第8話 迷宮とごみ拾い その2

 迷宮から出てきた俺とアルの姿を見て、入り口に立っていた兵はぎょっと驚いていた。


 なにせ頭から爪先まで魔物が吐き出した墨で真っ黒になっていた。荷物は死守したが、服も靴も墨塗れだ。


 魔物寄せの薬で寄ってきた魔物はスミネズミと呼ばれるらしい、帰る道中で聞いたアルの説明によると、群れで行動していて一匹だけだと弱すぎる程弱い。しかし体長が小さく素早くて攻撃が当てにくい、数が集まればそれだけ脅威になる。


 更に厄介なのは、体の中に墨袋を持っており攻撃して潰すとそれが破裂して周りに飛び散る。死んだ仲間の墨に紛れて他のスミネズミは逃げるらしい。墨に害はなく、スミネズミを気絶させて墨袋だけを取り出せば中々の価値になるらしい、墨を集める依頼も張り出されているという。


 しかしそれは上手に倒した場合の話だ。アルはただ、この迷宮で確認した事のなかったスミネズミの姿を確認したかっただけ、大勢のスミネズミを見て本当に生息していた事が確認できると、地面をドンと思い切り殴りつけて衝撃波でまとめて消し飛ばした。


 それだけでも冗談みらいな話だが、一気に潰された墨袋は、それはもう冗談みたいな勢いで破裂して墨を吹き出した。迷宮の一室が真っ黒に染まり、俺もアルも墨塗れになった。俺は初めて無言で人を殴りつけた。


「あの…大丈夫ですか?」

「…井戸って何処ですか?」


 教えてもらった井戸の場所まで行って、俺は水を頭から被った。ついでにアルにも水をぶっかけた。


「どうした?迷宮出てから随分大人しいじゃあないか」

「私は今猛烈に反省しているよ…」


 そう言ってアルが懐から取り出したのは、迷宮の中で書き留めたメモやスケッチが真っ黒になった物だった。目に見えてしょんぼりとしながらそれを取り出すものだから、俺は思わず笑ってしまった。


「お前、そりゃそうだろうよ!ははは!全滅だ!はっはっは!」

「あまりに浅慮だったよ、君の事も真っ黒にしてしまったし…」


 俺は自分についていた墨をもう一度洗い流して言った。


「何かもういいよ、面白かったしこれでチャラにしてやる。それよりやっぱメモはもう全部駄目か?」

「そう言って貰えると助かる。資料はもう駄目だな、自分のせいだし仕方がないが、ああもう資料があ」


 うずくまって落ち込むアルの姿を見て、俺はため息をついて言った。


「ほら立てよ、その姿のままじゃ帰れないだろ?うちに来て洗濯して乾かしていけよ」


 アルの手を掴んで引き上げると、俺はそのまま手を引いて歩き始めた。なんだかそれは孤児院の小さな子供を相手しているみたいで、アルの方が年上だと言うのに、落ち込んで小さくなっているのを見て、俺はまた少し笑ってしまった。




 洗って落としたとは言えまだまだ汚れの残っている俺たちをみて、アンナが小さく悲鳴を上げた。


「ちょっとどうしたの!?」

「まあちょっとな、アンナ、悪いけれどアルも着れるような服ってあるか?あと洗濯もしたいんだけど、場所借りていいか?」


 アンナはため息をついた。


「着替えは神父様から借りてくるわ、あなたたちは服を脱いで籠に入れておきなさい」

「え?いや俺たちで…」

「あなたたちで綺麗に出来るの?私がやってあげるから、他の仕事やって」


 それだけ言うとアンナはさっさと行ってしまった。アルだけでなく俺の分の着替えまで持ってきてくれると、墨で汚れた洗濯物を受け取った。


「かたじけないアンナ殿、私に出来ることならなんなりと」

「いいのよアレックス様、仕事の内容はグランから聞いてね。こいつも元々はここで手伝いしてたんだから」


 アンナは洗濯に行った。残された俺とアルは持ってきてもらった服に着替えて孤児院の為にやっている仕事に取り掛かった。


 掃除や建物の補修、薪割り等やることは沢山ある。いつもはアンナと数人の年長者たちが協力して取り組むのだが、今回は俺とアルでやる事にした。


「アルは力が強いし薪割りやってくれ、俺は屋根を直してくる」


 アルに斧を渡すと、不思議そうに首を傾げた。


「グラン、これはどう使うのだ?」

「んあ?ああ、薪割りやった事ないのか。こうやるんだよ」


 貴族様のアルに薪割りの経験なぞある筈もない、俺はやり方を見せて教えた。斧を木に食い込ませ、切り株に向かってこんこんと打ち付ける。パカッと割れた薪と斧を手渡して、こんな感じにと言った。


「出来そうか?」

「任せろ!この親友に!」


 張り切るアルを見て、俺は一本だけ様子を見るかと待った。


 瞬間、俺の頬を薪をかすめて血が出てきた。アルの振り下ろした斧は、薪を割るための切り株すらも真っ二つにして、割った薪は勢いあまって飛んで来たのだ。頭を掻きながら照れ笑いを浮かべるアルの頭に、俺はげんこつを落とした。


