わたしわあなたにあいたい。

A7

求めるべき物。

第1話 日常と四阿



四阿あずまやを伝う戻り梅雨もどりづゆ

あんなにも降ったというのにまだ満足いかないのか。

俺は、淡々たんたんと降り続ける雨にうんざりしていた。


とつとつと音を立てる雨の中に、薄くかすれて遠くの小学校のチャイムの音が聞こえる。そろそろ戻らなくては。


俺は時々この場所に来る。

高校の裏側にある、駅前大通りに面した国立庭園。

その檜皮葺いわだぶき四阿あずまやで、駅前のカフェで買ったテイクアウトのコーヒーをすするのが1番のリフレッシュになると思っている。


コーヒーはほろ苦く、雨の静けさを柔和にゅうわに溶かしていく。

四阿あずまやの中は、三方向が杉の長椅子で囲まれていて、背中を預ける腰壁こしかべの杉もまた、ほのかな香りを放っている。


俺は左に置いていたアイスコーヒーを手に取る。

アイスコーヒーの冷たさは左手の薬指くらいまでしか感じなかった。


俺はその場で立ち上がると、スラックスの右ポケットに入っていたスマホを取り出す。

分厚く重たい雲と、斜陽しゃよう仄明ほのあかりも入らない四阿の中では、光ったスマホがあまりに明るく見える。


13:43

予定より3分過ぎてしまったけれど、いつもの事だ。

四阿あずまやから少し顔を覗き出して、雲を見上げる。

落ちてくる雨が右目に入った。

それが痛くて、スマホを持ったままの右手で目を擦る。


何となくまだ痛かったが、何度か瞬きをして、制服のブレザーの右ポケットにスマホを閉まった。

俺はポケットから右手を出すと、そのまま流れるように、四阿あずまやに立て掛けたビニール傘を持って、出入口のある大通りに向かって歩いた。



――――――――――――――



14:02

あの国立庭園からその裏に来るだけであまりにも違和感を感じた。


庭園を出たあとは右を曲がって、その後また2回右に曲がる。


それだけで、この建物に着く。

自分の通う学校だとはいえ、この校舎を見る度に、現実に戻される気がする。


正門でそう思いながらスマホで時間を確認した。

この校舎は他と比べると特殊な構造になっていると思う。

正門から見ると、校舎は真っ直ぐに伸びて左に曲がったLのような形で。

左右対称にしたように、校庭という中庭を挟んで反転している。

だから校舎は2とうあって、それを繋げる屋根の着いた渡り廊下が正門とは反対側にある。


特殊なのはここからで、校舎の入口は、正門から見て、目の前の壁、そこにしかない。

それが2とう。これもまた左右対称のように2つのとうに共通している。


校舎外に出るための出入口ではないが、中庭に出ることができる出入口は他に5個ずつ左右対称にあるから10個。

中庭に面するのは3個ずつ。

外側には2個ずつ。

中庭にはL字の校舎の曲がり角に2個、渡り廊下のある場所に1個ずつ。


俺は校舎を見上げて、中から聞こえる和気藹々あいあいとした声を聴きながらも、さて右側の体育館へ向かった。

今日は本当は夏休み、それなのに校舎から高校生らしくもなく騒ぎ立てる声が聞こえるのは、10月の文化祭に向けてだった。

俺だってそれで来ている。


文化祭は、生徒間で出し物を考案し、それを先生に提出した時、認められたいくつかの出し物を行う形になっている。

自分の出したい出し物が認められなくて満足の行かない人も居たが、それぞれが好きな出し物グループに入っていった。


俺らの出し物は体育館での、【1話見切りドラマ!】というコンセプトを持った物だった。

だからそれの演出でつかうセットを作るために今日もここに集まっている。


空気が重く、温く蒸し暑いのとは対局に、体育館の鉄の扉は雨で冷たく冷えきっていた。

体育館に入り、小上がりで外履きから昨日置いておいた内履きに履き替える。


体育館のステージ前では広いダンボールに高層ビル群を印刷された大きい紙を3人がかりで貼り付けていた。


その群れが3個。

1箇所には俺が1人足らず、俺を除いた8人がその場にいた。

俺が2人しか揃っていないグループの方へ歩いていると、その男女の女の方がこっちに気づいた。


「お、やっときたのね。」

その一声で男の方も振り向く。他の6人の何人かは俺が来たことに気がついたようだが、口を動かすのをやめなかった。


「ごめんごめん。」

「今日こそはしっかり働くんだよ。」

「うん。そのつもりだよ。」


昨日は手伝うと言って、養生ようじょうテープを取りに体育倉庫に行ったら、つい寝てしまった。

天井に限りなく近い壁の、長細い小窓があいていて、たくみに配置された扇風機で換気がされていた。

体育館のおかげで昼頃は日陰になる体育倉庫はあまりにも居心地がよかったのだ。




俺はしばらく彼女らの仕事ぶりを傍観ぼうかんした。


「で、何をすればいいの?」

「あのさぁ、巫山戯ふざけないでくれる?」


俺は誤魔化すように左の方に目を泳がせて笑う。

俺らは1番右で作業している班だから、2つの班の作業が多少見えた。


左から、高層ビル群の班、その中の公園の班、水族館の班に別れていることがわかった。

さらっと見回すように皆の様子を伺うと、高層ビル群の1人の男子と目が合った。

多少目が合っただけなら黙殺もくさつできるのに。

今回はそうにもいかなかったみたいで。

彼は俺の瞳の奥を見ているようだった。


俺は気まずくなってすぐに顔を逸らした。

それでもなにかもやのようなものが心に残ってしまった。

何故、彼はこちらを見ていたのか。

彼と顔があったあの時間を時計が現すなら、1秒や2秒のそこいらだろう。それでも俺は30秒もの間、見つめあった気がした。


真っ直ぐな視線だったのだ。

彼は、不言不語ふげんふごという四文字がこれでもかと言うほど似合う人だった。

