第17話 別れ2
西オーストラリア州の州都であるパース。そこは大きくて、きれいな街だった。気候もよく、オーストラリアのなかでも住みやすい街なのだと思う。他のオーストラリアの都市とは、すこし違う雰囲気を醸していた。
まず僕らは、拠点となる宿を探した。少し走った後、スタジアムの近くにある宿にした。その宿はなんとも面白い構造をしていて、少し迷路のような不思議なつくりをしていた。
部屋に移動した僕は、荷物を下ろすために車に戻った。
「なぜだろう。なにか違和感? そんな感じがするのは」
僕にはずっと、違和感があった。パースには、懐かしさを感じられないのだ。それが違和感となって、体を重くしていた。ラウンドでパースが外れるなんてありえないし、記憶も残っているのに。
滞在中、僕らは、フリーマントル刑務所などを見てまわった。ここは元の世界でも、当然に来た場所だった。存在感のある建物と、刑務所独特の緊張感のある空気。歴史的な背景も含めて、非常によく覚えていた。
それは、出発を翌日に控える夜だった。僕は翌日に備えて、車に荷物を運んでいた。
「憐。この先だけど、スケジュール間に合うかな」
部屋に戻ると、憐に話しかけた。
「結構ギリギリだね。心配だから先を急ごうか」
憐が、地図を開きながら言った。
僕らには、帰ってからもやることがたくさんあった。車や家具の売却に、引っ越しの準備。それらはすべて帰ってからしかできなかった。
近くのスタジアムでフットボールの試合が終わったのか、外は賑やかになっていた。数人が騒ぎながら、歩いている声がする。
ガシャン!
僕らの宿の前で、ガラスの割れる音がした。嫌な予感がした僕は、車を見に行くことにした。
「うわ! 何だよこれ!」
貼ってあった、スモークの窓ガラスが割られていた。僕は慌てて車内を確認した。
「ない、ない、ない!」
母親に頼まれて撮影していたビデオカメラ、CDなど、目ぼしい家電はすべて盗まれていた。そのビデオテープには、僕の卒業式の映像も含まれていた。
卒業式に参加できない母親は、それを見るのを楽しみにしていた。僕らのオーストラリア滞在記も。僕は打ちひしがれた。
「元の世界では、こんなことなかったのに……。ごめん……。お袋……」
僕の記憶にない出来事は、想い出の多くを盗んでいった。
窓ガラスが割れた状態では旅はできない。翌日僕たちは修理工場を探し、窓ガラスの交換をお願いした。
「部品がないから、1週間はかかっちゃうな」
修理工場のスタッフの答えに、僕たちは唖然とした。それは僕の心配を増長させ、つい憐に当たってしまった。そして、それは大ゲンカに発展した。そのケンカは今思えば決定的な結末の始まりで、僕たちを分断に導こうとしていた。
僕はこの数週間、ギターに触れられなかったことが気になっていた。1日に何十時間と弾いていたこともあり、この状態に不安を覚えていた。そんな感覚も、事態をややこしくした。
車が直るまでの1週間、僕は旅をする意欲を失っていた。そして、憐とも会話をしなくなっていた。話したところで、嫌味を言ってしまうからだった。
そんな建設的になれない自分が嫌で、それを憐に見せたくなかった。憐は何度も僕との改善を試みたが、僕は取り合えなかった。僕は自分を嫌な奴に思い、そんな自分に苛立った。
車が修理から戻ると、僕らはパースを後にした。いつもなら仲直りできているはずなのに、お互いに気持ちが晴れないまま。最後の目的地ウルルを目指して。
僕らは94号線を東へ走り、ノースマンから1号線にのった。
世界でも有数の直線道路である、エア・ハイウェイ。それは、ただひたすらに真っ直ぐで、僕を眠くするだけだった。僕らの会話は減り、パースまでの時とは全く異なってしまっていた。
