第19話 再生2
僕と彼の入れ替わりは、時がたつほどに正常に戻り始めた。僕は元の世界の時間が長くなり、連動して彼はこっちの世界が長くなった。戻るたびに僕は、彼が敷きなおしたレールから外れないよう彼の感覚を追い求めた。
日本に帰った憐と僕は、どちらも忙しかった。憐はエステティシャンの資格を取りながら派遣社員の仕事をし、僕は音楽とバイトの生活に追われていた。
この頃の僕は、いくつかバイトを渡り歩き、掛け持ちもしていた。あきる野市の市営プールの監視員をしながら、横田基地の中で引っ越し業者のバイトもしていた。
憐と僕は、休学中のようには会えなくなっていた。元の世界の僕は、帰国後すぐに就職をしたので、その生活スタイルは全く異なるものだった。
会えない日は、必ずメールを送り合っていた。返事がないと心配してしまい、既読システムのないこの時代を不便に感じた。
元の世界の僕は、帰国後の割と早い段階でプロポーズをしていた。仕事も落ち着き、収入も安定したからだった。婚約指輪は、夕陽の見える海辺で渡した。
「智博。ありがとう。一生大切にするね」
憐は涙をこぼし、そして笑った。この世界の2人にも、その瞬間が来てほしいと思った。僕からしたら何もかもが不安定で、いつ倒れてしまってもおかしくないこの世界の2人。金銭面の不安、時間の工面、すべてが難しくても、手を握り合っていてほしいと願った。
だから僕は、入れ替わっている間は憐との時間を大切にした。思い出こそ、彼と憐には必要だと思ったからだ。夏には憐の連休を利用し、南房総をまわった。まだ開通して5年目のアクアラインを通って。
途中、海ほたるで休憩をし、そこでしか観られない景色に息をのんだ。東京湾の人工島から見えるそれは雄大で、神奈川も東京も千葉も一望できる。僕らは東京タワーやランドマークタワーを探して盛り上がった。
海ほたるにはレストランが4店舗あり、僕らはその1つで昼食をとった。憐は「あさりまん」、僕は「あさりラーメン」を食べた。
「憐。ちょっとまって! それ食べる前に写真撮ろうよ!」
憐に「あさりまん」を持ってもらうと、僕はインスタントカメラを構えた。
食事の後、僕たちはプリクラを撮りに行った。当時の海ほたるには、その時にしか撮れない限定フレームがあり、僕らはその2パターン両方で撮った。
「智博。押すよ」
「うん!」
白いノースリーブを着た憐を前に抱きかかえて、そのまま頭を寄せてくっついた。憐は少し照れていた。
そして、海ほたるのパンフレットに記念スタンプを押した。刻印は和暦で「14.7.25」となっていた。
僕たちは海沿いを走り、館山へと向かった。曇っていた空は次第に明るくなり、館山に着くころにはすっかり晴れていた。
僕らの宿泊するペンションは、赤い屋根に白壁の南欧風だった。手入れの行き届いた庭には緑が生い茂り、青空が白と赤を引き立てる。雲を払いのけた太陽がその存在をアピールするには、うってつけのシチュエーションだった。
僕たちはチェックインをして、カバンを部屋へ運ぶと、海に入る準備をした。憐は後ろを向くと服を脱ぎ、水着になった。
「智博。準備できたから行こ!」
憐の着替えを眺めていた僕は、あわてて自分の支度をした。憐の水着姿はいつ見ても素敵で、鼻血が出そうになった。
館山の海は、神奈川の海水浴場よりも快適だった。憐に続いて海に入ると、後ろから黙って近づき抱きついた。そしていつものように怒られた。
翌日、僕らは館山ファミリーパークに立ち寄った。たくさんの花が咲き誇るそこでは、香水作りができたのだった。
スタッフの人に教わりながら、憐と僕はどのフレイバーにするかを決めていた。いろいろな香りを嗅ぎ分けた末、僕は柑橘系の香水にした。
分量に気をつけながら、いろんな液体を足していく。僕の選んだのは「恋の悩み」といったタイトルだった。
・ローズ2cc
・グレープ6cc
・ローズウッド0.9cc プラスアルファ
・パイン1cc プラスアルファ
といった調合具合だ。
少しトイレの芳香剤を彷彿させたが、それでもいい匂いのものができあがった。
「憐。嗅いでみて。どう思う?」
「いいんじゃない? 智博のよくできてると思うよ」
半透明の小さなプラスチックスプレー容器に、僕たちはそれぞれメッセージを書いた。僕の容器には憐が、憐の容器には僕が。
「2002年7月26日。Renと館山。LOVE」
そこには大きなハートマークと、憐の手書きの文字があった。
朝起きると、そこは病院のベッドだった。
「今日もこっちの世界か」
僕は元の世界にいることが増えていた。それは、僕の回復と比例しているようだった。
夢の世界にいる時間は短くなった。あっちの世界は戻るたびに変化していて、追いつくのに苦労した。僕の知らない出来事が、たくさん起きていたから。それは、彼が存在している証拠でもあった。
僕は喋れるまでに回復し、短い距離なら歩けるようにもなっていた。あとはリハビリをして、体力をつければ自宅療養になる。
「早く退院しないと」
憐に負担をかけすぎていた僕は、早く退院したかった。憐はCADの仕事で独立をしていて、仕事に、僕の看病に、子どもたちの世話にと、無理をさせていた。
元の世界にいる間、僕は夢の世界の憐のことをよく思い出していた。同じ憐なのに、こんなにも人生が違うなんて。僕は自分が見ているものが夢なのか、それとも実在するものなのか知りたかった。
