第四話 温かな家庭
七瀬家に着いて、与えてもらった部屋に荷物を運び込んでいく。重い荷物を二階まで運ぶのは大変だったが、話しながらする作業はあっという間に過ぎていった。
賑やかなこの家庭は、僕の体感時間を早くさせる。
住み慣れた家を離れるのはどこか寂しい思いがあったが、それでも今日から始まる賑やかな生活を思えば、期待や不安で寂しさは押し流された。
ある程度の家具を配置すると、時刻はもう夕暮れ時。
細かな整理は少しずつするとして、今日は夕食まで一旦休憩のようだ。
リビングで寛ぐ面々を視界に収め、僕も一息ついた。
いつものように親しげに話す玄さんと誠二郎さん。その横で相槌を打ちながら聞いている詩織さん。
そして、姉妹のように仲睦まじく話す麗香さんと佳奈。
昼にしたお願いを早速実践してくれているのか、その距離は午前中よりも明らかに縮まっている。そのことに嬉しく思いつつ、僕はこの光景を収めるようにスマホを向けた。
──カシャッ、
と小さくシャッターは切られ、僕はフォルダに入った写真を眺める。佳奈を中心に、みんなが家族のように談笑している姿だ。
「──あ、お兄ちゃん! また佳奈のこと撮ったでしょ?」
「あれ、バレちゃったか……」
「もう……!」
ぷんすか怒る佳奈に、僕は小さく笑う。
すぐに僕の行動に気づくあたり、佳奈は結構めざとい。
「言ってくれたらいい顔できるのに、急だとどんな顔してるかわからないじゃん!」
「ごめんごめん」
そこなのか、とズレた佳奈を思いながらも小さく謝る。
悪びれずに言うと、佳奈は恥ずかしそうに非難の目を向けてきた。
僕たち兄弟のやり取りに、七瀬家と玄さんは楽しそうに笑っている。喧嘩とも言えない範疇だが、次第に佳奈もおかしく思ったのか、一緒になって笑っていた。
この家に来て初めて撮った写真。
佳奈の成長を収めるのも、今は僕の役目だった。
◇
時間はさらに過ぎ、詩織さんと麗香さんは夕食の支度を始めている。
そんな中僕は暇を持て余し、みんなの話を聞いていた。
忙しなく動く詩織さんを見て、「手伝います」と言ってみたのだが、「主役は休んでて」と軽くあしらわれてしまったのだ。
歓迎会は本当だったらしく、夕食は豪華なものにしてもらえるらしい。
いつもなら料理は僕の役目だったため、なかなかに落ち着かない状況だった。
──これからはこの生活が当たり前になるのか。
そう思うと、嬉しくもあり寂しくもあった。
夕食は基本詩織さんが作ると言っていたし、僕主体で作ることは少なくなるだろう。
負担は減っていいのかもしれないが、夕食を作るために一度帰ってきたあの日々が無くなるのは、少し寂しいとも思う。
勿論何もない日は手伝う気でいるが、これからは夕食の時間もバイトに充てるかもしれない。
その方が、無駄な軋轢を生まずに済む気がしたのだ……
──コトン、
と目の前に料理が配膳される。
物思いに耽っていたからか、気がつかなかった。
見ると、麗香さんが盛り付けられた料理を運んでいて、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
せめて配膳くらいは……、そう思って僕は腰を浮かせた。
麗香さんの華奢な腕には少し重そうだった。
「配膳、手伝います」
「あ、うん……。お願い」
昼前に話し込んだとはいえ、まだまだ仲はぎこちない。
あの優しかった笑みも今はなく、最低限の距離は取っている印象だった。
信用や信頼が欲しいわけではないけれど。
どうしたら安心して過ごしてもらえるだろうかと、僕は頭を少し悩ませた。
◇
食卓に並んだ豪勢な料理を見て、僕たちは目を瞠った。
隣に居る佳奈も目を白黒させていて、こんなにも料理が並んだのはいつ振りだろうかと思い起こす。
佳奈との食事は二人分しか並ばず、テーブルが埋まるほどのことはなかった。祝い事は欠かさなかったが、それでもここまで並ぶことはなかったのだ。
全員が席に着くと、誠二郎さんはみんなに労りの言葉をかけて食べることを促す。
先陣を切って佳奈が「いただきます!」と元気に言うと、それを微笑ましく思いながら各々手を付け始めた。
「いただきます」
僕もそれに続くように箸をとり、取り分けていく。