ウルルまでの道中、僕らはキャンプの度にケンカをした。今までため込んでいた感情が、爆発するかのように。何度となくきれいな光景を目にしたが、僕は憐にそれを共有できなかった。
そのまま内陸に入ると、僕の感情はさらに薄くなった。景色を見て感動を分かち合う、そんな意識もなくなっていた。まるで、それまでの旅を否定するかのように。僕の目的は、旅をすることよりも、終わらせることになっていた。
道中、宿泊の関係で何度か観光をしたが、思い出せるものはなかった。唯一鮮明に思い出せるといえば、スズメの数匹が車の前を横切り、ぶつかるというアクシデントだけだった。
パースを出てから数日かけて、僕らはやっとウルルに着いた。
僕らは「エアーズロック リゾート」に宿泊した。世間は、クリスマスホリデー真っ直中の12月24日月曜日になっていた。しかし僕らは、クリスマスを祝える雰囲気ではなくなってしまっていた。
ウルル。それは、348メートルもの高さがある。東京タワーが333メートル。入場可能な展望台のメインデッキが150メートル、トップデッキが250メートルだと考えると、これが一枚の岩だとは信じがたい。
それに加えて、ウルルは海抜だと863メートル。そこから、岩自体の高さを差し引くと、登山前で海抜は515メートルもあり、オーストラリア内陸の海抜がいかに高いかが窺えた。
大陸が大きすぎて気づかないだけで、僕らは知らない間に標高を上っていたことになる。僕の生まれた八丈島にある八丈富士、その海抜が854メートル。そう考えると、ウルルの海抜863メートルは驚きだった。
かつてエアーズロックと呼ばれていたここは、今は登頂することはできないみたいだが、当時はまだ可能だった。
大勢が一列になり、鎖を掴みながら険しい坂を登る。僕たちもその列に加わった。かなりの急勾配で、それは坂道というよりも、崖に近いものだった。
「憐、大丈夫?」
「うん……」
「そこ、足乗せられるから……」
「うん……」
旅を楽しまなくなった僕。それにひどく傷ついたであろう憐は、小さく答えた。
僕らはその間、小さな約束をしていた。旅行中の写真では、嫌な顔を見せないでいようと。今思えばそれは、憐の未来を思う優しさだったのだと思う。いつか2人で振り返ったときに、悲しい思い出を少しでも減らせるように。
僕は元の世界の憐を見るように、こっちの世界の憐を見ることができなくなっていた。理由もないままに、なぜか卑屈になってしまう。そんな現実が嫌だった。
頂上には、いくつもの水溜りがあり、見たこともない生き物が蠢いていた。それはもはや岩と呼べる高さではなく、目の前には一面の荒野が広がっていた。それは、僕たちが走り回った大地だった。
下りは登り以上に大変だった。勾配がきつく、場所によっては危険な個所もあり、座りながら下りた。たまに、滑落事故が起きるのも頷けた。
ウルル周辺はさすが観光地なだけあって、多くの宿泊施設が存在した。僕らの宿泊した施設も快適で、レストランやお土産屋さんなども充実していた。ぼくらはここに数泊した。観光地の夜はとても華やかだった。僕たちを除いて。
憐は、少しでも僕と楽しい想い出を残そうと、いろいろ模索してくれていたようだった。風の谷と呼ばれるカタ・ジュタに足を延ばしたのも、憐の提案だったと思う。
彼女は傷ついた心を見せないようにしながら、僕と楽しい時間を過ごそうと笑ったのではないだろうか。そんな彼女を見るのは、辛く苦しかった。でも僕は、どうしても優しくできなかった。
ウルルを後にした僕らは、北上しアリススプリングを目指した。そして徐々に針路を西にとり、数泊しながらブリズベンを目指した。この頃になると僕の苛立ちは、憐を拒絶するようになっていた。
自分に対する苛立ちが、矛先を変えて憐に向く。それは無意味に憐を傷つけ、それを見て自分に傷ついた。止められないサイクルが、僕を振り回していた。旅を台無しにし、憐を泣かせて、僕はなんのために存在するのかさえ分からなくなった。
