第二十三話 完璧の理由

 校舎裏に着き、僕らはようやく息をついた。

 昼休みには賑わっているけれど、部活が始まっていることもあってか誰もいない。

 遠くから聞こえる運動部の声だけが微かに響いていた。


 二人してベンチに座ると、緊張を解いた麗香さんは口を開く。


「ほんとにありがとう。私、どうしたら良いかわからなくて……。それに榊原君の手も借りちゃった……」


 いつもよりしおらしく、少しずつ言葉を紡いでいく様子は儚げだ。

 そんな様子を見て僕は首を横に振る。


「いいんです。僕がそうしたかったから行動した。それだけですから」

「でも、榊原君の立場もあるし……」


 学校で関わることに積極的じゃなかったでしょ? と。

 やっぱり麗香さんには僕の心のうちを見透かされていた。

 でも──


「それももういいんです」


 ずっと、心のどこかで麗香さんたちに対して躊躇いがあった。

 僕が関わることで、迷惑にならないかとか。僕の関わり方が、みんなを傷つけてしまうんじゃないかとか。


 だけど、それももうなくなったから──いや、ないと言うと少し違うだろうか。

 それよりも僕自身、麗香さんたちともっと深く関わりたいと言う思いが強くなったから。


「僕も、場所とか人目を気にせずに麗香さんと関わりたいと思ったんです」

「っ……それって──」


 今まで濁し続けてきたみんなの話。

 僕が麗香さんと友達だってことを、公にするということ。


 僕は一つ頷くと、麗香さんに体を向ける。


「そこで、麗香さんに話があるんです」


 きっと、これは中途半端な気持ちで聞いてはいけないことだ。麗香さんの過去のことで、今ずっと悩み続けているだろうこと。

 だから僕は深く息を吸い、そして覚悟を決めた。


「麗香さんが話したくなかったら諦めます。……でももし、少しでも話しても良いって思うなら、──聞かせてくれませんか? 麗香さんの話」


 もし何かあった時、頼ってもらえるように。助けになれるように。

 そしてなにより、麗香さんのことをもっと知りたいと思ったから。


 姿勢を起こし、麗香さんは顔を上げる。僕とぶつかった瞳は、その覚悟が見てとれた。


「……うん、聞いてくれる? 私がどうして、みんなの期待に応えたかったか」


 それから麗香さんは、ポツポツと話し始めた。




 ◇




 中学生の時、麗香さんは今のように何でもできたというわけではなかったらしい。

 勉学は平均より少し上、運動もそこそこ、リーダーシップに関しては全くだった。

 変わらないのは優れた容姿と、人当たりの良い性格だけ。


 だから、なのだろう。

 人当たりがよくて、とっつきやすい麗香さんは良くモテた。

 そして同時に、それが原因で女の子からはいい目を向けられなくなり、妬まれることが多かった。


「友達だと思っていた子が離れていくこともあってね……、気が付けばいつもの私の居場所はそこにはなかった」


 その言葉一つひとつに哀愁がのる。

 顔を上げ、できるだけ暗くならないように繕っているけれど。伝わってくるのは隠しきれない寂寥感。

 聞いている僕が胸が締め付けられる思いだった。


 わかってしまったのだ。

 友達が離れていく感覚──居場所がなくなる感覚を。

 僕も昔、経験したことだから。


「でもね。私にとっての救いは朱莉が傍にいてくれたこと」


 嬉しそうに、話し始めてから初めて笑みが浮かぶ。


「ずっと一緒にいてくれて、時には一緒に悩んで怒ってくれることもあって、それがたまらなく嬉しかった」


 冷淡に告げていた言葉の数々も、望月さんのときだけ温かい感情が宿る。

 僕にとっての一輝のような存在。喜びのようで、感謝のようで、僕が一輝に抱いている感情と同じだった。

 中学生から一緒の二人の間には、僕には測れない絆のようなものを感じていたけれど。きっと、そういうわけがあったからだ。


 一つ、間を空けて。


「それでもね、それでもどうしようもないって思った時に、朱莉に言われたの」


 少しずつ、平坦だった声音が溢れるように喜色を帯びはじめる。


「そんなの気にならないくらい何かに打ち込んじゃえばいいんだよって」


 きっと、麗香さんはその言葉に救われたのだろう。


「私も一緒になって頑張っちゃうよ! って張り切ってて……。笑っちゃうよね。……でも、私はそんな朱莉の言葉が嬉しくて、朱莉だけはずっと味方でいてくれるんだって思った」


