第三話 榊原優の想い
積み込み作業が始まったのは、翌日の朝方からだった。
既に玄さんと麗香さんたちは手伝いに来てくれていて、あらかじめ梱包しておいた荷物は着々と軽トラに運び込まれている。
この調子なら、昼前には終わりそうなくらいだ。
その間僕は、時間のかかりそうな組み立て式のベッドを解体していた。
誠二郎さんはベッドも新しく用意するよと言ってくれたが、何から何まで尽くしてもらうのは申し訳が立たない。
手間は増えるが、その分節約はできる。
黙々と作業をしていると、僕の部屋の入り口付近で立ち止まる人影があった。
手を動かしながらも、横目で意識する。
しかし話しかけてこないことに気づいて、僕から声をかけた。
「手伝いに来てくれたんですか?」
「……うん」
ありがとうございます、と一言答えると、麗香さんは一歩中へ踏み込んできた。
作業の手を止めようとするも、やんわりと制止される。
まだ僕との関わりは慣れていないのか、その反応はどこかよそよそしい。
実の所、僕も少し気まずさを感じているのだから、麗香さんと変わらないけれど。
「これ、持っていっていいやつ?」
その声に横目で見ると、隅に固めて置かれた荷物を指差している。
「はい。運んでもらえるとありがたいです」
「わかった。近くのやつから運んでいくね」
「ありがとうございます」
感じのいい笑みを見せると、手頃な紙袋を二つ手に取ってそのまま部屋を出ていく。
中身が見えてしまうことを気にする素振りがあったけれど、見られて困るものは一切ない。
僕の部屋に、使う物以外は置いていない。
そのまま二度、三度と事務的な会話はだけを交わして、麗香さんには運んでもらう。
しかし荷物があと一箱になったところで、思いのほか早く終わりそうなのか、あるいはこの空気にいよいよ気まずくなったのか、次に声をかけてきたのは麗香さんだった。
「荷物、これだけ?」
「はい、僕の部屋はそれとこのベッドだけです」
「そうなんだ。……なんかちょっと、少ない?」
遠慮がちに言われる。
事務的とは明らかに違う会話に、僕は僅かに手が止まった。
そしてその内容に、小さく苦笑いした。
「趣味がないから、かな……。多分、そのせいだと思います」
当たり障りのない言い方をして、表情を悟られないように作業に戻る。趣味に費やす時間がなかったことは、わざわざ言うようなことじゃない。
重くなる気分とは反対に、努めて明るく話すと麗香さんは納得したように頷いた。
「なるほどね。……先に佳奈ちゃんの部屋に行ってきたのもあるかも」
「確かにそれはありますね。佳奈ってなんでも持っていこうとするんですよ」
荷物を整理していた時を思い出して、思わず笑みが溢れた。
幼いながら家庭の事情をある程度理解している佳奈は、欲しいものを欲しいとは言わない。そんな様子を見て、できるだけのものを買ってあげようとしたのは僕だ。
なんでも持っていこうとする佳奈に、注意しつつも嬉しかったのはよく覚えている。
「佳奈には遠慮なく買い与えすぎたかもしれませんね」
その言葉に、麗香さんは小さく笑う。
「私も整理したらあれくらいになるだろうし、そんなことはないと思うよ。……でも、いいお兄ちゃんなんだね」
先ほどまで浮かべていた他人行儀の笑みとは違う。
優しく微笑んで、麗香は荷物を片手に部屋を出て行く。
しかし僕は、その言葉に安堵したと同時、ただ固まることしかできなかった。
──いいお兄ちゃん。
佳奈を寂しがらせてばかりだった僕は、本当にいい兄でいられているのだろうか……
そんな事ばかり、疑問として頭に残る。
ここまで大して佳奈にしてやれたことはなかった。
充実した生活を送れるように努力はしたが、寄り添ってあげる時間は少なかった。
欲しそうな物はできる限り買ってあげたが、遠出は一度もさせてあげれなかった。
僕が頑張れば頑張るほど、佳奈には寂しい思いをさせるのだ。
いい兄である自信は、あまりない。
