちの住む町の駅へと走る電車が到着し、2人は乗り込んで帰っていった。
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