第37話

「前者については、お前と俺の血縁が極めて近いからだ。それこそ、想像もしたく無いし、そうであってほしくないと願ってるけれど、お前が俺の生き別れの兄妹なのかもしれない。あくまでも予想だ。それに、何回も言うけどこれは真実であっちゃいけない。もしも、そうであったとしたら、俺は多分、許されない」

 自分勝手なことを言っていると理解していながらも、藤野は考え得る『もしも』が現実であってはいけないことを明言した。今まで神に逆らったようなことをしてきたのにもかかわらず、さも唯物論者のように振舞っていたのにもかかわらず。

「いまさら、そんなこと言うのは馬鹿だぜ?」

 自己中心的に概念を捉え、ありもしないと考えていた概念に微かな恐怖を覚えている彼を明野は嘲笑した。神を唾棄していた人間が、その精神性を吐き捨て、ありもしないだろうと考えられる存在に許しを請う姿は、ないがしろに捉えられても仕方が無い。だからこそ、彼女は満足げな嘲笑を、彼の人間性を否定するような笑みを、ささやかな笑い声と共に届けたのである。

 せせら笑われる彼は、彼女の嘲笑を一切のためらいなく受け入れた。懐が深いという訳ではなく、それは自分が背負わなければならない責任を背負うということ、義務を履行するという名目で彼は嘲笑を受け入れたのである。

「自分でもみっともないと思ってるさ。けど、それでも俺は俺の推論を否定したいんだ」

「そっか、真実を掴みかけてるのに、その手を引っ込めるんだ」

「……一時でも真実に迫りたいと思った自分を馬鹿にしながらな」

 今まで味わったことのない探求心の欠落を空っぽの胸で味わいながら、藤野はうつむいた。そして、一切シミの無い美しい自分の手を見つめた。何も手に入れられなかった者の手は、彼の目には樹脂で出来たマネキンの手にしか見えなかった。

 感情を着飾ることしかできなかった人間の哀れな言動を、明野はけらけらと笑い飛ばした。しかし、彼女が彼の感情を汲み、それをもって追及を終わらせるということはしなかった。運命の女王は、今まで紡がれてきた奴隷の運命の糸を奴隷自らの手で掴むことを矯正するのである。

「それじゃ、答え合わせをしようか。もっとも、それをするのはあんた自身だよ」

「……断る」

 暫しの沈黙の後、藤野は俯きがちに提案を断る文言を紡いだ。

 だが、明野がそれを許すわけがない。

 彼女は両手で彼の顔を挟むと、彼の首の力に逆らうように無理やり首を上げさせると、彼の双眸に微笑かけた。それは女王の微笑であり、運命から抗うことを許さない微笑であった。

 澱んだ彼女の瞳は、有無を言わさず、彼の拒絶を拒絶した。

「ほら、やれる。なら、やってみようぜ。自分で手に入れた真実が以外は真実じゃないんだからさ」

 明野は藤野のズボンポケットに手を突っ込み、そこをまさぐり、彼のスマホを強奪した。そして、恐怖に震えながらも真顔を保っている彼にスマホを向け、顔認証によってロックを解除した。

「藤野ミキヤは……、おっ、あったあった」

「叔父さんに?」

「そうそう、それが一番手っ取り早いでしょ? 答えを知ってるのは、いつも近い人で、最も愛を注いでくれた人なんだしさ」

 プライバシーの侵害と迷惑について一切のためらいなく、明野は藤野を今の今まで育ててくれた叔父を電話帳から見つけると、即座に電話を掛けた。それから、彼の手にスマホを握らせると、意地悪く笑って見せた。

「私がおかしいのは分かってるでしょ?」

 ニタニタと笑う明野は、藤野を納得せしめる言葉を発した。

 恐怖によって体は震え、顔は青白くなっている少年は彼女の言葉を腑に落とした。いや、落とされたと言った方が正しいであろう。脅迫の意が込められた双眸によって、彼はこの行動を強制されているのだから。

 だからこそ、彼はスマホを耳にあてがい、聞かなければならない事柄を頭に思い浮かべた。作り上げた一つのタペストリー、それを真実し得る証拠を得るための問いかけを。

『もしもし、アキラ君から電話をかけてくるなんて珍しいね』

 二から三コールの後に、叔父は柔らかく暖かい、落ち着き払った声で電話に出た。叔父の声を聴いた瞬間、彼の口元は緩んだ。ただし、顔色は相変わらず悪く、スマホを持つ手も震えていた。