今までの決断が良かったのか、その答えも出なかった。
だけど、佳奈を寂しくさせないように、という思いはより一層強まって、思い浮かんでいた案を実行する決断はできた。
◇
解体したベッドの土台を、壁に沿って置く。
慣れない作業に小一時間ほどかかってしまったが、僕にとっては上出来だった。
あとは運ぶだけとなり、後ろで待ってくれていた麗香さんは手伝いに来てくれる。
しかし僕は、そんな麗香さんに一つだけ言っておきたいことを思い出した。
「──麗香さん」
「っ……はい」
急に声をかけたからか、ピクリと跳ねる肩に申し訳ない思いが込み上げてくる。緊張で固くなった声には警戒が見てとれた。
すみません、と一声かけて僕は言葉を繋ぐ。
「少し佳奈のことで話があるんですけど、いいですか?」
「……佳奈ちゃん?」
「はい」
佳奈の名前に空気が和らぐ。
疑問はあるみたいだが、その反応だけで、少なからず佳奈には悪い印象がないことはわかった。
「佳奈は迷惑とかかけてませんか?」
「ううん、全く。話していて楽しいよ」
逡巡の迷いもなく、言い切ってくれた。
よかった、と素直な感想が溢れる。
「佳奈とは仲良くなれそうですか?」
「うん、全部本音で喋ってくれてる気がするし、仲良くなりたいと思うよ?」
それにも内心でよかった、と言葉にした。
麗香さんは首を傾げる。
突如始まった佳奈のことばかりの質問責めに、「急にどうしたの?」とその顔には書いてあった。
だけどその質問は、少なからず僕にとっては大きな意味を持つ。
「一つ、お願いを聞いてほしいんです」
「……うん」
大事な話だと伝わったのか。
今度は不安げにこくりと頷くだけだった。
呼吸を整えて、頭の中を整理する。
そして、吐き出すように僕の思いを語る。
「──佳奈のこと、できる限り側で見てやってくれませんか?」
「…………」
目を見て、はっきりと口に出す。
これは両親を亡くしてから今に至るまで、僕が思い続けてきた事だった。そして、七瀬家に住ませてもらう上で、最も重要としてきたこと。
「ずっと一人にして、ずっと寂しい思いをさせてしまったから。だから、せめて誰か側にいてやって欲しいんです……」
できる限り側にいたいけれど、僕は生活のために側にいてあげれることが少ないから。
家に帰って寂しい思いをしないように、誰かついていて欲しかった。誰かに支えてあげて欲しかったのだ。
「面倒だと思ったら断ってくれてもいいです。……でも、ちょっとだけでもいいので、気にかけてもらえませんか?」
自分勝手な思いだと思うけれど、それでも──
「……すごいね、榊原くんは」
その言葉に、ハッと顔を上げる。夢中になって、いつの間にか下を向いていたみたいだ。
目の前では麗香さんが、心なしか優しい目でこちらを見ていた。
「そんな想いを知って、断るなんてできないよ」
「……ずるいですよね」
僕のその言葉に、麗香さんは首をふるふると横に振った。
「それだけ佳奈ちゃんのことを大切に思ってるってことでしょ?」
「……はい、誰よりも」
「うん、それをずるいなんて言えないよ」
同情を誘う言い方にも関わらず、優しく応じてくれる。僕に対しての警戒は見てとれたのに、それでも聞いてくれたのは麗香さんが優しいからだ。
きっとそれが、麗香さんの魅力なのだろう。
「わかった。佳奈ちゃんのこと、できるだけ側で見てるね。元から仲良くなりたいとは思ってたから、その延長だけど」
その言葉は、今の僕にとっては十分──いや、それ以上だった。
少し卑怯だったけれど、全て本心から出た言葉。これで佳奈が寂しい思いをしないのならば、それ以上のことはない。
「……ありがとうございます」
安心からか、ふっと頬が緩んだ。
麗香さんが珍しく驚いた表情をしたあと、すぐに優しく微笑んだ。
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