第一話 予期せぬ出会い
駅のロータリー付近。
九月も半ばが過ぎ、未だに残る夏の暑さを感じながらも七瀬さんを待つ。
その僕の隣では、落ち着かない様子でポニーテールが揺れていた。
小柄な身体にそわそわと落ち着きのない仕草。緊張を目一杯表したのは、三つ下の妹──
「佳奈。ちょっと落ち着きないよ」
「わかってるよっ。でもやっぱり緊張するものは緊張するの……!」
佳奈がここまで言うのには理由がある。
僕ら兄妹は一週間悩みに悩み、七瀬さんの提案を受けることにしたのだ。
この話に最も信用できる玄さんが関わっているというのもあるけれど、それでも自分たちなりに考えて下した決断。
佳奈の寂しさを少しでも和らげられるように、佳奈が少しでも快適に過ごせるように。
──そして、佳奈が少しでも愛情を受けられるように。
七瀬さんは言わずもがな、奥さんも娘さんもいい人だと普段聞いている話から伝わってくる。
だからきっと、この話は佳奈にとっていい変化になる。それを確信できたからこそ、僕も受ける決断をした。
──この話、受けよう!
最後にそう言った佳奈も、不安と緊張をないまぜにしながらも楽しみそうだった。
「まぁ緊張する気持ちはわかるけど、七瀬さんが来たらちょっとは落ち着くようにね」
「うん、頑張ってみる……!」
可愛らしくぎゅっと握ったこぶしを見て、この調子なら大丈夫だろうと目を外す。
そわそわと落ち着きはないものの、その目には確かに期待の色が浮かんでいる。社交的な佳奈はなんだかんだで上手くやっていけるだろう。
今日は七瀬家との顔合わせ。
七瀬さんの家族の紹介。自宅を案内してもらうことになっている。
新しい生活が今、始まろうとしていた。
◇
「こんにちは。優くん、佳奈ちゃん」
あれから数分が経ち、到着した七瀬さんは緊張を感じさせることなく気さくに声をかけてくる。
柔らかいその笑みは、こちらの緊張が解けそうなくらいだ。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
「あ、お願いします!」
慌てて僕に倣う佳奈に、七瀬さんは小さく笑う。
「うん、こちらこそよろしく。今日は軽く顔合わせるくらいだし、そんなに硬くならなくていいからね」
佳奈の緊張なんてとっくに見抜かれていたようで、佳奈は恥ずかしそうに頬をかいた。
以前佳奈と七瀬さんは会ったことがあるが、それでも数えるほど。まだ佳奈にとっては緊張する相手らしい。
その後軽く七瀬さんから今日の予定を耳に入れ、僕たちは足並みを揃えて歩き出す。
「──案内するから、着いてきて」
道中はたわいもない話で溢れていた。
学校での出来事や普段の生活、それに食の好みなど。
これからの生活を円滑に進められる配慮と合わせながら、佳奈が早く打ち解けられるように話しかけてくれている。
そんな様子に、僕も初めの頃はこんな感じで話しかけてくれたな、と少し前の記憶を思い出した。
初対面でもスラスラと話題が出てくるのが七瀬さんの魅力なのだ。
時折笑いが起こりながらも会話は終わることを知らない。
佳奈がこうして楽しそうに会話している。ただそれだけなのに、なんだか嬉しかった。
しばらく住宅街の中を談笑しながら歩き続けると、七瀬さんは不意に足を止める。振り返って横に腕を伸ばす姿は、何かを披露するかのようだ。
「よし、到着だね。──ここが僕たちの家だよ」
つられて見た先、そこには一際立派な家が建っている。
「おおー、立派な家ですね!」
「おお……」
二階建ての温かみのある外観に、軽く駆け回れるだけの広さを持つ外庭。整ったイメージがありながらも生活感を感じさせるそれは、まさに理想の家とも言えそうだった。
佳奈の素直な感想と同意見で、思わず僕も呼応するように感嘆の声が漏れる。
