第9話 迷宮とごみ拾い その3

「美味い美味い!実に美味い!」


 いつもの食卓にアルが加わって、食事がいつもよりとても賑やかだった。子どもたちも楽しそうにしているのだが、一番はしゃいでいるのはアルだった。何を食べても美味い美味いと言って笑顔でいる。


「お口に合いますか?」


 アンナは恐る恐る聞いたが、アルは胸をどんと叩いて言った。


「何を言うかアンナ殿!今まで食べてきた料理の中で一番美味い!」

「それは流石に大げさだろ」


 俺がそう言うと、アルは指と首を振って言った。


「ノンノンノン!私は本当の事を言っているよ、このスープに入った野菜は、先程畑で子どもたちと一緒に収穫した物だ!実に美味しい!」


 アルは本当に美味しそうに食べる。その姿を見て、アンナは少し恥ずかしそうにしていた。


 料理に使われているのは、自分達で耕した畑の野菜と、お店の残り物などを安く大量に買ったクズも同然の物ばかりだ。大人数の腹を満たすには知恵と工夫がいる。


 調味料だってそんなに多くは使えないし、味だって恐らくアルが普段口にするような料理とは違ってとても薄いだろう。それでもアルは今まで食べてきた物の中で一番美味しいと豪語する。


 アルの食べっぷりに触発されたのか、普段苦手な野菜を避けてしまう子も勇気を出して口に運んでいた。そしてアルと同じ様に美味いと声を上げて、それを見たアルが満足そうに頷いていた。


 神父様はそんな様子をにこにこと笑顔を浮かべて眺めていた。不思議な事に、その日の食事は俺もいつもより美味しく感じた。食べている物はいつも通りの物なのに、何故だかそう思った。


 食事と片付けを終えた俺とアルは、子どもたちにせがまれて遊びに付き合っていた。駆け回る子どもたちを追いかけて跳び回っていると、乾いた洗濯物を持ってきたアンナが声をかけてきた。


「ごめんなさいアレックス様、やっぱり完全には汚れが落ちなくって」


 アルの服は所々黒ずんでしまっていた。しかしアルは落ち込む様子もなく、むしろ嬉しそうにお礼を言った。


「ありがとうございますアンナ殿、こんなに綺麗にして貰えてとても嬉しいです。お手数おかけしました」


 深々とお辞儀をするアルに、アンナは慌てて言った。


「そんな、やめてください。結局汚れも落ちなかったし」

「いいのですそんな事。私はこの服が嫌いでしたが、今はとても気に入っています。これからはもっと大切に衣服を着ようと思います」

「汚れてしまったのにですか?」

「汚れてしまったからいいんです。本当にありがとうございました」


 アルは受け取った服に着替えた。見ただけで高そうな服に黒い汚れが目立ってしまっている、しかしアルは丁寧に大切そうにそれを着た。


「神父様からお借りしたお着替えの件も含めて、後日改めてお礼に伺わせてもらいます。美味しくて温かな食事までいただき、とても感謝しています」

「そ、そんな、ねえグラン?」

「ん?お、おお。そんなに畏まらなくていいって、俺たちもアルに散々手伝って貰っちゃったし」


 助けろと目で訴えかけてきたアンナに代わって俺が言った。


「その手伝いもとても楽しかった。子どもたちとも仲良くなれたし、皆がいいと言ってくれるならまた来たいのだが」

「それこそ遠慮するなよ、神父様も言ってたぜ、教会の扉は誰にでも開かれてるってな。皆もきっとアルにまた会いたいって言うさ」


 俺は遊んでいる子どもたちに声をかけて集まってもらった。


「そろそろアル帰るって、皆でお見送りだ」


 子どもたちは口を揃えて「えー」と声を上げた。


「アル兄ちゃんもう帰っちゃうの?」

「まだ遊ぼうよ!」

「さっき言ってた必殺技見せてやるぜ!」

「お花の冠作るって約束したのに」


 子どもたちはアルの周りを取り囲んで、矢継ぎ早に色々と言っていた。アルは困った顔をしながらも、何処か嬉しそうな表情だ。


「皆、アレックス様を困らせては駄目よ」

「そうだぞ、それになこういう時はなんて言うんだ?」


 俺がそう言うと、子どもたちは元気に声を揃えた。


「アルお兄ちゃんまた遊ぼうね!」

「な?俺の言った通りだっただろアル?」


 アルは一瞬驚いた顔をした後、笑顔になって皆に言った。


「皆楽しい時間と美味しいご飯をありがとう、また来るからね」


 俺たちは皆でアルの事を見送った。アルが何度も何度も振り返るので、子どもたちは何度も何度も手を振っていた。




 実に素晴らしい時間を過ごさせて貰った。私はとても充足感に満ちた気分で道を歩いていた。馬鹿な有象無象共は私の姿を見てヒソヒソと小話に勤しんでいる、実に愚かしい生きるに値しない汚物共だ。


