第二話 七瀬麗香という少女

 ──七瀬麗香ななせれいかという少女を初めて見たのは、入学式のことだった。


 僕の通っている高校では、新入生代表が入学試験の結果によって決まる。

 県内有数の進学校ともなるとそのレベルは高く、そんな中見事一位の成績を残し、代表挨拶をしたのが彼女だった。


 総勢七百名近くの生徒や保護者、そして教員が集まる中。

 名前を呼ばれたと同時に立ち上がり、腰まで伸びた黒髪をさらさらと揺らしながら、洗練された動きで中央まで進んでいく。


 整った顔立ちに大きな瞳、凛とした表情を浮かべていた彼女に、館内の全員が見惚れていたように思えた。

 代表挨拶を読み始めた後も、緊張を感じさせないその声にみな聞き入っていた。


 それ程までに、彼女の美しさは群を抜いていたのだ。




 そして、彼女の人気はここで止まらなかった。


 入学式の凛々しく話しかけるのすら躊躇われるような雰囲気とは変わり、教室での彼女は柔らかく話しかけやすい雰囲気を纏っているらしい。

 入学式の彼女を「綺麗」だとするのなら、普段の彼女は「可愛い」だろうか。


 噂によると運動もできるらしく、隙らしい隙は一切見当たらない。


 誰もが見惚れる美貌に、勉学も運動もできる。スタイルもよく、男子からは欲望の眼差しを、女子からは羨望の眼差しを受けていた。

 まさに「完璧」という言葉が似合う少女が、七瀬麗香なのだ。


 男子を避けている節があるらしいが、それでも彼女の人気は止まらない。

 その完璧さ故に距離をとられていることも多々あるが、それでも七瀬麗香が学校で一番の人気を持つようになるのは時間の問題だった。

 


