いつもの日常。命の授業
2258年。場所は日本。
2145年の第三次世界大戦終戦から100年以上が経ち、世界はもう一度輝きを取り戻した。
戦後、日本の復興は目まぐるしいものであり、8地区主要都市の札幌、仙台、東京、金沢、名古屋、大阪、広島、福岡に核兵器が使用されたにもかかわらず、元に戻るまで50年もかからなかった。核戦争を予知した政府の行動か。
まったく皮肉なものだった。
北海道札幌市に住む、
「今日は短縮授業?」
声の主は一家の家庭用愛玩アンドロイド「PE-087T」須郷家では彼のことを「アーク」と名付けた。彼が来たのは幸生が3歳の時。物心つく前からの仲なのでお互いに幼馴染という感じである。
「そーなんよ。スッゲータイミング悪いっているかなんていうか。どーせなら下校時間のほう短くしてくれりゃいいのに。」
幸生がほざくと、アークはふふっと笑いながら言った。
「仕方ないよ、戦後の教育改革で登校時間を遅らせるほうで短縮授業するようになったんだから。」
人間のように会話しているように見えるが、実際、アンドロイド技術の進化は目まぐるしい。人工皮膚の質感も良く、体温を感じることもできる。何より音声ソフトと言語野での思考プロトコルの完成度がかなり高い。うなじのところにあるシリアルプレートとメンテナンス用のメモリスロットさえ見なければ人間との区別はまったくと言っていいほどつかない。
「じゃ、いってくるね。留守番頼んだー」
軽いノリで言い放った幸生はオートロック式の扉を慣れない手つきで開け、学校へと向かった。
これと言って学校はすることがない。まさに暇そのものである。入学したての頃なら、「学校探検だー!」とか言って一人で学校中走り回っていたのだが、すでに校内を覚えてしまっているのでいよいよやることがない。授業も正直つまらないし午前中はとにかく暇だった。そして迎えた昼。ここで幸生は致命的なことに気づく。
―― 弁当が、、、ない ——
そう。母親が作ってくれた弁当を忘れてきたのだ。まさに致命的。「家帰ったら速攻冷蔵庫だな」とか、至って冷静を装いながら考えていた。
午後の授業は空腹との闘いだった。普段は眠気との闘いなのだが。
授業は道徳。「命」についてだった。殺処分される動物や、食用として加工される動物、ほかのヒトの心も大切にしよう、などという授業だった。
「命...か。」
幸生は少しの違和感を覚えた。
「それでは授業を終わります。各自この授業のポートフォリオ*を次回の授業までにPDFで提出するように。」
*ポートフォリオ...レポートのようなもの。授業反省。
友達関係があまり盛んでない幸生は普段、授業が終わるとそそくさと帰路に就く。いつもなら速攻で自宅に帰るのだが、この日は少し回り道をして帰ることにした。幸生は自分がいつもと違う思考をしている。それに気づいていた。
(命...?さっきの授業でいろいろ資料見たけど...まったく何も響かなかった...。なんでだろう...。ッグ!)
完全に思考の渦に飲まれていた。そこが罠だった。
よみがえる過去の記憶。幸生の中で完全にしまい込んでいた嫌な記憶が一つ一つ現れては消えていく。
3年前まで、幸生は児童養護施設に預けられていた。
幸生自身、預けられたことは覚えているが、どんな理由で預けられたのかはわからなかった。小学生になる前、両親から正しい愛を与えられていなかった。早々に父親を失くし、片親のもとで育った幸生は母に甘えることができずにいた。3歳の時に来た「アーク」の存在。それは母からの幸生を思うプレゼントだった。
だが、幼稚園で周りの子と馴染むことができず、持ち上がりで入学した小学校でも、「父親がいない」「片親」「貧乏」という理由でいじめられていた。それに耐えきれなかった。さらには、施設でもいじめられるようになった。加えて施設職員からの扱いの悪さ。何度も何度も心が折れそうになりながらも不登校にはならず、ひたすら勉強というツールに没頭することで受け流していた。だが人間にも限度がある。遂に耐えきれなくなり、精神病を患うようになった。病院にこそ通わなかったものの、蓄積したダメージは大きかった。それを覆い隠すように分厚い心の蓋が記憶を塞いだのだ。
今回の命の授業を機に「命の平等さ」について考えさせられることになった。
(すべての命が平等で美しいのなら、なんで俺はあんな目にあったんだ。結局は綺麗事だったのか。守るのにふさわしい命はなんだ。)
