【フリー台本】温かいカクテルをどうぞ~逃げた私への祝福~【朗読にもつかえる】

つづり

温かいカクテルをどうぞ

 北のある寒い国だった、雪が年に半分は降り積もり、曇天の日も多いらしい。暗く広がる雲を眺めながら、私はずいぶん遠くまで来たものだと思った。南の国から半月以上かかってここに来たのだ、


 南の国には、もうしばらく帰ることはないだろう。というより、逃げてきたので、帰れたとしたとしてもこっそり……という形になってしまう。

 寒さが支配している国だが、人当たりはよかった。新しいコートに身を包み、周囲を見渡している私を、よく助けてくれた。


「あんた、どっから来たんだい? あら、南の方から? だったら寒さに不慣れだろ・・・そこのバーカフェに行くといい、酒でも茶でもどっちでもだしてくれるからね」


 市場で木の実を向いている中年の女性が、私の顔をみてニッコリと笑った。その気のいい笑顔を見ていると、こわばっていた私の顔も自然にほころぶ。

 ずっと暗い顔をしていたからだろう、女性は嬉しそうに笑って、いい顔も出来るじゃないかと言った。


 なんとなく、この国でも、私はうまくやっていけるかもしれないと思った。

 そしていつか裏切るのかなと、うすら寒い思いを背中に感じるのだった。


 バーカフェ【ノワール】という看板がついている。寒さの防止のためだろう。看板の横に、木目の分厚い扉があった。私はよっと声を出しながらあけると、温かい空気が襲いかかるように流れてきて、ハッとして目が見開いた。

 この空気を外に逃し続けてはいけないと、扉を慌てて締める。そんな私の背中に声が届いた。


「おや、この時間からのお客さんはめずらしい……最近は夜に人があつまりやすいんですよ」


 清潔な制服に身を包んだ青年が私に向かって視線を送ってくる。優しい視線でほっとした。こんなこの国に不慣れですと言わんばかりの雰囲気の私を受け入れてくれようとしていると思った。青年ではあるがずいぶんと落ち着いた雰囲気の人だ。


 私はカウンター席に座った。正直どこに座っても良かったのだが、カウンター席周りはひときわ温かい空気がただよっていた。外はなんだかんだで、心の芯まで凍りそうなほど寒かった。


「ごめんなさいね、こっちのものをあまり知らなくて……寒くて寒くて……何かホッとする飲み物はないかな」


「でしたら、シルフの森牛(もりうし)のミルクを作ったカクテルをつくりましょう、甘くて飲みやすいですよ」


「なら、それで」


 私は店主の提案に乗り、そのカクテルを注文した。魔法なのだろうか・・・店の隅のピアノの鍵盤が滑らかに音を奏でていた。ぽろんぽろんと弾かれる音楽は、南の国でも流行っていた曲だった。

 カクテルを作るためだろう、かたかたと容器を開けたり、材料が注がれる音も聞こえる。その穏やかな音が落ち着いて、ああ、ここまで来たのだと、改めて思わせた。


「あなたは、ここらの出身でないですよね……南あたりから来たんですか? 観光?」


「いえ……移住です、しばらくこの街で世話になろうかと」


「おお、そうなんですか……寒いんですが、人はとてもいいところです、気に入ってくれるといいんですが」


「そうね、さっきも市場の人に、ここがいいと教えてもらって来たんです」


 青年はくすりと笑った。


「そうですか……そう紹介してもらえるのは、嬉しいですね」


 ……青年もいい人そうだった。

私はそういう人を見ると、とても胸が苦しくなる。私の周りはいつもいい人が多かった。そして私はその人達から、いつも逃げるように去っていたから……余計に苦しかった。

 いい人たちといる優しい世界がとても狭く感じる、そして息苦しくなって、そっと離れてしまうのだ。こんなことを何度も繰り返している。


 自然と眉尻がさがり、目が細くなった。苦しくなると、何故か困ったように笑ってしまう。

 青年はうっすら黄みがかった白色のカクテルを出した。そして少し寂しそうに笑った。


「この国に来てくれてありがとう……寒かったんですよね、少しでも温まってください」


「はい……」


 私は小さく頷いた。青年は私がこんなにもどんよりと黒く暗い気分になっていると思っていないだろう、心のあたたまるものを感じると警戒してしまうのだ。私はいずれ、世界が狭いと去ってしまう、腰の落ち着けない人間なのだから。


