第十八話 友達である自覚

「お疲れ様です」


 そう一声かけて店を出る。

 五時半時頃。僕が一旦家に帰ろうという時、同時に一輝たちも勉強を切り上げた。どうせなら一緒に帰ろうという事らしい。


 入店した当初こそ重かった足取りは、玄さんと話したお陰か幾分軽快になっていて。新しく活動場所が増えたことに一輝たちは嬉しそうにしている。


「いいところだったね」

「だな」


 店を出て早々そう溢したのはカップルの二人だ。


「なんていうか、温かいところだったな」

「わかる! 店長さん気さくで、いい時間だったって思うよ」


 口々に出てくる言葉はいい事ばかり。

 喫茶店でのひと時を終えても緩んでいる頬を見ると、僕としては嬉しい気持ちでいっぱいだった。


 ホクホク顔の二人に、雑談は加速する。

 なんて事ない話が、次から次へと飛び出してくる。

 それは今日のことから発展し、僕たちの関係に迫ることまで──


「クラスは違うけど、学校でもまた集まれたらいいね」

「まあ、それもそうだな」


 楽し気な望月さんの言葉に、一輝は同意した。麗香さんも少し悩んで、「そうだね」と相槌を打つ。


 こうやって集まるのも二回目だ。

 仲も深まったのは明確で、僕もこの四人での行動には楽しさを覚えている。

 けれど僕一人、その話に曖昧に頷くともいえない言動を取るしかできなかった。


 話すだけなら勝手に話せばいい。けれど大っぴらに動こうと思えないのは、麗香さんの存在だ。

 学校での有名人が男女のグループに。

 現実離れした目立ち方はしなくとも、注目は多少浴びるのは確実だった。

 それを人との距離を必要以上に取ってしまう僕が、捌ける自信がない。僕の過去に起因するけれど、尻込みしてしまっている。


 一輝は僕を一瞥すると、すぐに視線を外して言った。


「まあ、それはまた追々だな。今はとりあえず目先のテストからだ」


 一輝は僕の事情を知ってくれている。だからきっと、話を変えてくれたのだ。

 重たい話、暗い話でこの空気を壊したくはない。

 ほんと、一輝には頭が上がらない。


「そうだね。追試にならないようにね?」


 麗香さんが乗っかり、二人に釘を刺す。

 自分が教えている人たちが追試を受けるのは麗香さんとて不服だろう。


 一輝と望月さんは引きつった笑みを。

 しかし、二人してニッと笑うと「もちろん」と言った。

 なんだかんだで平均はとっていくのが一輝だ。それに望月さんに関しても、麗香さんがついているのなら滅多なことはないはず。

 きっと、大丈夫だろう。


「こりゃ、いつも以上に頑張らないとな」


 皆気合いを入れ直す中、隣に来た麗香さんが僕に言う。

 澄んだ声に、意識が引き戻された。


「榊原君もだよ?」

「……もちろん、頑張ります」


 陰でこっそり教えてもらっているのは僕もである。そんな失態を冒さないように、心に誓った。


「──それじゃ、俺はこっちだから」


 住宅街の十字路。

 どうやら一輝とはここでお別れらしい。気がつけば思いの他歩みが進んでいた。

 やっぱり一輝たちとの時間は瞬く間に過ぎ去っていくような気がして不思議だった。


「朱莉、いくぞー」

「はーい!」


 麗香さんと戯れついていたのをやめ、パタパタと一輝の元へ。

 もう既に夜色に染まりかけている。そのため今日も一輝による送迎のようだ。


「んじゃ七瀬さん、優、また明日な」

「二人ともまた明日!」


 また明日、か。明日も来ることは確定しているんだな、と苦笑い。けれど、少し嬉しみを感じていることを悟らせないように、僕も手を振って応えた。


「うん、また明日」

「櫻田くん、朱莉、また明日」


 姿が見えなくなり、僕たち二人も歩き出す。

 ──また明日。

 何だか良い響きだと思った。




 ◇




 麗香さんと二人になった。向かう場所は同じ。

 けれど以前のように気まずい空気は欠片もなくて、時折話を挟みながら夕焼けの下を歩く。


 二人だけで会話をするのは久しぶりのこと。

 一輝たちと別れてからの会話は、珍しく麗香さんからだった。


「働いてる時の榊原くん、すごかったね」

「え……?」


 まさかの言葉に、思わず間の抜けた声が出る。


「勉強の合間にね、少し見てたんだ」

「あ、やっぱりあれは麗香さんが」


 時折視線を受けているような気がしたのだ。勘違いかと思ったけれど、そうではなかったらしい。

 それにしても、麗香さんが……


「ごめん……邪魔しちゃってたよね」

「いえ、全然。ちょっと気になっただけで、仕事に支障はなかったので」

「そう? よかった……」


 ホッとしたように胸を撫で下ろすと、軽く息を吐く。

 すると今度は伏し目がちに、ぽつぽつと言葉が聞こえてくる。


「榊原君、もうすっかり玄さんに頼られてて、やること全部把握してるみたいに動いてたし、ベテランさんみたいだった」

「それはもう、二年になりますから」

「みたいじゃなくて、ベテランさんか……」


 ひっきりなしにお客さんが来ないとはいえ、最近の接客はすっかり一任してくれている。

 最初のころと比べると、僕の腕も信用されている気がした。


「私、働くとか全然想像がつかなかったよ」

「まだ、高一じゃないですか」

「それは榊原君もでしょ?」


 それはそうだ。

 でもそう言われると、僕は何も言えない。

 困った顔をしていると、麗香さんはクスリと笑う。少し揶揄われたみたいだった。


 だけど──

 