異世界転生やパラレルワールドなどは、漫画や映画ではよくある設定だ。僕自身そういうものは嫌いじゃないし、観たり読んだりもする。
しかし、実際に自分の身に起きてみると、それが一体何なのかが全く分からなかった。これは起こり得ることなのか、もし起こるとしたら、それは科学的にはどう説明できるのか。
僕は憐に、パラレルワールドについて調べてもらおうと思った。本や解説書みたいなものがあれば、買ってもらいたかったのだ。
「どうしたの? 急に? パラレルワールドなんて言い出して?」
突然の頼みに、憐は目を丸くしていた。
「いや。事故のせいなのかは分からないんだけどさ。最近、面白い夢を見ることが多くて。どうせやることもないし、それなら小説でも書いてみようかなって思って。その参考資料にね」
理由を聞かれた僕は、異世界に転移したかもしれない、とも言えずこう答えた。
「そうなんだ! 気になるー! どんな夢?」
「え、えっと。パラレルワールドを旅した僕の話。入院中に旅をするの」
憐に突っ込まれて、結局は答えてしまった。かといって、憐がそれを真に受けるわけもなかったが。
数日後、憐は量子力学の本を買ってきた。
「智博。ここに置いとくね?」
「ありがとう」
パラレルワールドとは、量子力学で説明が可能らしい。もちろんこれには量子力学の理解が不可欠である。
「あー。ダメだ。分かる気がしない。あっちの憐はどうしているだろう……」
僕は本を置いた。そもそも僕がこれを理解できるような人生を歩んでいたら、今とは全く違う暮らしをしているだろう。別の世界、それこそパラレルワールドになってしまう。
アンプチは、下北沢でもライブをやるようになっていた。当時の下北沢はバンドの登竜門的な場所で、腕に覚えのあるバンドが集まる。ライブハウスのオーディションも厳しく、出演するにはそれなりのレベルが要求された。
下北沢でライブができることは、ある意味でバンドにとってのステータスだった。アンプチのライブは好評だった。特にミュージシャン受けが良かった。
僕が夢の世界へと戻るたびに、アンプチには新曲が増えていた。僕がいない間に、彼はどんどん曲を書いていたのだった。そして、そのすべてに憐は登場していた。憐が彼の創作の原動力であることは、間違いなかった。
僕は彼の創造力に驚いた。同一人物とは思えないほどに。そもそも僕は、大学卒業後に曲を書いていなかった。仕事が忙しかったこともあるし、そこまで創造性があったとも思えない。
僕には、彼のように曲を書き続けるなんてことは無理だった。それはもちろん、夢の世界に入ったからといって変わらなかった。僕は彼の残した曲をライブで歌う。それだけだった。
彼の書いた歌詞を理解することは難しくなかった。それは意識せずともすっと入ってくる感じで、前にも書いたように肉体に宿っている感覚だった。
彼が描く歌の世界、そこにはどこか悲しく、やり場のない空気があった。憐はその世界を歩き、話し、歌っていた。まるで一幕の舞台女優のように。
彼は憐に歌を通して語りかけていた。それはとても不器用な愛情表現にも見えたし、謝罪にも感じた。憐にも音楽にも一途にいたいがゆえに、天秤にかけてしまう苦悩があった気がする。
彼は僕が犯した過ちに対しても、歌で謝罪をしていた。オーストラリアでの言動や行動、抑えられなかった衝動。
「もう、私を見て苦しまないでいいからね。ずっと苦しませてごめんね……」
それを彼は『白い涙』という曲で残していた。あの日から笑わなくなった憐。その目には、見えない涙があふれていたのだと思う。2人の未来を望みながらも、どこかで思い出してしまう涙。それは、僕が生んでしまった涙なのだろう。
その曲は2枚目のデモCD『ジェーン』に収録されていた。すべて僕が招いた過ちであり、彼のせいではないのに。
白い涙 By Ampticpomp
(注:作詞作曲を著者が行なっております。ネットでバンド名と曲名を検索いただければ、音楽も同時にお楽しみいただけます)
灯台 あかい丘 その上へ 立ち上がり
夕陽に さよなら 告げてる あなたは
優しい リズムを 感じて 静かに
思いは 胸の奥 しまって
ひとりじゃないから ひとりじゃないから
ずっと ずっと すぐそばに ほら
きっと きっと もう泣かなくて いいから
流れた 月日は なんだか 切なくて
気づけば 体を 流れて いたりして
誰にも 届かない 思いは どこかで
真っ白な 涙を こぼして
ひとりじゃないから ひとりじゃないから
ずっと ずっと すぐそばに ほら
きっと きっと もう泣かなくて いいから
ずっと ずっと すぐそばに ほら
きっと きっと もう泣かなくて いいから
ずっと ずっと すぐそばに ほら
きっと きっと もう泣かなくて いいから
ずっと ずっと 泣かないで 泣かないで
きっと きっと すぐそばに
この歌詞を知った時、僕は涙をこらえることができなかった。オーストラリアでのラウンドの光景が、僕の脳内を支配し、感覚を呼び起こす。
助手席に座る憐の顔、窓から入る大地の匂い。夕陽に染まるラクダと、足元から伸びる影。そこには2人で支え合った、旅の記憶があった。
しかし、パースを過ぎてからの憐は、ずっと泣いていたのだと思う。僕がそれを見ていなかっただけで。いや、正確に言えば、気づかぬふりをしていたのかもしれない。
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