僕は、そのサイクルの中で完全に道を失った。僕が守らなければならなかった道を。途中、山火事の中を走った。最後の記憶は、それだけだった。
12月31日月曜日、僕らはリズモアに帰ってきた。新年を祝うべき日に、僕の感情は完全に冷え切っていた。一緒にいるのが煩わしくて、少しでも離れたかった。
僕らの年越しは想い出も何もない、「無」そのものだった。時間だけが当たり前に過ぎ、年を跨いでいった。憐はずっと寂しそうだったし、悲しそうに見えた。僕はすべてを投げ出したかった。
僕たちは、別々に帰国することにした。ベトナム行きも取りやめた。憐は最後まで反対したが、僕はすべてを断った。
リズモアの家を発つ前日、憐は僕に花を残していた。花瓶代わりのコップには、紫のリボンが結ばれていた。その花も、どこか寂しそうに咲いて見えた。
憐との最後の夜、僕らはブリズベンのモーテルに泊まっていた。
僕は漕ぎだした船が止められないまま、滝まで向かっているようだった。
それでも憐は、まだ戻そうとしてくれていた。こんな僕を、抱きしめてくれていた。僕との関係を、最後まで諦めることなく。それは憐の、僕に対する確かな愛だったのだと思う。
しかし、僕はそれを拒絶してしまった。煩わしく感じてしまった。憐は涙を流しながら、それでも僕を受け入れてくれていたのに。抱きながら、自分をクズだと思った。
憐は僕の気持ちを知った上で、それでも2人の未来を望んでくれていたのに。憐は最後の最後まで、僕に戻るチャンスを与えてくれていたのに。
「憐を手放したら絶対にダメだ」
そんなことを思っていたくせに。最愛であるはずだった憐を、僕自身が目の前で手放していく。絶対に忘れちゃいけない言葉を、置き去りにして。
「智博。今までありがとう」
「憐……」
「私、智博のこと、本当に好きだったよ」
「…………」
「私のこと、ずっと見ていてくれて本当にありがとう」
「…………」
「もう、私を見て苦しまないでいいからね。ずっと苦しませてごめんね……」
「…………」
「すべて忘れて……」
憐は嗚咽をこらえながら、時折苦しそうに呼吸をし、そのまま朝まで泣いていた。僕はその場から逃げ出したかった。
2002年1月10日木曜日、僕は憐をブリズベン空港へと送った。
「さようなら」
「…………」
「ずっと一緒にいてくれて、オーストラリアにまで呼んでくれて嬉しかったよ」
「…………」
「元気でね」
別れ際、憐は必死に笑っていたように見えた。ゲートをくぐるその最後まで。僕は自分が嫌になった。これが現実なのか、嘘なのか、何も分からなかった。
「憐の本当の笑顔を見たのはいつだろう」
僕の記憶には、彼女の寂しそうな顔だけが残っていた。
憐が去っても、僕の心は晴れなかった。憐がいなくなったからと言って、何かが解決したわけではなかった。
「何なんだよ。全然スッキリしないじゃないか……」
憐がいなくなった静寂は、望んでいたものと全く違った。僕は自分に悔しくて泣いた。憐が二度と使うことのないマグカップ。2人で飲んだコーヒーの味が思い出された。
僕のとった行動はなんの答えにもならないまま、別々の道だけが残っていた。僕はただわがままに、憐を追い出した子どものようだった。
憐のいない家を片付け、立ち退きの準備をする。そして、僕らを乗せて走ったカミーラも売りに出した。
僕は、オーストラリアでのすべてを終わらせようとしていた。憐と出会ったこの想い出の地、僕が好きでしょうがなかった憐、すべてが消えていった。
2002年1月29日火曜日、僕は1人でオーストラリアを去った。そこに僕の知る元の世界はなくなっていた。
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