「なんかこう、素直に褒められると照れるもんだね。ここで立っててもあれだし、中に入ろうか」
照れ臭そうに頭をかきながら、家主の七瀬さんは僕たちを先導するように門をくぐる。
その時視界に映った、表札の
玄関の扉を開けると、迎えてくれたのは綺麗な女性だった。
長く伸びた黒髪に、嫌に思わないくらいの上品な身だしなみ。七瀬さんの奥さんだというのはすぐにわかった。
しかし同時、胸の中で何かが引っかかるような気がした。
「こんにちは、優くんに佳奈ちゃんね。旦那から話は聞いているわ。
鈴を転がすような声に、上品な仕草のお辞儀だった。落ち着いた佇まいでありながら、向けられている優しい笑みは七瀬さんと同じように暖かい。
その一挙一動になぜか既視感のようなものを覚えながら、僕と佳奈も挨拶をすべく姿勢を正した。初対面で緊張してしまっている今、余計なことを考えている余裕はなかった。
「はい、これからお世話になります。よろしくお願いします」
「あ、えっと、よろしくお願いします!」
ガバッ、と頭を下げる佳奈はよほど緊張していたのだろう。
詩織さんはその元気な挨拶にくすくすと笑みを湛えた。
「ちょっと固いみたいだけど、少しずつ慣れていってね」
「うん、そうだね。……あ、ちなみにだけど僕も名前で呼んでくれていいからね。はじめは誠二郎さんとでも呼んでくれると嬉しいよ」
家に着いたからか、誠二郎さんも名前呼びを勧めてくれる。
七瀬さんでは混乱を起こすかもしれないし、その申し出はありがたかった。
「はい、誠二郎さん!」
「うん、なんだい」
佳奈の元気な呼び声に、誠二郎さんはにこりと笑う。
玄関先での挨拶はひとまず終わり。
にこやかに談笑しながら、あげてもらうことになった。
一人いるという娘さんは中で待っているのだろう。僕はそのことに一番の緊張を抱えて、靴紐を解く。
一番気難しいのは、多分娘さんだと思うから。
「それじゃあ麗香も待ってるだろうし、早めに行ってあげようか」
「ええ、そうね」
──……え?
しかし、麗香という名前を聞いて僕の体は固まった。手元が狂ってしまうほどに動揺が隠し切れない。
同い年だからとか、異性だからとかではない。
僕が一番気を使うべき相手は娘さんだってことは一番わかっていた。でもだからこそ、その名前は予想外だった。
七瀬麗香。
学校事情に疎い僕でも知っている。いや、きっと高校にいる誰もが知っている。
だって彼女は──
「お兄ちゃん? 遅れてるよー!」
「……ん? あぁすみません!」
呼ばれて、一気に現実へと引き戻される。
見ると、少し先にいる三人が心配そうに僕を見ていた。
迷惑だけはかけないようにと思っていたのに、これじゃ僕が一番迷惑だ。
ふとした瞬間に陥りそうな思考を追いやり、急ぎ靴を揃える。
三人の元へ足早に向かった。
いくら立派な家だと言っても、客間までの距離は直ぐそこだ。
その短い距離を、身体中に鼓動を響かせながら歩く。ドクンドクンと、うるさいくらいに。
胸の引っかかりも、既視感の正体も。もうとっくに分かりきっていた。
詩織さんがリビングに続く扉を開ける。
そして、その先。
静かに座る少女を見て、僕は息を呑んだ。
隣の佳奈からも「わっ……」と魅了されたように声が漏れる。
それほどまでに、彼女は特別なのだ。
少女は振り返り、立ち上がる。
その仕草一つ一つが既視感と合致して、初めて彼女を見た時を思い出す。
その時は制服だったが、今の落ち着いた装いはその光景をまざまざと思い出させた。
柔らかい雰囲気でお辞儀して、そのあとしっかりと目があった。
紹介されなくともわかる。
僕は彼女を知っている。
「……
だって彼女は、学校で一番有名と言っても過言ではない少女なのだから。
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