 どうしたらいいか分からない時、ずっとそばに居てくれる友達ほど力強い存在はいない。

 特に何があっても離れなかった親友とも呼べる存在は、本当に救われるものだ。


 かつて抱いたその感情。麗香さんとは事情は違うけれど、その思いは紛れもなく同じだった。


「朱莉といると何でも楽しかったから、興味を持ったものは全部全力で取り組んで、あんまり好きじゃなかったけど勉強だってできるようにしたの」


 淡々と語っていくけれど、そこには並々ならぬ努力があっただろう。

 現状を変えようと、その一心で自分を変えたのだから、僕は純粋に凄いなと思う。


「それでね。受験も控えるようになると教えてって頼ってくれる人は増えて、それに何より悩みだった恋愛系のことが減って…… 気がついたら、完璧な私として居場所ができてた」


 普通に過ごしているだけでは友達が離れていき、どうしようもなくなって全てを必死に取り組めば完璧な子だと呼ばれるようになった。

 その過程は想像していたよりも、ずっと過酷なように思う。


 それに麗香さんがいつも何もできていないと言う理由。

 それはそこに関係しているのだという、漠然とした確信があった。


 そして最後の言葉。完璧としての居場所、その言葉は誇らしげに言っているようで……


「だから、私はみんなの期待に応え続けたかった。……私の居場所がなくならないように」


 その実どこか寂しさを伴っている気がした。


「完璧でいればいるほど、学校生活が楽だったの……」


 その言葉が、この話の全てだと思った。


「例えそれがどんなに大変だとしても、前の私にだけは戻りたくなかったから。友達が離れていくあの感覚だけはもう、味わいたくなかったから……」


 辛うじて浮かぶ笑みは、今にでも壊れそう。


「これが、私がどうしても期待に応えたかった理由」


 みんなの期待に応え続けることで、人間関係を拗らせないようにしている。

 そこに、学校生活の楽しさはあるのかな……


「……それなのに親しくなった人には普通に見られたいんだから、変な話だよね」


 自嘲気味に。寂しそうに。

 そう呟く麗香さんを見て、今まで聞きに徹していた僕は首を振る。


「全然、僕はそうは思いません。どんな理由だろうと、麗香さんが努力してきたことは本物で、凄いことじゃないですか。変な話だなんて思いませんよ」


 言葉はまだまとまっていなかった。でも伝えたいことはたくさんあって、僕は少しずつ、それを言葉にしていく。


「それに誰だって……僕だって親しくなった人との関わり方は変わります」

「……そう?」

「はい。こんなに自分から関わりを求めるなんて、自分でも驚いているくらいなんですよ」


 ずっと誰かと親しくなるのは怖かった。このままずっと浅い関係を保ち続けるのだと思っていた。

 だけど今、僕はこんなにも知りたいと思って、支えたいと思うのだ。


 そんな僕が変わることができたのは……


「そしてそれが誰のおかげなのかも、今ならはっきりわかります。僕がこうして一歩踏み出せたのは──麗香さんのおかげなんです」


 隣を向けば、驚いた麗香さんと目があった。


「だから完璧じゃなくたって、麗香さんはやっていけます。麗香さんの魅力はそこだけじゃないって、僕が保証します」


 一番近くで過ごして、それは何度も実感した。

 僕がこうして過去を克服しながらも関わり続けたいと思ったのも、麗香さんがいたからだ。

 

 僕はできる限りの優しい顔を浮かべる。


「それにね、麗香さん。今、麗香さんは一人じゃないじゃないですか」


 僕が隣にいて。頼れる親友がいて。

 簡単には壊れない関係が、もうそこにはある。


「僕と一輝と望月さんと。何があっても離れていかない友達が三人もいる。──居場所は、もう既にあるんです」


 ハッとしたように、目を見開く。


「そっか……そうだよね」


 そして、その感情をそのままに、柔らかくはにかんだ。


 僕はその回答に満足すると、同じように笑う。

 やっぱり麗香さんには、その顔をしていて欲しかった。


 それから麗香さんは意を決したように口を開くと、心なしか真剣な眼差しをする。


「榊原くん。一つお願いしても良いかな?」

「はい、もちろん」


 それに対して僕は、できるだけ柔らかく言葉を返した。

 何を言われるのか、大体予想はついていた。


「少し、心細いから。学校でも、四人で集まれないかな……」


 頼り慣れていないのか、不安気に、次第に声が萎んでいく。

 それが面白くて。

 だけど不器用ながらに頼ってくれたんだってわかって。

 僕はつい、笑みを向けながら言った。


「任せてください」




 ◇




 一通り話し終えると、僕らはベンチを立つ。

 横目に見た麗香さんの瞳には、もう迷いはない。


 だから最後に一つ、僕はこの問題を解決しようと思う。


「麗香さん。まずは一輝たちに、僕たちの事情を伝えませんか?」


 ずっと後回しにしていたこの話。

 もう僕らの関係を取り巻く問題はないのだから、自分たちで伝えたかった。

 そして僕は、学校でも胸を張って関われるように準備もしたかった。


 これまでの時間を経て、僕が得たもの。それは想像以上に大きくて大切なものだった。

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