第2話

椿つばき? 椿なの?」


 私が振り返ると、奇跡でも目の当たりにしたかのように目をまん丸にした制服姿の六華りっかがそこにはいた。


「え、うん……。私だけど……」


 私を置いて先に行ったくせになんでそんな驚いてるの?

 そう言葉が出かかったが、それよりも大事なことがある。

 なんで六華が私の後ろにいるの?

 さっきまでまいさんが笑顔で見送ってくれていたのを何度も振り返って確認した。

 ただその時彼女の後ろから誰か来るのは見えなかったし、途中六華が隠れられるような場所なんてなかったはずだ。

 その疑問を口にしようと六華の顔に視線を合わせた時、彼女がしきりに目元をぬぐっているのに気が付いた。


「え、なんで泣いてるの……?」

「だって……、だって……」


 そう繰り返すばかりで、一向になんで泣いているのかわからない。

 要領を得ない六華をどうしようかと悩んでいると、ようやくゆっくりと話し始めた。


「あの日からもう一週間だよ……。どこ行ってたの?」

「え、一週間? せいぜい数時間でしょ、騙さないでよ」


 目が真っ赤になった六華をこれ以上落ち込ませないよう、わざと笑いながらそういう。

 それに本当に一週間経ってるとも思えなかった。

 ただそんな私の疑念はあっさりと文明の利器によって解決された。

 六華が鼻をすすりながら真剣な顔で見せてきたスマホには確かにあの日から一週間後の日付が表示されてる。

 いや、けどありえないでしょ。

 雪の中迷子になって、神社で甘酒ごちそうになるだけで一週間後の世界に飛べるなら、もっと昔に誰かが見つけてるはずだ。

 六華のスマホを無理やり奪いとり、どうせ時計設定弄ってるだけなんでしょとネットに接続したが一向に日付が変わる様子はない。

 それどころかいくつかニュース見たが、私の好きなアイドルが知らないシングルでチャートに載ったり、毎日見ていたYouTuberが不祥事で炎上している。


「本当に一週間後なの?」

「だから言ってるじゃん、一週間どこ行ってたのって?」


 確かに冷静にあたりを見回すとあれだけ歩くのに邪魔だった新雪が路肩に固められている。

 それに分厚い雲がかかっていたあの日と違って、今日は少し暖かすぎるぐらい太陽が出ていた。


「どこって六華に追いつけないから家に帰ろうとして……、迷子になって神社で……」


 そう言いながら舞さんの顔を思い出そうとしたが、いくら記憶をなぞっても出てくるのは上下が白で統一された袴だけで顔には影が掛り断片的にすら思い出すことができない。


「ねえ椿は少し疲れてるんだよ。お母さんも心配してたし家に帰ってゆっくり休もう」


 六華はそう言って手を繋いできたが、どうも隣にいる六華が一週間前と同じだと思えなくて、その手を握り返すことはできなかった。


 ◇


 あの後家に帰ってから、お母さんに質問攻めにされて、警察で五、六回同じ質問を違う警察の人に話して、病院では精神科に連れていかれたりした。


「あーやっと終わった!」


 そうベッドの上で身体を伸ばすころには、時計は午前二時を指していた。

 流石に一週間失踪しっそうすると普段そこまで親しくない人も反応するようで、LINEには判で押したようなメッセージがずらりと並んでいた。

 表面上だけ心配された文に返事をしないといけないって考えるだけで、違う疲労感が襲ってくる。


「もういいや、どうせ反応しなくてもなにも言われないでしょ……」


 唯一お気に入りとして常に一番上にトークが固定されている六華にだけ返事をすると、そのまま目をつぶった。


 ◇


 あれだけ会った時心配してくれたんだ、これからは六華も少しは私の歩調に合わせてくれるかもしれない。

 そう思っていた私が間違いだった。

 確かに私が発見されてから一週間ぐらいは無理に自分のペースに巻き込まず遊びに行くときも私の意見を訊いてくれた。

