第二話 応援に向けて

「──体育祭?」


 夕食の準備中。

 手を動かしながら、詩織さんは僕にそう聞き返した。


「はい。今週の土曜日、佳奈の体育祭があるんです」

「ええ、知ってるわ」

「知ってるんですか……?」


 予想外のことに、今度は僕が聞き返した。

 知っているから、反応が薄かったのだろうか。


「もちろん、最近佳奈ちゃんがよく話してくれるもの」


 ──そっか。佳奈は見にきて欲しいとかは言わなくても、その日あった出来事は嬉しそうに話すから……


 嬉々と話す佳奈の姿が浮かんで、僕の顔はふっと綻んだ。


 でもやっぱり、それなら親しい人みんなに佳奈の頑張る姿を見てあげて欲しいもの。

 そんな想いが自然と湧いてきて、僕の背を後押しした。


「その体育祭なんですど、実は保護者は誰でも見に行ってもいいらしいんです。……多分、佳奈は言ってないと思うんですけど」


 小さく苦笑いして、少し緊張を伴って次の言葉を繋ぐ。


「それでその、もしよかったらなんですけど……──佳奈の姿を、見に行ってあげてくれませんか?」


 詩織さんは日々忙しそうにしている。

 僕もたまに手伝っているからこそ、よくわかるのだ。

 そんな姿を目にしているからこそ、遠慮がちに声のトーンが落ちた。


 けれど、詩織さんはふっと微笑む。

 なんて事ないように、寧ろ当然かのように。


「もちろん行くわよ? と言うかてっきり参加できるものだと思って、私も誠二郎さんも準備し始めちゃってたわ」


 早とちりしちゃってたのね、と。

 悪戯っぽく呟くのを聞いて、思わず僕は聞き返した。


「……そうなんですか?」

「ええ、体育祭の話を聞いた時から、誠二郎さんとこれは応援に行かなきゃねって話してたのよ」


 僕が話さなかったとしても、二人にとっては佳奈の勇姿を見に行くことは決定事項だった。

 その事実に、僕は胸がいっぱいになる。

 