「ごめんなさい」

『いや、良いんだよ。けど、もうすぐお昼休みが終わるから少ししか話せないんだ』

「いえ、すぐ終わる用事なんで時間はかけさせませんよ」

『そんなに気を遣わなくたっていいんだよ?』

 おおらかで優し気な言葉を紡ぐ叔父さんの言葉は、藤野の心を温め、明野によってもたらされた震えを徐々に解消させていった。そして、段々と脅迫によって生まれた観念の無意味さが彼の視界に現れてきた。

 恐怖と困惑によって霞んでいた現実逃避という希望が見えてきたことは、彼の表情に目に見えて現れた。一縷の希望、ここで何も聞かず、ただ真実を追求することを放棄して、この場から立ち去るという愚行が徐々にその形を表してきた。

「……うざいね」

 このため、運命の女王は藤野の希望を打ち砕くこととした。

 いや、このためというには語弊がある。何せ、彼女は彼が叔父と話している姿を、そして徐々に明るくなってくる声を極めて恨めしそうに睨みつけていたのだから。末代まで呪い殺すような、蟲毒によって生じた呪詛のような、怨念染みた感情に彼女は顔を歪め、彼にぶつけていたのだ。したがって、彼女は希望を得た彼が気に食わなかったというのは、嘘が含まれる。彼女もまた虚飾によって本音を装っているのだ。

 とはいえ、彼女がやることと言えばたった一つであった。ただ一つ、彼女は彼の耳に真実を届けるのだ。

 運命の女王は曇った表情のまま、極めて楽しそうに叔父と談笑する彼の手からスマホを奪い取った。緩んでいた彼の握力では、強奪を妨げることは出来なかった。

「ああ、もしもしミキヤさん?」

 奪い取った明野は、通話をスピーカーに換えると、馴れ馴れしい声音で、顔を緩めながら言葉を紡いだ。

 真実がその歩みを進めてくることに、藤野は何も言えず、何もすることが出来ず、彼女がだらしなくあぐらをかいて通話する様子を眺めることしかできなかった。

『うん? トオルちゃんか。というと、遂にアキラ君と会えたんだね。良かったね、唯一の兄妹に会えて、本当に良かったよ』

「ミキヤさんが家にアキラ君の写真を送ってくれたおかげだよ」

『君たちが同じ高校に通ってたからね。そんな奇跡が起こったんだから、何もしない訳ないだろう。もっとも、君のお父さんは僕におせっかいを焼いてほしくなかったみたいだけどね。自分勝手なことをやったのにね。まあ、それよりも元気にしてるかい?』

 親し気に会話を展開する二人の声に、藤野は目を丸くした。そして、叔父が自分に何も伝えてくれていなかったことに、裏切りの情を覚えた。どうして何も言ってくれなかったのか、それだけが彼の心に引っかかった。

「うん、おかげさまで元気だよ。まっ、父親は相も変わらず私のことを嫌ってるんだけどね。やっぱり、不義理の子は嫌われる運命なのかなって」

『そんなこと言っちゃ駄目だ。どんな子供だって愛される権利はあるんだからさ』

 軽々しく笑いながら自分の出生がいかなるものであったかを紡いだ明野を、藤野の叔父は厳しさと寂しさと後悔が含まれた複雑な口調で注意した。

「そう? まあ、ミキヤさんがそういうならそうなんだろうね。ところでさ、私たちの母親のお墓ってどこにあるか知ってる? 死ぬほど嫌いだし、今でも二人揃って憎んでるど、墓参りくらいしたいしさ」

『新潟の実家の方にあるよ。けど、行かなくたって良いよ。あんな人でなしの墓参りなんて、反って君たちを苦しめるだけだよ。二人の子供を残して放蕩生活して、最後には『楽しいことは全部やりつくした』って言って自殺するような人の墓参りなんていかない方が良い』

「でも、私とアキラ君を結び付けてくれたのは、母親の自殺だったし、だから一応の感謝を言いたくてさ」

『……トオルちゃんがそういうなら、後で場所をSMSで送るよ』

「ありがとう。それじゃ、私たちもそろそろ寝るからバイバイ。仕事、頑張ってね」

『うん、頑張らせてもらうよ。それじゃ』

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