第十六話 新たな勉強場所

「静かな所でテスト勉強してぇなぁ……」


 いつものように学校に早く着いて会話をしていた中。

 一輝は何気なくそう呟いた。椅子の背もたれを腹にして、今も勉強中の僕を向いて話している。


 今日からテスト週間となり、部活動は基本的に禁止。中には熱心な生徒が自主練習をしていることもあるが、大概の人はテストが迫っていると強く意識する頃だ。

 一輝もそろそろ力を入れようと思い始めたのだろう。


「家でやればいいんじゃない?」


 一瞥してそう言うと、一輝は「うぅん……」と唸った。


「俺、家だとあんまり集中できなくてな。だから朱莉とか誘って、勉強しなきゃいけない状況を作りたいんだよ」

「まあ、わからなくもないけど……」


 家には誘惑が多い。今時スマホが視界に入るだけで集中力が下がるなんて言うし。

 一輝には悪いけれど、正直一輝は誘惑に負けていそうだな、なんて思ってしまった。思えば昔から、試験前は勉強に誘われている気がする。


 僕は首を捻り、思い当たる場所をポツポツとあげていく。


「なら図書室は? 静かだと思うよ」

「図書室か……いや、駄目だな。朱莉は七瀬さんも呼びたいらしいし、ここの生徒はいないほうがいいだろ?」

「……静かに勉強会、とはいかないかもね」

「だよなあ」


 麗香さんは学校で人気者だ。普段から勉強を教えているのもあって、勉強を教わりたいと思う人は多いだろう。

 それに学校に併設されている図書室は試験前になると一段と人が多くなる。友人の多い三人のことだから、集中する場所にはあまり向いていないと思えて仕方なかった。


「ファミレス……は近くにないか」

「チャリ通だったら行けるけど、俺ら歩きだからな。こんな条件そろった場所なんてそうそうないよな……」


 静かで数人で勉強できて、ここの生徒が寄り付かないような穴場。

 そんな場所あるだろうか、とペンを置いて考える。

 頬杖をついて記憶を頼れば、一輝の若干期待のこもった目と視線が合った。


「ところで、みんなで勉強するってなったら優は来れそうか?」

「……いや、日にちにもよるけど、バイトの日が多そうだね」

「だよな……悪い、こんな話して」

「いいよ、空いてたらぜひ参加させてもらうから」


 僕の方が申し訳ないのに、なぜか一輝が気にしたような表情を浮かべる。

 いつも誘ってくれるのに断ってしまっているのは僕の方だと言うのに。

 ほんと、どうしてこう優しいやつなんだろうと思いながら、僕は一つの案が浮かび始めていた。


 ただその案で決まると、僕は少しばかり恥ずかしい思いをすることになる。だから少し、言うことが躊躇われた。


「どうかしたか?」


 表情で察したか、一輝は怪訝そうに顔をむける。

 それに対して歯切れの悪い返事しかできないのは仕方のないことだった。


「いや、まあ……一つだけ、良さそうな場所が見つかったんだ」

「……お? ほんとうか?」


 嬉しそうな反応に、内心苦笑する。


「まあ、僕としてはあんまりオススメしたくはないんだけどね……」


 歩いて行ける場所で、ここの生徒の姿もなくて、程よく静かで長居しても迷惑をかけない。

 尚且つ僕も、少しなら参加できるかもしれない場所──


「僕のバイト先──喫茶店に来るのはどうかな?」




 ◇




 放課後、麗香さんと望月さんを含めた四人で喫茶店までの道のりを歩く。


 今朝話していた場所が決まった直後に、一輝が二人に向けて連絡を入れたのだ。

 結果はすぐに了承、僕がバイトがてら道案内をすることとなった。


「──にしてもさ、よかったのか?」

「うん? なにが?」

「今まで紹介してもらったことがなかったからさ。教えちまってよかったのかって」


 一輝が言っているのは僕のバイト先のことだ。

 今まで隠していたわけでもないけれど、なんとなく恥ずかしくて教えていなかった。

 教えたらきっと、一輝は様子を見てきてくれるような気がしたから。


「いいんだよ。言う機会がなかっただし、働いてるとこ見られるのが少し恥ずかしかっただけだから」

「そんなもんか」

「常連さんも多いし、愛想良くってのを心がけてるから、普段と色々違うんだよね」


 いつもと違う自分を見せるのは中々に恥ずかしい。そう言うと、一輝は小さく笑う。

 そして僕の言葉に反応を示したのは望月さんもだった。


「へぇー、常連さんが多い喫茶店かぁ……どんな場所なんだろ?」

「そうですね……レトロで落ち着いたところ、って言う表現が一番いいかな」


 この表現が僕にとっては一番しっくりくる。

 僕自身、あの店の落ち着いた雰囲気と玄さんの人柄の良さがあるからこそ、手伝いを続けられているのだと思うし、楽しく働けている。