唐揚げやローストビーフ、色彩豊かなサラダにスープまで。他にも様々だが、和と洋入り混じっているのはきっと好みが合うための配慮だろう。
一目見て手の込んでいると分かる料理に、かなり張り切ってくれたのだとわかる。
「……あ、おいしい」
一口食べて、思わず呟く。
誠二郎さんが自慢したくなるのも良くわかる美味しさだった。外食を除けば久々に食べる手料理に、ぽかぽかと心が温まっていくような気がした。
隣の佳奈も、普段食べない料理の数々に嬉々として口に入れていく。
「おいしいです! すごくっ!」
興奮気味に伝える佳奈に、作った詩織さんと麗香さんは照れくさそうに笑った。
「ふふっ、佳奈ちゃんの口にあったならうれしいわ。もし苦手な物とかあったら教えてね?」
「はい! でも昔から好き嫌いのないようにって言われてるので、苦手な物はないです!」
「へえ、えらいんだね」
えへへ、と笑う佳奈は、それを示すかのようにサラダのトマトを頬張った。
好き嫌いのないように、そう教えたのは亡くなってしまった母親だ。幼いころに言われてから、今も佳奈はそれを守り続けている。
きっとこの様子が見られたら、母親も喜ぶだろう。
甘やかしたがりな父親は、曖昧な笑みを浮かべているかもしれないが。
賑やかな食卓は、そんな風に佳奈を中心として話が広がっていく。
佳奈が話を振れば詩織さんが積極的に聞いて、たまに誠二郎さんたちが口を挟む。その中に僕も混じって、佳奈と一緒に話に巻き込まれて……
各々が食べ物を口に運びながらではあるものの、食卓は会話が弾んでいく。直前に両親を思い出したからか、その光景はなんだか懐かしいように思えた。
──ああ、昔はこんな感じだったんだ……
話を始める僕と佳奈に、それを聞いて答える両親。今では僕が聞く側になっているが、そんな昔の記憶が蘇る。
その頃から佳奈は、母が作った料理を美味しそうに頬張っていた。
母の料理とは少し違うけれど、今ある姿はあの時と同じだ。そのことを思うと、どうしようもなく心を穏やかな気持ちが占めてくれた。
久し振りの豪華な料理だからか、驚異的なスピードで小皿に取っては食べるのを繰り返している佳奈は、それはもう微笑ましく見守られている。
遠慮もなしに美味しそうに頬張る姿は愛らしいが、僕としては初日からこれでは気が気でなかった。
できることなら見守っておきたかったが、このまま放っておくのもどうかと思い一応声をかける。
「佳奈、遠慮って知ってる?」
「うん、知ってるよ?」
「なら少しは遠慮しようか」
佳奈のあまりの食べっぷりに流石に小言を言いたくなった。
「……あ、えへへ。美味しくてつい、ね?」
周りには聞こえないように、そっと溜息を吐く。そういう所も佳奈の魅力なのだろうから。
だけど、僕の心配とは反対に誠二郎さんの声音はとても明るかった。何も気にしていないかのように、朗らかに告げる。
「いやいや、全然遠慮しなくてもいいんだよ。佳奈ちゃんの食べっぷりは作り手冥利に尽きるだろうからね」
「そうね。佳奈ちゃん見てたら作って良かったって思えたわ」
そう言って笑い合う誠二郎さんと詩織さん。その眼差しは、本当の娘を見るような穏やかなものだ。
──この調子なら、佳奈はすぐに馴染めるかもしれない。
一番心配していた佳奈が馴染めるかの問題も、気がつけば早々に解決しそうだった。
元々佳奈は社交的でコミュニケーションも取れるから大丈夫だろうと踏んでいたけれど、心配なものは心配だったのだ。
杞憂だとわかり、ご飯を頬張る佳奈を今度こそ微笑ましく見守る。
すると誠二郎さんが今度は僕に向き、口を開いた。その眼差しにはどこか、温かい感情がこもっている気がした。
「優くんも、遠慮はしなくていいからね。──君たちはもう、家族みたいなものだからさ」
「──ッ……」
この人たちは、どうして……。
どうして、少し前までよく知りもしなかった他人にそんなことが言えるんだろうか。
僕たちが信用されているからだろうか。玄さんの親戚だからだろうか。僕たちの境遇に、同情されたからだろうか。
その理由は何だっていい。
だけど、この家なら……
昔みたいな楽しい日常にも、戻れるのかもしれない。
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