 ただ元々好き勝手私を振り回してしていた六華が私に合わせるなんて、長く続くわけもなかった。


「ねー椿遊び行こうよ!」


 今日も部屋に入るなり六華はそう言ってくる。


「ねーったら!」


 シャーペンとノートの擦れる音しか響かないことに痺れを切らしたのか、追撃のように六華はそう口を開いた。

 その呼びかけの所為で思わず出し過ぎたシャー芯が折れる。


「邪魔しないでよ! 一週間遅れた分取り戻さなきゃいけないのわからない!」


 私がそう声を荒げたのが不満だったのか、口を尖らせながら六華は「わからないんだけど」と言う。


「だってさ、たかが一週間でしょ? しかもそのうちの半分は冬休みだったんだよ? 対して遅れてないじゃん」

「たかが一週間って、私はちゃんと勉強の予定立ててるの! 私がいない間に共テの模試受けたでしょ? それが成績入るのわかってる? 成績悪いと大学まで上がった時学部選べないじゃん!」


 それを聞くと六華は鼻で笑いながら答えた。


「え、あんなのに勉強とかいるわけないじゃん。教科書に載ってることの丸写しみたいなテストなんだし」

「は? そんなわけ――」

「もういい! そんなに勉強が好きなら一生勉強してろよ!」


 六華はそう吐き捨てると部屋が揺れるほど強くドアを閉めあっという間に帰ってしまった。


「……なにそれ」


 慌てて『どういうつもり?』とLINEを送るが一向に返信がない。

 いつもなら十分と立たず返してくれるのに。

 流石にしつこく尋ねるのはマズいよね……。

 追撃は返信があるまで控えようと思ったが、待てど暮らせど既読すらつかない。


「ブロックされたってこと? 嘘でしょ?」


 慌てて別の友達にたずねてみたが、どの返事も手ごたえのないもので、誤魔化されている気しかしない。


 その後も学校で会ったが目を合わせようとするたび逸らされて、話しかけても私が存在しないかのように扱われた。


「ああもう!」


 そんな生活が始まって数日が経ったが、未だに気を抜いた瞬間六華にブロックされたことが頭にちらつく。

 そのせいで模試も集中できなかったし、最悪。

 邪魔されるのはうざかったけど、好きだったのかな……。

 六華の特等席だったベッドに向かって話しかけるがもうそこに返事をしてくれる人は座ってない。


「謝らせてすらくれないんだね……」


 どうにか六華のことは忘れて勉強に集中しようと視線を戻した時、窓の外に広がる違和感に気が付いた。

 勉強を始めた時は青空が広がっていた気がしたが、今は窓から見える景色全てが灰色をしていた。

 その中で時折白い粒が降り注いでくる。


「今日も雪なのか……。あの日も雪だったっけ」


 外を覗くとすでに道路にも積もっているようだった。


「少し気分転換でもしようかな……」


 誰に聞かせるわけでもなくそう口にすると、あの時投げ渡されたコートに袖を通す。


「やっぱり少し寒いな」


 ざくざくと音を鳴らしながら雪の上を歩くと、足の裏から寒さが上がってくる。

 ただ雪が音を吸収してくれるせいで、いつもの街と印象ががらりと変わったのがよかった。


「生活音も車の音も聴こえないってなんかいいな……」


 そのまま散歩を楽しんでいると少し身体が震え始めたが、まだ家に帰りたい気分じゃない。

 気を抜くと六華のことを思い出すし、こんな状態で勉強しても集中出来るわけがない。

 それに歩いたことで身体が温まったのか手の震えも止まってきた。

 よかった……、これでまたあるけ……。

 次の瞬間世界がひっくり返り、頬に痛みが走る。

 あれ私歩いてたはずなのに……。

 なんで倒れて……。

 起き上がろうと地面に手を付くが全く力が入らない。

 真紫になった指先を見ながら、意識はどんどん雪と同化していった。


「さむい……」

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