 小綺麗にして、権力で身を飾る。反吐が出る。


 背の高い建物が無駄に立ち並んでいる、ここいる揃いも揃った馬鹿共は、いくら金があっても自由がない、生きている価値がない、貴族なんて名ばかりだ根底にあるのは自らの既得権益に醜くしがみついた死臭漂わす生ける屍共だ。


 私が家に帰ると使用人達が小さく悲鳴を上げた。恐る恐る執事長が声をかけてくる。


「アレックス様、そのお姿は?」

「迷宮で少しな」

「すぐに新しいお召し物をお持ちいたします」

「必要ない、引っ込んでいろ」


 私がぴしゃりと叱りつけると、すぐに頭を下げて引き下がった。この辺りの弁え方が上手だからこの男は今まで生き残っていたのだろうなと思う。


「アレックス、そんなに汚してどうしたんだ?」

「兄上、いらっしゃったのですか」


 珍しく兄の一人が本家に帰ってきていた。いつも忙しなく父上や他の兄上達に引っ付いて顔を売り歩いていると言うのに、どんな理由があるのか知らないが嫌な顔を見て気分が悪くなる。


「お前まさかそんな格好で表を歩いたんじゃないだろうな?少しはウィンダム家としての自覚を持ったらどうなんだ?」

「これは申し訳ありません。しかし迷宮に出向いていた後でしたので着替えなど持ち合わせてはいませんので」

「そんな物、店に行って買ってくればよかったんだ。機転というものが足りないようだな」


 私は貼り付けた笑顔を兄上に向けて、そのまま横を通りすぎた。これ以上語る言葉は持ち合わせていない。


「待てよ!無視するんじゃあない!」


 兄上が私の肩に手をかけるので、それを叩いて振り払った。


「触らないでいただけますか?」


 私は笑顔で兄上にそう言った。兄上は舌打ちをして叩かれた手を痛そうに振っていた。


「ちっ、少しばかり父上とゲイル兄様に気に入られているからって調子に乗りやがって。お前なんて何処の馬の骨の血かも分からない癖に」

「そうですね、仰る通りです。しかし兄上、私は父上に直々に命じられて迷宮へと赴いております。更に言ってしまえば、父上にその命令を下しているのは国王様です。あまり私の気分を害さない方が兄上の活動にも支障がないかと思われますが?」


 この言葉を聞いて兄上はそれ以上口を開けなくなってしまった。もう一度舌打ちをして下品な足音を立てながらずかずかと歩いて行ってしまわれた。嫌味を言い切る脳も足りない癖にプライドだけ高くて始末に負えない。


 あれはあれで他貴族との顔繋ぎ役としては使い道があるそうだ。まあ私にはまったく関係する所のない問題だ、他の兄上達がどう優秀かどうかなんてどうだっていいことだ。


 自室に戻って上着を脱ぐ、アンナ殿が洗ってくれた服だ、眺めているだけでも嬉しくなる。シャツもズボンも黒い汚れが所々残っているけれど、私にとっては何よりも宝物に思えた。


 袖を通したい気持ちも多分にあるのだが、これは大切に保管しておこうと思った。着ていけばすり減ってしまうが、とっておけば何時でも見返すことができる。


 私は丁寧に保護を施すと、自室の壁にその服を飾った。良い、実に良い。殺風景で面白みのない部屋だったが、一瞬でとても華やいだ気がした。


 クローゼットから適当な服を引っ掴みベッドへと投げ捨てる。あまり気は進まないが、これから報告書をまとめて父上に会いにいかなければならない。身なりを整えない選択肢はない、私でもそれくらいは弁えている。


 約束まではまだまだ時間がある、私は机に向かってペンを手に取ると、ひたすらに集めている情報について書き連ねた。


 父上、いや国王がご所望であらせられるのは迷宮についての情報だ。私としてはあの下卑た国王に崇高な迷宮の情報を明け渡すのは気が引けるが、私は自分の目的の為に大分勝手を言って融通して貰っている。そのしわ寄せを一手に引き受けているのはゲイル兄さんだ。


 ゲイル兄さんには本当に申し訳ないと思っている、しかし兄さんは私のしたいことをしたい様にしろと言ってくれている。他の兄に興味はないが、ゲイル兄さんだけは違う。あんなに英明なお人を私は他に知らない。


 資料を書き上げて時計の針を確認する。そろそろいい時間だ、私は手早く準備を済ませると部屋を出て執事長を呼びつけた。


「父上の元へ向かう、準備はできているな?」

「勿論でございます。こちらへどうぞ」


 用意された馬車に乗り込んで私は出立した。見送りに出てくる使用人達がズラリと並んでいたがまるで興味はない。


 馬車に揺られながら我が友グランの住まう教会と孤児院の方角を見つめる。ただそれだけでも、憂鬱な気分が吹き飛ぶようだから不思議だ。今度行くときにはあの子たちの為に沢山のお土産を持っていってあげよう、そう思うとこれから相手取る愚物共の事を少しだけ頭の中から消し去る事が出来た。

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