 店内は穏やかな空気が流れているし、勉強をするには最適だろう。


「なんとなく、優が働いてる様子が浮かぶな」

「あはは、確かに! 喫茶店の制服とか似合ってそう」


 一輝と望月さんは愉快そうに笑い合う。麗香さんも想像がついたのか、微かに笑みを浮かべながら頷いていた。

 みんなの中で僕がどう動かされているのかは想像がつかないけれど、なんとなく悪い気はしなかった。


「昔とはほとんど変わってないのかな?」

「そういえば、麗香は行ったことあるんだっけ?」

「うん。と言ってもかなり小さな頃のことだけどね。お父さんに連れて行ってもらったんだと思う」


 僕の記憶には麗香さんが来ていた頃のものはない。僕が喫茶店を手伝いを始めた頃よりも前のことなのだろう。

 殆ど毎日訪れてくれる誠二郎さんのことだ。麗香さんが子供の頃に連れて来たことがあっても不思議ではなかった。


「誠二郎さん、ほぼ毎日来てくれてますからね」

「あ、やっぱりそうなんだ。今でも通ってたんだね」

「会社帰りとかによく寄ってくれますよ。疲れが吹き飛ぶ、って言って話してくれてます」

「ふふっ、お父さんなら言いそう。帰りが遅い時があるのは喫茶店に寄ってるからかな?」

「多分そうだと思いますよ」


 誰の手も借りず、自然にする麗香さんとの会話。些細なことだけど、今までできていなかったことだ。

 勉強を教えてもらうようになってからと言うものの、普通の関係を上手く築けていた。

 ようやく、と言った感じだけれど、そのことにそっと安堵する。


 そんなことを思っていると、ふと一輝と望月さんの視線が気になった。


「二人、なんだか前よりずいぶん仲良くなったね。いや、いいことなんだけど!」


 訝しむような、探るような視線。

 麗香さんと話したのは四人で遊んだあの日の一回きり。二人で過ごす時間は多かったとは言え、不自然さは拭えない。麗香さんの親友だからこそ気づく違和感に、ほんのりと冷や汗が滲みだす。


「……前に七瀬さんのお父さんがうちの常連だって気づいて、話が盛り上がったんです。そこで色々話したから、かな?」

「なるほどな、帰りも二人だったもんな。そりゃ俺らが知らないわけだ」

「そっか。でもまあ、そこ二人が仲良くなれたなら私たちも安心だね」


 少し詰まりながらも咄嗟に出た言い訳は、それほど悪いものではなかった。一応は納得してくれて、話は次々と移り変わっていく。

 だけど、事実を隠していることに少し胸が痛んだ。

 僕らの関係は、いつ明かすべきなのだろう。答えの出ない疑問が、胸に蟠りを残す。


「というかじゃあ、麗香は最近その喫茶店には行ってないんだね」

「うん、ほんとに小学生の時のことだから。でも未だにお店の雰囲気は覚えてるし、気に入ってたんだと思うよ」


 どこか懐かしむように麗香さんが言えば、一輝たちの期待がさらに高まった。

 何はともあれ職場が褒められるのは嬉しいもの。僕も気持ちを切り替えて、一輝たちの会話に入っていく。


「優と七瀬さんのお墨付きか。これはなかなか良さそうなところだな」

「高校生にはちょっと入りづらいかもだけど、一輝の望んでた条件にぴったりだよ。軽食も出せるし、遠慮なく言ってくれるといいよ」

「お、そうか。じゃあ腹も減ったし、軽く食べ物も頼ませてもらおうかな」


 外観からは学生にとって入り難い雰囲気が漂っているものの、ドアを開けた先で迎えてくれるのは気さくに話しかけてくれる玄さん。

 静かすぎない適度な静けさは、一輝や望月さんにも気に入ってもらえるのではないかと思う。


「まぁでも、俺としては優が働く時にどんな感じなのかが一番気になるところだな」

「あ、私もー」

「……僕のことは別にいいと思うんだけどね」


 二人は着く前から心を躍らせている。僕は少し気が重くなりながら、苦笑いを貫いた。

 麗香さんならば何か言ってくれるのではないかと、僅かな希望を持って見てみる。しかし、「私も楽しみにしてるよ」と笑みを浮かべて言われてしまうと、そっと溜息を吐いて顔を背けるしかなかった。


 四人揃うのは望月さんとの初邂逅以来ではあるけれど、あの一日で皆が打ち解けたお陰か、話は途切れることを知らない。

 若干弄られながらも、これこそが友達らしい会話な気がして、悪くないように思えた。


 そしてしばらくすると──


「もしかして、あの建物が喫茶店?」


 望月さんが声を上げて、その建物がある方向を指差している。

 そこには確かに、僕がいつも通っているお洒落な喫茶店が姿を見せていた。

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