第一話 変わったこと
「──最近の学校はどうですか?」
僕が学校でも麗香さんたちと話すようになってから、数日の時が経った。
僕たちの関係は変わらず良好なまま、しかし変わったこともある。
「うん、楽しいよ。おかげさまでね」
はにかむ麗香さんを視界に収め、僕も良かったと息をつく。
その一つが、家でも同じ時間を過ごすことが増えたと言うことだ。
僕のバイトがない時間。以前はすぐに二階に上がっていた麗香さんは、リビングで過ごすことも多くなった。
「それになんだか最近、みんな気軽に話しかけてくれるから前より気が楽だよ」
「言ったじゃないですか。やっぱり麗香さんは普通にしてても十分魅力があるんですよ」
「そうなのかなあ……」
嫉妬や羨望の感情が噛み合わなかっただけで、麗香さん自体は普通の子だ。人の気持ちを十全に慮れる分、話しやすさで言えばかなり高い方だと思う。
麗香さんはクッションを抱え、ソファーに体重を預ける。
ダラっとしたその姿勢は、リラックスしてくれているようにも見えた。
なんだか気を許してもらえているような気がして、僕としては嬉しいものだった。
「榊原くんは変わったこととかないの?」
「僕ですか?」
言われて僕は、学校でのことを思い出す。
特別話しかけられることもなければ、変なやっかみをもらうこともない。
僕の周囲では特段、変わっていることはないのかもしれない。
でも、そんな中でも一つ挙げるとするならば──
「……少し、学校に行くのが楽しくなりました」
みんなとの時間は、それだけ僕の学校生活も彩った。
周りでは何も変わったことがないけれど。僕自身、心境の変化は確かにあった。
「一輝以外友達がいなかったので、みんなで過ごすのがこんなにも楽しいんだなって実感できました」
思い出しながら言うと、麗香さんはニコッと笑う。
「よかった、私も同じだよ。私も最近は学校に行くことがすごく楽しみ」
眩しく見えるほどの笑顔に、僕も釣られて表情が緩む。
そんな場面で、ふと思い出す。
──お兄ちゃん最近、よく笑うようになったね。
少し前、佳奈に言われた言葉だ。
無愛想であまり感情が表に出ない僕が、遂に一番近くにいた佳奈にそう言われたのだ。
ただ過ぎるだけだと思っていたこの時間が、いつの間にかかけがえのない暮らしになっていた。
そのことが僕にとっては何よりも嬉しくて、何よりも変わったことだと思う。
踏み出した一歩は、僕にとって確かな変化を与えてくれたのだ。
◇
今日はバイトがない。
テレビを見ながら麗香さんとのんびりと話すこの時間。その時間は、十分に心を落ち着かせることができそうだった。
たわいもない話から、僕らの学校でのことも。僕らは振り返りながら話した。
僕自身、ここまで心を開けるようになるとは思わなかった。
ぼんやり過去を顧みると、不意に玄関が騒がしくなる。
麗香さんが扉を向くと、てててっと廊下を賑やかな足音が鳴った。
「あ、佳奈ちゃんかな」
跳ねるような音は、言わずもがな佳奈のものだ。
気づいた麗香さんは、その元気な姿に優しく笑う。
「──ただいま!」
「おかえり、佳奈ちゃん」
僕もそれに合わせて「おかえり」と言う。
最近は学校が忙しいのか、活発な表情にも少しだけ疲れが混じっている。それに合わせて帰る時間も少し遅めだ。
荷物を置き、手洗いうがいだけはきっちり済ませると、そのまま麗香さんの座るソファーの隣にぐでっともたれかかった。
「疲れたぁ……」
「お疲れ様。今日も体育祭の準備?」
「そうなの!」
そう、佳奈がいつもよりも帰るのが遅いのは、体育祭の準備があるからなのだ。
各種目や応援合戦なんかの練習があって、なかなかにハードな日が続いているらしい。
「佳奈ちゃんは何に出るんだっけ」
「んーっと……短距離走に大縄に借り物競走でしょ? あとは応援合戦と選抜リレーかな!」
「へえー、結構多いんだね」
「そう、せっかくの体育祭だしいっぱい出たかったんだぁ」
今からでもワクワクが止まらないと言ったように、佳奈ははやる気持ちを抑えて言う。
本格的な種目から遊び心のある種目まで。網羅しそうな数に参加する佳奈は、体育祭に対する全力さが伝わってくる。
きっと、本当に楽しみなのだろう。
僕も気になった種目を一つ聞いてみる。
「選抜リレーにも選ばれたんだね」
「うん、陸上部だしそこそこ成績も残せてるからだと思う」
「そっか。佳奈は昔から運動が得意だったもんね」
「そうだよ、選ばれたからには頑張らないとね!」
嬉しそうに、やる気十分に拳をキュッと作ってみせた。
佳奈が小学校の頃は、僕も運動会を毎年見に行っていたのだ。その時から佳奈は運動神経を十分に発揮していたのを覚えている。
一番をとったり、リレーでアンカーを任されたり。輝かしい活躍で、いい結果を出せると佳奈は目一杯喜んでいた。
──また、佳奈のあの全力で楽しむ姿を見てみたいな……
ふと、昨年の記憶を思い出して思う。
「……そう言えばなんだけど、体育祭って土曜日だよね」
「うん、そうだよ?」
「中学の体育祭は保護者が見に行ってもいいの?」
「うん、大丈夫だったと思う。多分だけどね」
なんて事ないように、気にしていないように佳奈は言う。
保護者が関わってくる事を、自分からあまり言おうとしない佳奈のことだ。自分の状況を理解しているからこそ、また諦めようとしているんじゃないか。
僕はそんな様子に、一抹の寂しさを覚えた。
「先生は親御さんにもぜひ来てもらってねって言ってたし、友達も家族みんな来るって子も多かったと思う」
「……そっか」
ほんのりと羨望の混じった佳奈の声音に、僕は麗香さんと目を合わせる。
僕の意図を汲んでくれたのか、ふっと優しげに表情を緩める。
「──じゃあさ、それ、僕たちが見に行ってもいいかな?」
「……え、見に来てくれるの?」
「うん、もちろん。佳奈の頑張ってるところ、見てみたいんだ」
「ほんとに……?」
以前は僕と玄さんの二人だけだったけれど。
お店が忙しい日は僕一人の時もあったけれど。
今はもう、沢山の人が見守ってくれてるんだって思って欲しかったから。
「私も、佳奈ちゃんが頑張ってるところ見てみたいなあ」
「お姉ちゃんも!? もちろんだよ、嬉しい!」
去年まではいなかった麗香さん。
麗香さんが来てくれるとわかると、パッと笑顔が広がる。
「でも無理はしないでね? 来てもらえるのは嬉しいけど、やっぱり迷惑はかけたくないから!」
迷惑なわけがない。仮に迷惑だとしても、もっと迷惑をかければいいのに。
そう思っても、佳奈はそれを良しとしないだろうから。
「無理なんてしてないよ。私は佳奈ちゃんの姿が見たくて行くんだから」
「僕も、佳奈が全力で楽しむ姿を見てみたいんだよ。それに中学校で佳奈はどんな感じなのかなって少し気になるからね」
そう言うと、佳奈は年相応の笑顔をこぼした。
ほくほくと満足気に麗香さんへもたれかかる。
そんな佳奈を見て、僕は思う。
──でもね、環境が変わった今。佳奈を近くで見てくれている人はこれだけじゃないんだよ。
二人だったあの頃とは違う。
それを佳奈にも知ってほしいから。
麗香さんと頷き合い、僕は次の行動を決めた。
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