 甘く柔らかな香りのするカクテルだった。シルフというのは知識にはある。森の住人と呼ばれていて、人とはあまりかかわりは無いらしい。

 逆に言うとそれ以外の知識もないので、森牛(もりうし)ってなんだとすら思った。コクリと一口飲み込む。


「あっ」


 甘くて、すんなりと喉の奥へ通る。けれどアルコールはしっかりとあって、後味にぴりりと香辛料のような刺激を感じた。


「ふふ、少し意外な味でしたか」


「はい……ぴりりって何か刺激的というか」


「この国は寒いんでね、香辛料の扱いが多いんです。各国から、輸入をたくさんしているんです」


この国のシルフが育てている牛は、良質な草を食べていて、そのミルクは絶品だという、そこに各国を経由して加わった香辛料を加わることで、相互で良さを引き合い出す……。


「文化のマリアージュって言うんでしょうかね……あなたは元々南の人だ……新しい人と私達と、よきマリアージュができればいいですね」


 その嬉しそうな響きのある声に、私はいよいよと落ち着かなくなった。


「私は、どこまで、この国にいられるんでしょ……」


 思いもよらないほど弱々しい声で私は言葉を吐いていた。


「おや、期限付きなんですか? 滞在は」


「いえ……そうじゃないんですが、ただ、私はどうも長く一つのところにいられなくて……いつも逃げてしまうんです」


「逃げる……」


「みんないい人だったのに、なにか起きてしまうたびに、逃げてしまう……世界が狭いとも思ってしまって、耐えられなくなってしまう……」


「なるほど」


 青年はふむと頷き、ふうと息を吐いた。

そしてお店をぐるりと見渡して、私を見た。


「あなたは旅人なんですね」


「旅人?」


「私は、こうしてこの街に生まれ育ち、何年もこの店で酒や飲み物作っていますが、時々、そういう人を見かけることもあります」


 青年は静かに語り続ける。


「一つの場所で、安定して……という僕のような生き方も悪くありません……そして、同時にその逆の、あなたの生き方も悪くありません……人によっては安定に欠くというかもしれませんが、その生き方自体を誰にも否定は、出来ないんです」


 私は震えながら、呟いた。


「私は旅人なんですか……」


「そんな感じします……だからご自身を嘆いたり、責めなくてもいいんです……旅人は旅歩くのが当たり前なんですから」


「でも、私は実際いろんなものを捨ててっ」


「何も残ってないことも、無いと思うんです。あなたの中で、思い出がたくさん色づいているんでないんでしょうか」


「それは……」


 そうだった、たとえどんな終わり方でも、私の中で輝く思い出はあった。いずれ来るお別れをを感じながらも生きてきた日々は、たしかに生き生きとしていた。まるで晴れ渡る空のような、鮮やかな記憶だった。


「……あなたって、言葉が上手ね」


 私は青年に顔が見られたくなくて、そっぽを向いた。

 頬に一筋の涙が流れていた。それは熱く、まるで私の心の熱が、そのまま涙になったかのようだった。


「……少しでもここの日々が楽しくなれるよう、過ごしていきたいな」


 私はそのまま、窓を見た。この国では当たり前の、しかし私には新鮮と感じる、真っ白な雪が降っていた。



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【フリー台本】温かいカクテルをどうぞ~逃げた私への祝福~【朗読にもつかえる】 つづり @hujiiroame

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