だからこそ、彼から送られた真っ直ぐな視線は、俺の心にもやをかけ、いつまでも俺を曇らせ続けた。


「―だから、セットは11個を使い回そうって言ったじゃん。」


しっかり聞いていなかった。

正直何も分かっていないがとりあえず俺は答えた。


「うわぁ。そうだ、11個もあるんだった。」

「ほんとに、巫山戯ふざけるのもいい加減にしてよ。」


「ごめんごめん。」

「分かったなら動いて?」


なんだかんだ制作はほぼ初めてというのが実際の話だ。それでもやり方を教えて貰って、俺は任された仕事を不格好に成し遂げた。


すると俺の班の男子がスマホなんかを見てるので

後ろから体をぶつける。


「なにみてんの?」

「なんも見てねぇよ。」


彼がそうしてスマホを隠すから、しつこく付きまとってやった。


「おい〜見せてくれよぉ」

「うっせぇだまれ」


笑って彼はあしらった。


「ったく、しゃーねぇな。どうせ彼女だろ。お前のことだから1人や2人いてもおかしくないからな。」


「うっせぇ。居るかよ、んなもん。」


俺はこの日常が好きだ。ある程度多い友達のそれぞれに話し方を変えてちょっかいをだしたり、またある時は一緒に本を読んだりする。

そこで交わす冗談や、身の上話は俺の人生を色付けてくれるのだ。

無色透明のファイルのような俺は、皆によって色付きプリントを挟まれて、色付けがされていた。

俺の中身が出来ていった。


―――――――――――――――――――


「いらっしゃいませ〜」


24時間営業の100円均一ショップなんて珍しいもので、18になってからというもの、俺はそこでアルバイトを始めた。


駅前大通り、あの国立庭園がある道を真っ直ぐ駅の裏手に進む、暫くするとそれは見えてくる。


えての事、高校からあまり近くない場所にしたのだ。俺としてはこの100均には拘りがあった。

18歳で成人だから、そんな俺は深夜バイトがいれられる。

大通り沿いだから集客率が高いこの100均は、ここらの地域では時給が高かった。

だから俺は普段、学校に行き、16:50に学校が終わり、家に帰ってひとまず寝る。

24時頃に起きて、飯を食ってチャリで2:00からのバイトに向かう。

それからは家に帰ることなくまた学校に行く。

これの繰り返しだ。


母には時々「体を壊さないようにね。」と心配をかけさせている。

母は毎日深夜バイトの俺のために弁当を作ってくれる

「昼の分は無いからね。」と俺の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく態々わざわざ気にしてくれる。


父は何も言わない。言わなくなってしまった。

俺が反抗期をこじらせて、幼い頃から仕事で忙しかった父を恨んだから。

“もっと遊んで欲しかった。”

“ずっと1人で寂しかった。”と



――――――――――――――


今こそ少し落ち着いたものの、当時は多忙という2文字がこれ以上似合う人はいないと思った。

朝早くから仕事に行き、帰ってくるのは夜遅く。

おまけに家でもパソコンを広げるという仕事人間ぶり。

母は変わらず朝から昼までパートだ。

俺が学校に行く時、ちょうど誰も居ないのだ。

孤独感を背負って学校に行くのだ。

だから俺は朝が嫌いだった。

1人だから。

そんな俺は友達を多く持った。

持ちたかったから、無理してでもあらゆる人に近づいた。

自分の心にゆとりがなくなろうと、自分の孤独感を遥かに超える、友情というものが欲しかった。


だから、3年生に学年が上がっても、迷わず友達を作り続けた。

自分が我慢をしていようと。相手の話に合わせて。

正直辛かったんだと思う。

ある時体を壊してしまって。


友達と行ったショッピングモールのトイレで倒れてしまった。


ストレスが起因となって、発作的に激しい頭痛を起こして失神、痙攣けいれんしていたそうだ。


俺は検査をするということで暫く入院していた。

1週間ほど、大学病院に入院した。


あんなに友達を作った。

お見舞いには、誰も来なかった。

その時俺は思った。

「誰にも覚えて貰えていないんじゃないか。」

起きても1人、寝る時も1人。

飯だって1人で食う。

唯一、人と会うと言えば、看護師や医者だけだった。


それからは途端に、父や母を恨むようになった。

窓際、個室の病床びょうしょうで、窓を眺めると。

横に伸びたかえでの木のトンネルが綺麗に色づいていて、その手前には芝生しばふの広場がある。

一般の民間人と病院の利用者の触れ合い場として設けられている、あまりに明るい広場だった。


それが俺には腐ってみえた。

見苦しかった。父さんとキャッチボールをする子供、

ベンチで母さんと近所で買った菓子パンをかじる親子。

恋人同士で、肌寒いのを言い訳に手を繋いで歩いている姿。

気づけば全てが羨望せんぼうに変わっていた。


俺はあれが欲しかった。



その時から分かっていた。父や母は悪くない事を。



家は決して裕福では無かった。


父方の婆ちゃんは病気で亡くなって、その後に、金があれば手術で治せるものだったと発覚した。


だから、父さんの爺ちゃんが、婆ちゃんと同じ病気を患っていると判明し、働けなくなった時、父や母は仕事で忙しかったのだ。


分かっている。分かっていた。

それでも、寂しかった。まるで子供だ。


キャッチボールを見る度に心が締め付けられて、

菓子パンを嫌って。

恋人なんかは、相手がどんな人でもいいから欲しいと思った。

不思議なもので、寂しさというものはこんなにも人を締め付ける。


息をさせないのだ。

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