 散々注意と手順を教え込み、やっと安心して見てられるようになったので、ようやく俺はアルに薪割りを任せて屋根の修理に取り掛かる事ができた。


 コツを掴んでからは楽しそうに薪割りをしていて、その様子を見て面白がる子供たちに囲まれてアルは大はしゃぎをしている。最初の内は余計な事をしないかとハラハラとしていたが、存外アルは子供たちとあっという間に溶け込んでいた。


 楽しそうに笑うアルと子供たちの様子を見ながら、俺も屋根の上で作業していた。昔から手先が器用だった俺は、専ら修繕を請け負っていた。思えばこういった技術の積み重ねが今の俺を作ったのかもしれない。


 器用さはごみ拾いでも大いに助かっている、魔物の皮や爪など素材を剥ぎ取る事は結構技術が必要だ。その専門的な技術を持ち合わせていないパーティは、魔物の素材はまったく無視をして宝箱だけを目的にする事も多い、そんな取残しをありがたく拾っていけるのも、細々とした事を根気よく続けていたお陰だろう。


 アルは迷宮で魔物と遭遇した時、大体殴るか蹴るかで済ませてくれるので、素材が傷つくことなく残る。ごみ拾いでの収入に加えて、最近では魔物の素材を売り払う方も順調だ。買取屋も、ミミックの一件から魔物の素材に目をつけるようになった。


「ああしているのを見ると、迷宮にいる時とは大違いだな」


 子供たちと一緒に大声で歌いながら、アルは割った薪を運んでいた。


 迷宮の中にいる時も楽しそうではあるのだが、どちらかというと張り詰めた緊張感のある空気だ。ああしてリラックスして楽しんでいる姿を見るのは初めてかもしれない。


 相変わらず迷宮ソムリエが何なのかよく分からないが、アルにしてみれば真剣に迷宮の事を考えているのかも知れない。それに加えて買取屋から得た情報によれば、アルには迷宮に固執する何らかの理由がまだ隠されている可能性が残されていた。


 その理由まで探るつもりはないのだが、迷宮にいる時とああして子どもたちと楽しそうに触れ合っている姿を見比べると、どうしても人物像がちぐはぐとして定まらない。アルの背景には一体何が隠されているんだろう。


「ちょっと!グラン!」


 下の方から呼ぶ声が聞こえてくる、上から覗くとアンナがこっちに向かって手を振っていた。


「どうした?」

「何時まで屋根の上に居る気?いつもだったらもう終わってるでしょ?」


 考え事をしていて手が止まってしまっていた。アンナが指摘してくれなかったらまだ考えに耽っていたかもしれない。


「悪い!ちょっと考え事してた!」

「屋根の上で危ないでしょ!ぼーっとしてちゃ駄目よ!それ終わったら壁の方もお願い、後アレックス様借りていい?」

「アルを?何するの?」

「薪割り終わっちゃったから次の仕事が欲しいんだって、丁度畑仕事が残ってたからそれ手伝ってもらうわ」


 俺の許可なんて必要ないんだけどなと思いつつ、アンナに了承の返事をして俺は手を動かした。古い建物だから、屋根も壁も所々ガタついている。それを何とか皆で直しながら使っているのだ。


 しかしアルとの迷宮巡りで、段々と資金が貯まりつつあった。目標額まで貯金する事ができたら、教会と孤児院の修繕か建て替えを本格的に考えてみてもいいかもしれないと思っていた。




 壁の修繕を終えて孤児院に戻ると、畑仕事を一足先に終わらせていたアンナ達が厨房で料理をしていた。


 アルは机の前で大人しく座って待っているので、俺はその隣に座った。


「何か色々と手伝ってもらって悪かったな」

「何を言うか親友よ、とても楽しくて得難い経験だった。アンナ殿には叱られてしまったが」


 また何か無茶苦茶やったんだろうな、アンナの怒った顔と叱る姿が目に浮かぶ。


「しかし子どもたちが手伝ってくれたお陰で何とか力になる事ができたぞ!皆とても元気でいい子たちだな」

「遠くから見てたけど、あの引っ込み思案なコーディも懐いていて感心したよ」

「コーディ殿は実に聡明な子だ。私より道理を弁えていて物事をよく知っている、沢山本を読んで勉強しているとてもいい子だよ」


 俺はアルに結構感心していた。子どもたちの事をよく見ている、他の子の名前を上げてもそれぞれの特徴を次々と言い当てていて、これは子供から支持されるのも頷けると思った。


 子供は自分の事をよく見て知ってくれる人に懐く、年幼くともその辺の感性は鋭いもので、上辺だけで相手をされていると感じればすぐに離れて行ってしまう。


 だけどアルはそうじゃないようだ。きちんと一人一人を見極めて相対している、それだけ繊細な人間関係を築けるのなら、迷宮での軽はずみな行動は慎めないものだろうかと思ったが、今回の事に免じて飲み込んで腹に仕舞った。


「ご飯できたから並べるの手伝って」


 厨房から顔を覗かせたアンナに言われて俺たちは席を立った。アルに孤児院の粗末なご飯を食べさせていいものだろうかと思ったが、当の本人がとても楽しみな表情をしていたので黙っている事にした。

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