第十四話 久々の団欒

 夕食の時間はあっという間に過ぎて行く。


 帰宅した誠二郎さんも交えた食卓は、いつもより賑やかなものだった。

 佳奈が久々の僕の手料理を喜んでくれて、饒舌になったのも要因だろうか。

 これまでも全員揃って食べることは何度かあったけれど、色々と解決した今は、一層ホッとするような温かさがあった。


 やはりみんなと食べるご飯は美味しい。

 そんな気持ちを伝えるように、僕は隣の佳奈へ笑いかけた。



 ──つい先ほどまでの光景が、鮮明に思い出される。

 今は家事の類も終わり、最近取れていなかった佳奈との時間をのんびりと過ごていた。


 詩織さんと誠二郎さんは二階で作業を。麗香さんはひと足先に先にお風呂に入っている。

 そのためリビングには僕と佳奈の二人。

 テレビから流れるバラエティ番組をBGMに、僕は相槌を打ちながら佳奈の話に耳を傾けていた。


「──なるほどね。じゃあ一週間くらい前から勉強を教えてもらってたんだ」

「そう! 麗香さん、すっごく賢くてね。聞いたらわかりやすく教えてくれるの!」

「麗香さんなら優しく教えてくれそうだね」

「うん、そうなの。最近、一緒にやってからちょっと勉強が楽しくなってきたよ」


 今は佳奈がここしばらくですっかり懐いた麗香さんの話。

 久々にゆっくり話せるのが楽しいのか、麗香さんの話ができてうれしいのか、隣に座る佳奈はにこにことご機嫌な様子だった。

 そんな佳奈に、僕も思わず破顔する。


「随分と仲良くなったんだね」

「うん、そうだよ。麗香さん優しいし、一緒にいて楽しいんだ」


 佳奈は麗香さんの話を本当に楽しそうに話す。

 姉のように慕っていて、それは十二分に伝わってきた。


「あ、でも……──」

「ん、どうした?」


 佳奈は突然言葉を詰まらせる。

 気にかかって僕が聞けば、少し迷いを見せてから答えた。


「あ、ううん。麗香さん、一緒にいてすごく楽しいんだけどね。もうちょっと、軽く呼べたらいいなぁって思って……」


 零れた悩みは可愛らしいものだった。


 佳奈が麗香さんを呼ぶときは、初めの名残かまださん付けのまま。これだけ仲が深まったのだから、もっと親しみを込めて呼びたいのだろう。


「それなら聞いてみたらいいんじゃないかな? 佳奈もいつまでもそれじゃ、堅苦しいだろうからね」

「うん、そうだね。じゃあ上がってきたら聞いてみよ!」


 グッと手に力を込めて気合を入れる佳奈に、僕は小さく笑う。

 そこまでしなくとも麗香さんならいいと言ってくれそうなものだけど、佳奈には結構勇気がいることなのだろうか。


 佳奈にとって麗香さんは姉のような存在。憧れも抱いているように見えるし、遠慮もあるのだろうかと、そんなことを思った。


「そんなに力入れて、いつもどうやって話してるの? というかどんな話をするの?」


 佳奈の普段の様子はあまり知らない。ふと気になって尋ねてみる。

 すると佳奈はムッとした表情で僕を向いた。幼い顔がぷくっと膨らんで、あまり怖くはない。


「それとこれとは別なの! でも、どんな会話してるのかかぁ……。やっぱり、学校のことが多いのかな」

「まぁ、そうだよね」


 かと思えば真剣に思い出す仕草をとる。

 表情はころころと変化して、見ていて飽きなかった。


 佳奈のコミュニケーション能力は人並み以上。

 聞かずとも、その力は十全に発揮しているのかもしれない。


「うーん、でもやっぱり、会話ってその場で浮かんできたことを話すことが多いから、大事なこと以外はあんまり覚えてないや」

「ごめん、そうだよね」


 そりゃそうか。

 僕も一輝との会話の内容はすぐに出てこない。日常会話なんて、印象に残ることでもない限り一々覚えてないものだ。

 野暮なことを聞いたと反省する。