 それに、と。


「誠二郎さんなんてきっと、すごく楽しみにしているわよ」


 自分のことのように嬉しそうに笑う。


 カメラを準備しないとだとか。ビデオも撮った方がいいのかな。だとか。

 自分の子を応援するかのように、張り切っていたらしい。


 僕はそれを嬉しく思いつつ、けれど大事なことを思い出した。


「でも、予定とか仕事とかは……」


 土曜日にも、誠二郎さんの予定は少なくなかったはずだ。

 いつだって忙しそうにしているのに、疲れをおくびにも出さないのが誠二郎さんなのだ。


 けれどそれにも、詩織さんは崩れることのない笑顔で返した。


「絶対に予定が入らないように徹底してたわよ」


 ニコニコと、普段見ないような笑顔だった。

 まるで誠二郎さんの行動を誇らしく思うように。


「ちょうど今、自室でカメラでも探してるんじゃないかしら? あとで見に行ってあげてね」


 詩織さんだけじゃなく、誠二郎さんまで。


 佳奈も僕も、言ってすらいないのに。

 当然のように家族と同等に扱ってくれている。


 この家族は本当に……

 どうしてここまで温かいのだろう。


 誰一人欠けずに佳奈のことを想ってくれているこの家族に。

 僕はじんわり胸が熱くなるのを感じた。

 僕は込み上げるものを、必死に耐えることで精一杯だった。




 ◇




 夕食の支度が終わり、僕は誠二郎さんの自室へ向かう。

 夕食の時間だと伝えにきたのと、少し話をしたかったのだ。


 コンコンとドアをノックすると、ゆっくりと扉が開いた。


「おや、優くんじゃないか。もうご飯の時間かな?」

「それもあるんですけど、少し話したいこともあって……」


 話したいことというよりかは、頼み事かもしれないけれど。


「そうか。じゃあご飯もあるし、少しだけ座って話そうか」


 部屋に招き入れられると、誠二郎さんはゆったりとテーブルに向かった。朗らかな表情は、僕にはどこか上機嫌に映る。


 対面に座ると、手元に視線を惹かれる。

 テーブルの上には、見るからに上等なカメラが置かれていた。

 僕の視線が釘付けになっていたからか、優しく笑うと口を開く。


「──ああ、これかい? ついさっきまで探していてね。佳奈ちゃんの体育祭で使おうかと思ってるカメラなんだ」


 どこか自慢気に、カメラを持ち上げてみせる。

 普段落ち着きを払っている誠二郎さんの目が、今は少年のよう輝いて見えた。


「佳奈の体育祭、誠二郎さんも見にきてくれるんですね」

「ああ、もちろんだよ」


 楽しみだね、と言う誠二郎さんは穏やかに笑う。


「その事で、話でもあるのかい?」


 思い詰めた僕の表情に、何でもお見通しなのかもしれない。

 僕から話しやすいようにしてくれるのが、誠二郎さんは上手いなといつも思う。


「はい、その……実は、もし良かったらカメラを貸してもらえないかなと、思ったんです」


 詩織さんと話している時、ふと思ったのだ。

 せっかくの機会、どうせなら写り良く撮ってあげたいと。


 突飛な話だ。誠二郎さんは虚をつかれたように固まった。しかし、その表情はすぐに崩れる。


「佳奈ちゃんの写真を撮ってあげたいのかい?」

「はい、せっかくの機会なので……。詩織さんから誠二郎さんがカメラを探してるって聞いて、頼めないかなと思ったんです」

「なるほどね」


 佳奈から頼まれたわけでもない。

 もしかしたらこれは、僕の我儘なのかもしれない。

 だけど、誠二郎さんの力を借りてでも僕は、今までと違った経験を佳奈にしてほしいと思った。


 誠二郎さんは一つ頷くと、表情を緩めたまま言う。


「優くん、初めて僕を頼ってくれたね。いいよ、じゃあせっかくだし、そうだね……これ、使ってみるかい?」


 そう言ってテーブルに置いたのはさっき見つけてきた上等なカメラ。

 ゆったりとした喋りなのに、あまりにもあっさりと事が進んでく。困惑したまま、僕は問い返した。

 

「え、でも……いいんですか?」

「ああ、実はビデオカメラも用意していてね。どっちも操作するのは流石に大変だろう? だから僕としても願ったり叶ったりなんだよ」


 子供っぽく笑うと、席を立ってビデオカメラを持ってくる。

 これまた安物ではなさそうで、佳奈の勇姿はばっちりと写せそうだった。


 本当に佳奈のために尽くしてくれるらしい。その事が僕は嬉しかった。


「佳奈のこと、すごくよく考えてくれてるんですね……」

「そりゃそうだよ。佳奈ちゃんが毎日楽しそうに体育祭の準備のことを話すからね。やっぱり当日のことは記録に残してあげたいじゃないか」


 優しく笑う表情が、いつの日かの父親と被った。

 家族想いで僕たち兄妹のことが大好きだった父だ。きっと生きていたら、こんな風に張り切っていたのだと思う。


「絶対、佳奈は喜びます」

「そうだといいね」


 カメラをいじる誠二郎さんと静かに笑い合う。

 本当の家族ではないけれど。

 佳奈を喜ばせたいと言う気持ちは、二人とも同じだった。


「……にしても、優くんはよく写真を撮っているね。どうしてなんだい?」


 その質問に、僕は僅かに考えを巡らせる。

 今では習慣となっているけれど、そこには確かな想いがあったのだ。


「両親が亡くなってから、佳奈の成長を残してくれる人はいません。大きくなっても、振り返った時の記録がないんです。だからせめて。僕だけでも傍で成長を記録してあげたいじゃないですか」


 だから沢山、僕は佳奈の写真や動画を残すようにしている。どこかに出かけた時、イベントの時、どんな些細な事でも。

 この家に来てからも写真は何枚も増え続けている。


「そうか。……きっといつか、佳奈ちゃんもその想いに気づいてくれるよ」

「……気づかなくても、いいんですけどね。でもいつか、写真を見て幸せだったんだなって、振り返ってもらえたらいいなって思います」

「うん、そうだね」


 しっとりと頷くと誠二郎さんに、どことなく温かみを感じた。

 僕の答えを聞いて、誠二郎さんはほくほく顔で立ち上がる。

 少ししんみりとしてしまったけれど、嫌な感じは少しもしなかった。


「さて、そろそろ降りたほうがいいかもしれないね。二人揃って怒られてしまいそうだ」

「ですね。佳奈もそろそろ怒って呼びにくるかもしれません」


 お腹を空かせた佳奈が、ぷんすか怒って上がってくる。

 そんな様子が浮かんで、二人してくすっと笑った。


「今日はバイトがない日だったね。ご飯の後で、カメラの使い方を教えようか」


 そう言って機嫌良く笑う誠二郎さんとリビングへ向かう。

 チラリと見えた横顔は、嬉しそうに見えた。

 その横顔に、僕から見ても父親のように映る。


 土曜日は、いい一日になりそうだった。

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