第3話 八月、朧月

 平日は遅くまで残業するか会社の同僚や取引先の人間と飲みに出て日付が変わるころに帰宅し、土日は接待と称してゴルフに出かける。

 寺岡の日常は絵に描いたような仕事人間のそれだった。


 家庭を顧みず、子供の学校行事や部活動の応援や送り迎えにも参加しない。

 そんな寺岡に待ち受けていたのは、妻からの突然の離婚の申し出だった。


 あれは二年前。ちょうど下の子供の大学進学が決まった年だった。

 二人いた子供たちもそれぞれ大学進学を機に実家を離れ、妻の中で一区切りついたということなのだろう。


 家族四人で住んでいた家に一人残された寺岡は、生き甲斐であった仕事すらも失ってこうして無気力に日々を過ごしていた。

 離婚してからは子供たちとも元妻とも会っていない。父親は十二年前、母親は五年前にこの世を去った。離れて暮らす妹はいるが、もう何年も連絡を取っていない。

 仕事がすべての生活を送っていたおかげで、寺岡には趣味も友人と呼べる相手もなかった。


 孤独なままに死んでいくのだろうか。

 そんな不安が頭をよぎる。

 遠いテレビ画面の向こうの世界にあると思っていた「孤独死」という言葉が今ではぴったりと寄り添ってきているようにすら思えた。


 頭を大きく振って纏わりつく嫌な想像を振り払う。その時、西の空に光の花が開いた。

 遅れてドーンと破裂音が響く。

 続いて二つ、三つと夜空を光が彩る。


「……そうか。そんな時期か」


 毎年お盆の近くになると河川敷で行われる花火大会。丘の上にある寺岡の家からはそれがよく見えた。

 花火の音が聞こえると家族そろって庭へ出て見物したものだ。

 隣家の家族が花火の音に誘われて庭へ出てこようとする声が聞こえた。後ろめたいことは何もないが、寺岡は逃げるようにそそくさと玄関へ身を隠した。




 室内へ戻り、冷蔵庫に仕舞ってあったポテトサラダのタッパーを取り出す。

 坂の下へ買い物に行った際、出来合いの豚カツを買っていた。ポテトサラダならそれの付け合わせにちょうどいい。


 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、居酒屋を思い出しながらポテトサラダをつつく。

 持病の治療のために入院すると聞いていたが、今頃あの居酒屋のママはどうしているだろう。店は再開したのだろうか。


 思い出に浸りながら箸を動かしていると、瞬く間にポテトサラダは胃の中へ消えてしまった。

 時間が経って油っこくなった豚カツもビールで流し込む。

 一口残った缶ビールを片手にベランダへ出ると、ちょうど花火大会の終了を知らせる音だけの花火が爆ぜるところだった。


「……今度、タッパーを返すついでに草刈りでもしてやるか」


 呟きながら見上げた月は、花火の煙で霞んでいた。

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