 しかし次に佳奈に顔を向けると、ニコニコと笑顔が僕に向いていた。


「あ、でもお兄ちゃんの良いところは沢山話しておいたよ!」

「……それは話さなくていいよ」


 ピースサインも作り、屈託のない笑みを浮かべる佳奈。

 僕は項垂れそうになるのを抑えてそっと苦笑いした。

 嬉しそうに体を揺らしているのはいいけれど、会話の内容が少し心配だ。


「大丈夫大丈夫! 変なことは言ってないはずだから」


 表情で察したか、佳奈がそう付け加える。

 佳奈がそう言うのなら、きっと変なことは言っていないのだろう。

 一体どんな話をしているんだか。少し気になりながらも、その内容が語られることはなかった。


 ──まあ、佳奈が楽しそうならそれでいいか。


 そう言うことにして、僕は続く会話に耳を傾けた。




 そうしてその後もしばらくとの会話に耽っていると、フローリングを踏む音がリビングに聞こえてくる。

 それに気づいた佳奈は、ガバっと後ろを振り向いた。


「あ、麗香さん!」


 佳奈の声に釣られて、僕もその視線を追うように目を向ける。


 いきなり呼ばれた麗香さんは、不思議そうに首を傾げて立っていた。

 風呂上がりで乾ききっていないのか、艶やかな黒髪は頭上に纏められていて。熱気で上気した顔も合わさりいつもより色っぽさが増している。

 寝巻きは露出を控えた暖かそうな格好で、魅力が引き立ち思わずドキりとしそうなほどだった。


「麗香さんも一緒にお話しよ?」

「いいよ、ちょっと待ってね」


 佳奈が声をかければ、麗香さんは柔らかく微笑んで向かってくる。

 僕たちの座る側面に座ると、佳奈は嬉しそうに麗香さんの隣へ移動した。

 ほんのりと寂しさを覚えた反面、にこにこと笑顔を振りまく佳奈は、本当に仲良くなったようで微笑ましい。


 一息つくと、佳奈は逸る気持ちを抑えるように本題へと入った。


「──それでね、麗香さんのことをもっと親しみを込めて呼びたいんだけどね。でも、どういう風に呼んでいいかわからなくて……。なんて呼んでいいかな?」

「あ、そうなの? うーん、何でも、佳奈ちゃんが呼びたいように呼んでくれたら私は嬉しいよ」


 突然の話でも、麗香さんは親身になって聞いてくれる。

 佳奈はそれを聞くと、少し嬉しそうに頬を緩めた。


「ほうとうに……?」

「うん、もちろん」


 しかしそれでいて、少し緊張した面持ちも伴っている。


 もじもじと様子を見る姿は、勇気を振り絞っているかのよう。

 ギュッと手を力ませて、緊張いっぱいに見つめる。

 そして、意を決したように口を開いた。


「それなら──お姉ちゃんとかでも、いい……?」


 様子を窺うように、可愛らしく首を傾げる。


 麗香さんは目を丸くして驚いていた。

 僕も、ほんの少しだけ驚いた。

 でも同時に、だからこそ佳奈は呼び方を変えることに躊躇ったのだと理解した。


 佳奈は、元からそう呼びたかったのだ。

 ここで暮らし始めたと同時にできた憧れの人に。ずっと相手をしてくれている姉のような存在に。

 佳奈は七瀬家の人たちを、少しずつ家族として認め始めているのだ。


 少しして、硬直が解けた麗香さんは口を開く。


「……いいよ。ちょっと気恥ずかしいけど、嬉しい」

「ほんと!?」

「うん」


 麗香さんは照れながらも柔和な笑みを浮かべる。

 その表情は満更でもなさそうで、次第に優し気な空気を纏っていった。


「やた! これからはそう呼ぶね、お姉ちゃん!」


 佳奈は喜びを隠しきれないように満面の笑みを零す。

 仕舞いには抱きついて、感情を目一杯に表現した。


 ──佳奈と麗香さんの関係も、少しずつ進んでいたのだ。




 ◇




「そういえば、お兄ちゃんはどうしてずっと敬語なの?」