 そんな完璧な彼女だからこそ、僕は関わることはないだろうと思っていたのだが──




 ◇




 一通りの挨拶が終わると、ソファーに座ることを促された。きっと、この家の大まかなルールを決めるのだろう。

 テーブルを中心にコの字型になっており、右手に誠二郎さん、対面に詩織さんそして麗香さんだ。


 麗香さんの呼び方に関しては、家では名前で呼ぶことが決まった。学校で苗字呼びなのは、話がややこしくなりそうだから。


 中間にいる誠二郎さんが仕切る形で、話し合いは和やかな雰囲気のまま始まった。


「そういえば、荷造りはもう終わったかい?」

「はい、ベッドとかはまだですけど、他は運ぶだけの状態です」


 今日はただの顔合わせだが、明日は荷物を運び込んでこの家で暮らすことになる。

 生活必需品以外の梱包は、昨日のうちに終わっていた。


「そっか、それならよかったよ。大きい荷物もあるだろうし、僕も明日は手伝いに行くよ」

「……え? いやいや、それは悪いです」

「これから一緒に暮らすことになるんだ、これくらい遠慮しなくてもいいよ。……それに、玄さんとも少し話したいしね」


 玄さんと話したいと言われると、強くは出られない。


 明日の積み込み作業には玄さんにも手伝ってもらうことになっている。軽トラをレンタルし、その荷台に縛り付けて運ぶのだとか。


 僕はまだしも佳奈は荷台に荷物をあげるだけでも苦になるはずだ。

 申し訳ないと思いつつも誠二郎さんの力を借りれるのはありがたかった。


「人手は多い方がいいだろうし、麗香も手伝ってくれるかい?」

「うん。明日だよね?」

「そうだね」

「わかった、早く起きるようにするね」


「あの、そんなに多くないですよ……?」


 すんなりとまた一人手伝いが決まる流れに、僕はつい口を挟む。特に麗香さんの場合、若干の気まずさが僕の中にあったから。


 運ぶのが大変と言っても、一人で運びきれないのは組み立て式のベッドくらいのものだ。

 他は段ボールや袋に詰め込んでいるため、一人でも十分だった。


 しかし僕の申し訳ない思いとは反対に、挟んだ言葉は一蹴される。


「明日はこっちの家でも忙しくなるだろうからね。積み込みが早めに終わるほどいいんだ」

「まぁ、そう言うことなら……。ありがとうございます」

「気にしないで」


 僕はちらりと麗香さんの顔色を窺うも、嫌そうな顔はしていなかった。


「それなら私は二人の部屋を綺麗にしておくわね。それで明日は優くんと佳奈ちゃんの歓迎会にしましょ」

「うん、そうだね」

「二人のために腕によりをかけて料理するわ」

「よろしく頼むよ。疲れた後に詩織の料理を食べれるのは最高だね」


 その会話だけで、夫婦の仲が伝わってくる。

 お互いに微笑みかけるその姿は、お互いのことを信頼し合っているんだと一目でわかった。


 詩織さんの作るご飯は、きっと美味しいのだろう。

 誠二郎さんの幸せそうな表情を見るに、それを察するのは容易だった。

 普段自分で作ってばかりの僕は、他の人の料理を食べる機会が少ない。それに大人数で食卓を囲むのは久々のことだ。

 今から明日のことが、少し楽しみに思えた。


 そして、


 ──僕の両親も、こんな感じだった……


 二人のやり取りを見ていると、なんだか懐かしい気持ちを思い出す。

 僕と佳奈をよく見てくれる、良い両親だった。


「料理するときは私も手伝うよ」

「あら、ありがとう麗香」


 誠二郎さんと詩織さん。優しい二人の子だからこそ、よく出来た子に育つんだろうな……。

 今もなお愛をもらい、それを返せている麗香さんが、少し羨ましかった──




 ◇




 終始和やかな雰囲気のまま進行し、会話は雑談に移った。


 さっきまで静かに聞いていた佳奈も、緊張が解けてきたのか会話に混ざるようになっている。


 特に麗香さんの話は関心が強いようで、新しい姉のような存在に早くも興味津々だった。

 さっきも真剣な話の傍ら、しきりに対面に座る麗香さんをキラキラとした目で見ていた。あれはきっと、仲良くなりたいという表れなのだろう。


 佳奈にその意思があることに、僕は少しばかり安堵した。


「優くんは麗香と同じ高校だったね。学校で関わりはあったのかい?」

「あ、佳奈も気になります!」


 話の中。一つの話題として、高校が上がる。

 普段その手の話はしないのか、麗香さんの表情には僅かに影が差した。

 しかしそれも束の間、すぐに元の微笑に戻る。


「ほとんどないですね。たまに見かけるくらいです」

「うん。体育の授業で会うくらいかな……?」

「ですね」


 体育の授業だけは一組と二組の合同で行われる。麗香さんが一組で、僕が二組だ。


「じゃあ会話するのは今日が初めてって感じなのか。……できれば仲良くしてね、って言いたいところなんだけど──」


 麗香さんを一瞥して、誠二郎さんが言い淀むのは、それが簡単なことではないとわかっているからだろう。

 男子を避けている節のある麗香さんに、それを求めるのは酷というもの。

 しっかりと娘を見守っている父親が、それに気が付かないはずもなかった。


「それはゆっくりでいいか。まずはこの家での生活に慣れていってくれると嬉しいよ」

「はい、と言ってもみなさん優しいので、すぐだと思いますけどね」

「それは、嬉しいことを言ってくれるわね」


 詩織さんが優しく笑うと、誠二郎さんも穏やかに笑った。


「まぁ二人ともしっかりしているし、そんなに心配はしていないんだけどね」


 何か心配事があればいつでも言うんだよ、と誠二郎さんは最後に言うと、雑談はお開きの流れになった。

 あとは部屋の案内をしてもらって、今日のところは解散だ。


 各々立ち上がる中、もう一度麗香さんを見る。目があって、いつも通りの微笑みを返された。

 そこには確かな壁があって、仲良くなる未来は到底予想がつかなかった。


 無理に仲良くしよう、とは思わない。

 でも、全く関わりを持たないなんてことは不可能だ。ここで関係ができてしまった以上、これから更に関わることは必ず増える。


 だから、あくまで僕はお邪魔している立場を忘れずに。それでいて麗香さんが安心して過ごせるように。


 僕はこれからの態度で、それを示していく必要があるのだと胸に刻んだ。


 せっかく得た機会。

 佳奈にはなんの心配もなく過ごして欲しい。

 今もなお話しかけようか迷っている佳奈を見て、強くそう思った。

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