「ほんと、すごいよね」


 だけどその言葉だけはなんだか妙に感情のこもった言葉で、僕は何も言葉が出なかった。


「……麗香さんは久々に来たって言ってましたけど、どうでした?」


 だから変わりに、麗香さんからもお店のことを聞いてみる。

 場繋ぎのつもりで、けれど気になってもいたから。


「お店の感じは変わらなかったけど、榊原君が入ったことで少しだけ雰囲気が変わったね」

「……僕、雰囲気壊しちゃってましたか?」


 せっかく玄さんが僕を思って誘ってくれたお店だ。馴染めるように必死に働いてきたつもりだが、もしそうなのだとしたら申し訳なかった。

 しかしその心配は杞憂に終わる。麗香さんは首を横に振ると優しい顔をした。


「違うよ。玄さんにも余裕がありそうだったってこと。玄さんの笑い声が前よりも聞こえてた」


 ああ、なるほど。

 お店に来た当初は、今よりバタバタしていたんだったか。

 それにしても玄さんの笑い声で判断するなんて……麗香さんが小さく笑うと、僕もつられて笑ってしまう。


「でも榊原君はちょっと、表情が硬かったね」

「よく言われます……」


 痛いとこを突かれて、僕は小さく呻く。


「そんなに落ち込まないでよ」

「いや、いいんです。いずれ克服したいとは思ってるので」


 親しくない人との距離の取り方は苦手だ。近づきすぎると、傷ついてしまうかもしれないから。

 過去はそう忘れられない。

 けれど、そのままでいいとも思えなかった。


「でも、私とは普通に話せてるし、この感じで行けば大丈夫じゃない?」


 柔らかい表情もしているよ、と。そう言ってくれる。


 自分ではあまりわかっていなかった。でも確かに、僕の中で麗香さんと他の人では、明確な違いができている。


「いやでも、麗香さんと知らないお客さんとでは、関係が違いますから」

「……そっか、それもそうだね」


 聞こえた声は心なしか弾んでいた。

 その感覚が悪くない気がして、僕の心も浮ついた。


「でもせっかくなので、また頑張ってお客さんに話しかけてみようと思います」


 僕の宣言に、麗香さんはニコリと笑って頷く。

 落ち着いたこの距離感に、どこか心地よさを感じていた。




 ◇




 明るさを認知して、辺りの電灯が光を点し始める。

 あれから少し歩いたくらい。黙々と歩いていた矢先、麗香さんはポツリと言葉を溢した。


「……私も、頑張らないとね」

「えっと、何を……?」


 何の脈絡もない一言に、理解が追いつかない。


「今日、榊原くんが働いているところを見て思ったの。私と同じ高校生なのに、佳奈ちゃんのために必死に働いてる」

「それは、僕たちには両親がいないから僕が働かないといけなくなっただけで……」


 親がいないからこそ僕がその代わりになっているだけ。何も偉いと言われるようなことはしていないのだ。

 今の環境がそうさせている。ただそれだけのことなのだと思う。


「それもあるのかもしれないけどね、榊原くんはそんな環境じゃなくても誰かのために動くことができてると思うよ。それは、一緒に暮らしてきてよく見てたからわかる」

「そう、なんですかね……」


 もしものことなんて自分でもわからないのだ。今の環境にいなかったらきっと自分のことばかり考えて生きているのだろうと、容易に想像がつく。

 けれど、麗香さんに言われたからか、そうなのかもしれないという思いも生まれてきた。


「うん、きっとそうだよ。それにね、誰かのために何かをできるって、素敵なことだと思う」


 僕を羨むように見る。それは、自分にはできていないかのようで、落ち込んでいるようにも見えた。


 それから、麗香さんは僕の目をはっきりと見つめて言う。


「だからね、私も誰かの力になりたいって思った」

「…………」


 麗香さんの澄んだ綺麗な瞳に見つめられて言葉が出ない。相変わらず綺麗なその瞳に目が離せなくなっていた。


「お節介なのかもしれないけど、自分にできることをしたいって、そう思えたの」


 その動機は、僕がしているよりも断然素敵なように思える。僕のはなし崩しに今の状態になっているようなものだから。


 それにしても、麗香さんは自分が何もできていないかのように言う。

 麗香さんならば既に誰かのためになれているのではないだろうか。それともそういうことではないのだろうか。そんな疑問が頭の中に飛び交う。


「……まぁ、麗香さんが誰かにしてあげるのなら、その相手が誰だろうと喜んでくれると思いますよ」


 けれど、僕にはその真意が汲み取れなくて、ありきたりな返ししかできなかった。

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