 麗香さんと佳奈の会話をぼんやりと聞いている折。きょとんとした様子の佳奈が僕を見ていた。


 突然振られた話題に、僕は忙しなく頭を働かせる。

 僕にとっては少し、頭を使わなければならない内容だった。


「……お世話になる家の人だから、かな」


 それとなく意味の通りそうな言葉を並べ、僕はふっと息を吐く。

 本当の理由はそれではない。けれど、誤魔化す他なかった。


「そんなの、気にしなくていいのに」

「ほら、お姉ちゃんもこう言ってるよ?」


 二人に嘘をついた罪悪感が苦く残る。

 けれどこれは僕にとっての線引きのようなもので、今はまだ、変えられることじゃなかった。


「……今は、敬語で話すことに慣れちゃってね」

「そっか……」

「もう少ししたら、変えられるように努力してみようかな」


 機微に聡い佳奈は、まだその気はないと悟ったのだろう。

 心なしか、シュンとしているように見えた。


 佳奈としては兄と新たな姉に、もう少しラフな関係になって欲しかったのだと思う。いつまでも他人行儀なのは、妹としては不安だろうから。


 兄として、妹の想いには応えてあげたかった。

 けれどやっぱり、まだ言えそうにはなかった。


 その葛藤がせめぎ合い、僕はほんのりと浮かない気持ちになる。



 すると突然、「あ、そうだ!」と佳奈が声を上げた。


「──お兄ちゃん、勉強は順調?」


 話を変えたかったのかどうかはわからない。

 けれどその元気な一言が、この場の空気を明るく満した。


「……順調、とはいえないかな。昨日始めたところだから」

「そうなの? じゃあさ、佳奈たちと一緒に勉強しない?」


 僕の気持ちを覆い尽くすように、無邪気に身を乗り出して言う。

 その勢いは圧倒されるほどで、気づけば浮かない気持ちは和らいでいた。


「佳奈と一緒に、お姉ちゃんに教えてもらおう?」


 さっきの話を聞いた直後だ。佳奈なりに、麗香さんとの仲を取り持とうとしてくれているのかもしれない。

 そう思うと、あまり無碍にしたくはなかった。


 麗香さんはどうだろうと思って、視線を移す。

 しかし、目が合うと麗香さんは気にすることのないように手をパタパタと横に振った。


「私は全然大丈夫だよ。教えるのも、いい勉強になるからね。……それにほら、そう言うところが気にしすぎなんだよ?」

「ほら!」


 佳奈の真っ直ぐな気持ちは僕に響く。

 裏表のなさそうな表情は、単純に一緒に勉強したいという気持ちもあるように見えた。

 麗香さんに諭されるようにそう言われたこともあって、僕の答えはすぐにまとまった。


「それなら、お願いしようかな」

「やた! 決まりだね!」


 佳奈は跳ねるように喜びをあらわにする。

 これだけ素直に気持ちをぶつけられると、やはりなんだか嬉しいものだ。


 僕はわずかに姿勢を正し、そして麗香さんに体を向ける。


「悪いんですけど、よろしくお願いします」


 何となく申し訳ない気がして頭を下げる。

 その頃にはもう、いつもの調子まで戻っていた。


「ふふっ、そんなに態度を改めなくてもいいのに。でも、任されました」


 畏まった僕の態度とは反対に、麗香さんの態度は柔らかかった。

 そのこれまでの態度との変化が。僕の心の弱い部分をそっと触れたような気がした。



 ──大切な人を作るのが怖いから。


 僕にとって敬語は、人との距離を近づけ過ぎないための手段だった。

 そんなこと、やっぱり佳奈には言えない。心配をかけることは、わかり切っていたから。


 でもそれとは反対に、麗香さんと佳奈とする勉強会。それもすごく楽しみに思っている自分がいた。


 僕は少し、自分の気持ちがわからなくなった。

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