幸生は9月のよどんだ晴れの中で強い西日に刺されながら自宅に帰る。しかし、足取りは驚くほどに重い。学校から自宅まで回り道をしても10分もかからない。なのにこの日ばかりは普段の3倍掛かった。考え込む幸生に一人の男性が声をかける。
「今日は遅くない?気になって見に行ったけどいつもの通学路にいないし、学校行ってももう帰ったって言われたし...もしかしてと思ってこっち来たら見つけた。なんかあった?」
このやさしさに満ち溢れた声の主は「アーク」だった。どうやら幸生のことが心配で留守番さえ投げ出して探しに来てくれたのだろう。アンドロイド、もとい、ただの機械のはずなのにやさしさだけは一級品だなと皮肉に幸生は思った。
「ん-、とくには。ちょっと回り道してもいーかなー、なんてね。ははは笑」
幸生はゆがんだ笑顔を貼り付け返答する。だがそんな強がりはアークに通じない。
「絶対なんかあったでしょ。学校で問題でもあった?幸生が悩んだり落ち込んだりすると必ずと言っていいほど帰り道はこっちだからなぁ(笑)」
3歳から一緒ということもあり、アークは幸生のこれまでの事情はほぼ覚えているし、記憶領域が優秀なため、ウソなどこれっぽっちもつくことができない。それに加え、アーク、もといPE-087T型はセラピストモデルと言って、ほかの家庭用愛玩アンドロイドよりも傷ついた心を癒すことが得意なのだそのことを差し置いてもアークのセラピスト能力は異常といっていいほどに高い。
「実はさ、午後の授業で命についてやったんよ。すべての命は平等だーとか、すべての命は大切にしようーとか。でもさ、全っ然響かなくてさ。もし命がすべて平等で大切なら俺が今まで受けてきた仕打ちは何なのかな、って。自分でもわけわかんなくなって。いろいろと昔のこと思い出したよね笑」
精一杯の強がりで放ったこの言葉。アークにはどう聞こえているだろう。どう届いているだろう。そもそも機械に命なんてあるのだろうか。
帰ってきた答えはこれだった。
「命ってさ、2種類あると思うんだ。まず1つ目。”生きるための命”これは例えば人間の命とか、意思が明確でなおかつ知能が高い生物が持つもの。で、2つ目。”利用される命”こっちは食用動物の命とか、犬とか猫とかハムスターみたいな愛玩動物、要するに”生きるための命”が利用されるために生きる命あるいは生かされる命。この二つだと思う。で、幸生が今まで受けてきた仕打ちの数々は、周りが君を”生きるための命”として見てなかったからじゃないかな。その子たちの思考を考えるなら、『片親なら価値がない。なら自分が気持ちよくなるためにいじめてもいい』みたいな感じ。もちろん君は人間だ。”生きるための命”を持っている。むしろ仕打ちをしてきた人たちのほうが”利用される命”になればいいのに。はぁ...なんで幸生みたいな優しい子がこんな目に合わなくちゃいけないんだ...」
アークは「ごもっともで」と言いたくなるような回答を投げかけてきた。それに加えて、アークなりのやさしさが籠っていた。
”生きるための命”と対をなす”利用される命”。俺たち人間は、どんな状況でも”生きるための命”に該当するのか。きっとそれはまだわからない。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろ母さんも帰ってくる頃だし帰ろ。」
スマートウォッチに表示された時刻はすでに17時が過ぎていることを表している。
まだ9月ということもあり、まだまだこの時間でも明るいが、夕日が二人を包む。
長く伸びた影と過ぎ行く人のせわしなさが時間の流れを遅くさせる。
「ただいまー...って母さんまだ帰ってきてないのか。ってそういえば母さん今日夜遅いんだった...忘れてたぁー、アークぅ...晩飯どうしよ...」
「うーん、今から食材買いに行っても面倒くさいしなんか頼んだら?朝お母さんが僕にお金渡して『今日遅くなるからこれでなんか頼みなさいって幸生に伝えといて。どうせあの子短縮授業の日はいつもギリギリだから。』って言って仕事行ったよ。」
「なんでそれを俺に伝えないんだよぉ!もー、置きメールの一つや二つスマホに入れといてくれればいいのに。忙しいのはわかるけどさあ...」
そんなこんなで夕食後、早めに床に就くことにした。
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