第十七話 店内での出来事
喫茶店の中に入ると、目に映ったのはお客さんと会話を楽しんでいる玄さんの姿。落ち着いた色合いのオシャレな装飾を前に、ダンディな風貌が見える。
この時間は繁盛しているわけでもなく、客も少数しか見えない。けれど、それが却って勉強に集中できそうな空間を作り上げていた。
ベルの音で気がついたのか、玄さんは僕たちのいる方を一瞥する。
「お、来たか。いらっしゃい」
事前に友達が喫茶店を訪れると連絡を取っていた。そのため制服姿の四人が押しかけたことに驚きは見られない。
ついでに連絡を入れる際には、友達が何をしに喫茶店に行くのかも話しておいた。
人が増えた方が賑やかで玄さん自身も楽しめるため、勉強しても普通に過ごしていても構わないそうだ。
玄さんはお客さんとの会話を一旦終わらせ、近づいて僕たちを見据える。
そこで何かに気づいたように目を見張った。
「お、麗香もいるのか。ここに来るのは久し振りじゃないか?」
「そうですね。以前来た時は確か小学生でしたから。全然変わってなくて驚きました」
「まぁ、昔からこの店はこれで気に入っていたからな」
どこか懐かしむように、麗香さんは店内をぐるりと見まわす。
昔からこれだけ居心地のいい空間を保ち続けているのだとしたら、常連がつくのもよく分かる話だ。
「それで、会うのは二週間振りだな。あれから色々変わったかもしれんが、最近調子は……」
麗香さんに視線を向け、次いでゆっくり僕に視線が向く。
しかしそれをすぐに戻すと、表情を崩した。
「──いや、この調子なら問題なさそうか」
未だ緊張の解けていない一輝たちを置き去りに、僕らは小さく苦笑いをこぼす。
ここに僕と麗香さんが揃って来ている時点で、仲が順調なことは物語っていた。
玄さんも素振りこそ見せなかったけれど、心配してくれていたのだろう。
「今日は勉強しに来たんだったか。優、奥の方を案内してやるといい」
「ですね。そうします」
一つ頷くと、カウンター席から離れた四人席に、僕が先導するように動き出す。
わざわざ奥の席にしてくれたのは玄さんなりの配慮だ。
制服姿の学生が来るのは珍しい。チラチラと受ける視線を遮るような場所を選んでくれていた。
「どう? この喫茶店は」
「うーん、大人っぽさがあって入りづらかったけど、慣れたら親しみやすそうだよ」
「だな。あんまり喫茶店とかは行かねえけど、マスターが気さくそうだから一人でも来れそうだ。二人が推す理由がわかるよ」
二人から返ってきた言葉は概ね好評だ。ついつい自分のことのように嬉しくなる。
ここで働いて二年近く。やはり友人にも評価を聞いてみたいものだった。
「これなら、テスト前でもそうでなくとも落ち着きたい時とかにくるかもしれないな」
「私も!」
一輝と望月さんが来るときはセットだろうな、ということが容易に想像できる。
これからこの喫茶店も少し賑やかになるのだろうか。
先のことを考えて、ちょっぴり楽しみになった。
「私もまたお邪魔するね」
控えめに、麗香さんが横からそう言った。
今日だけでなく、また三人で来てくれることもあるかもしれない。紹介した甲斐があったと、ふと思った。
「ええ、ぜひ。玄さんも喜びます」
学校からさほど遠くないのに学生が来てくれないと嘆いていた玄さんだ。
雰囲気が学生を寄せ付けないだけで、玄さん自体は学生の来店を待ち望んでいる。
話好きで面倒見の良い玄さんは、若い子たちの話も聞きたいに違いない。
「こちらの席にどうぞ」
言いながら、四人席を案内する。
それほど広い店でもないから、少し話せばすぐに着く。
「それじゃあ、僕は着替えてくるよ。注文とかが決まったら遠慮なく呼んでね」
「あいよ。楽しみに待っとくよ」
「はいはい」
僕らの絡みに麗香さんたちはクスリと笑う。
実現しそうもないことは承知だが、ずっと裏で手伝わせてもらえないかな、と僅かな期待を寄せる。
実際に働いている姿を友だちに見られると思うと、予想以上の羞恥が襲ってきた。
◇
エプロンをかけ、馴染みの姿に身を包む。
着替え終わると、従業員としての意識が染み付いているのか、不思議と気持ちが入れ替わった。
そのことにホッとしつつカウンターに着くと、オーダーは既に玄さんが取っていてくれたらしい。周りを見つつ、人数分飲み物を用意していた。
僕の仕事は基本的にはウエイターだ。
飲み物の用意を待ち、それをトレイに乗せて運ぶのが主な仕事になる。
その待ち時間。玄さんはアイスミルクティーを注ぎながら口を開いた。
「順調そうだな」
「……何がですか?」
「麗香とのことだよ。心配していたんだ。優があからさまに家にいる時間を減らそうとしていたから、そのことで何かあったんじゃないかと思ってな」
「確かに、そんなこともありましたね」
苦い顔をすれば、玄さんはニヤリと笑う。
まだそれ程日は経っていないが、どこか懐かしく思い出される。あの時はまともに話すことすらできなかったな、と。
僕のあからさまに不自然な行動に、玄さんは薄々何かあると勘づいていたのだろう。
「まぁ、そのことも今は解決したみたいだがな」
「そうですね、大体の悩みは解決しました。……ようやく落ち着いて、正直ホッとしてます」
「そうみたいだな。やっと馴染めてきたんだ。気楽に過ごしておけばいいさ」
あいつらもそれを望んでるはずだろうからさ、と。
玄さんは、普段の豪快な笑い方からは想像もつかないほど優しい笑みを向けて言う。
僕はなんだか面映ゆい気持ちになって、しっとりと頷いた。
「ほれ、できたぞ。持って行ってやれ」
アイスコーヒーにアイスミルクティー二つ。このオーダーは一輝たちの席のものだ。
玄さんに背中を叩かれて、ようやく僕の体は動きだした。
既に気持ちの切り替えはできている。
グラスを乗せたトレイを片手に、速やかに向かう。
「失礼します。お待たせしました、アイスコーヒーとアイスミルクティーお二つになります」
いつもの典型的な言葉と共に、それぞれの前にグラスを置いていく。
玄さんは常連さんであればもっと気軽に話しているけれど、僕にはそれができそうにない。
「お、それが例の喫茶店スタイルか。やっぱ様になってるな」
「いや、喫茶店スタイルって……」
いきなり出鼻を挫かれて、ついついツッコミを返してしまう。
みんなからするとやはり気になるのはこの服装のようで、三人からの視線を一斉に受けて少々居心地が悪い。
珍しいものを見る目には、内心変なところがないか不安になった。
「そんな心配そうな顔しなくても、榊原君の雰囲気に合ってて似合ってるよ」
「そう、かな……? ありがとうございます」
窓ガラスに反射する自分を見て、僅かに首を傾ける。
麗香さんに同意を示すように、二人の首がコクコクと動くのをみて、ようやく少し自信が持てた。
それにしても軽く話しかけてくるためか、店員としての態度が少し薄れ始めている。普段もここまでとは言わないけれど、もっと柔らかく話せると愛嬌があっていいのだろうか。
少なくともこれくらい会話を続けられたら、お客さんを楽しませれるのかなと思った。
「いつもこうして働いていたんだね」
「まぁ、そうなりますね」
「なんか……ちゃんとしててすごいなって思う」
「全然ですよ。よくミスもしますから」
謙遜でもなく、そのままを伝えたつもりだった。しかし、麗香さんは首をふるふると振るとそれを否定する。
思案顔に、麗香さんの中でなにか思うことがあったのだろうか。少し心配になって、けれども僕はお礼を言って身を翻した。
僕と麗香さんは最近少し距離が縮まっただけの関係。あまり踏み込むのもな、と。
「それじゃあ、僕は仕事に戻ります」
「うん、ありがと。……それと、頑張ってね」
麗香さんからの応援に笑みで返す。
僕にとってはいつものことで、何でもないことだったけれど。応援してもらえたことが素直に嬉しかった。
友だちとではあるものの、玄さんがお客さんとの会話を楽しんでいる気持ちが少しわかった気がする。
それからはいつも通り自分に出来ることをして、一旦の終わりである六時まで働くことになった。
一輝たちも注文されたものを届けてからは勉強に集中していたようで、五時過ぎまで動きはない。
少しばかり視線を感じながらも、こうして初めて自分の働き先である喫茶店を紹介した日は過ぎていった。
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