第29話

 スクリーンに映し出される二人の少女の間には、姉妹の硬い絆を確かに認めることが出来た。しかしながら、二人を見比べた時、その肉体的形質と雰囲気は全く異なっていた。いくらあどけないとは言え、二人が持ち合わせる根源が異なれば、それは見て取れた。

 幾らか相違点がある中でことさら違和感を覚えるのは、姉妹の全く異なる髪質であった。明野の髪質は水流を思い起こさせるほどさらさらとした黒髪であり、平安貴族的な美しさを持っていた。しかし、アキラと呼ばれる少女は彼女の髪とは打って変わって、緩やかなカーブがかかっていた。また、髪の色も彼女のカラスのような青さを持った黒とは異なり、こげ茶の明るい髪色であり、その様は西洋的貴婦人を思い起こさせた。

「私たち、驚くほど似てないでしょ。虹彩も私は真っ黒だけど、アキラはこげ茶色。顔立ちも私はちょっと吊り目で狐っぽい。けど、アキラは目が垂れてて狸っぽい」

 自身と妹との相違点を、そこに違和感が無いように明野は嬉々とした語った。傍らで恍惚とした悪魔染みた笑みを浮かべる彼女は、藤野に恐怖心を芽生えさせた。

「本当に面白いくらい違うよね。あんたと私みたいにさ」

「……何を言ってるんだ?」

「ヒントだよ。大ヒント。だから、そんなに怯えないでくれよ。あんたと私の仲だろ?」

 いつの間にか体が硬直し、首を強く動かして女王の拘束に抵抗することさえできなくなった藤野の恐怖心は理性を徐々に感性へと変換させてゆく。否応なしに行われる自己制御の変化は、彼から余裕を失わせ、叔父家族以外に見せたことの無かった涙を彼の双眸に浮かばせた。

 毅然とした態度と絶対的な精神的優位があると、常に考えてきた彼にとって今現在、自分の精神と連関して起こしている生理的な動きは屈辱の他なら無かった。最も屈したくない相手に、最も低い地位に居ると考えてきた部類に入る相手に、自身のプライドの衰退を見られることは恥辱でしかない。

 だが、昨日今日とで自分に降りかかった無数の出来事とこれを対処した際に生じた精神的疲労は、彼の肉体に屈辱的な反応を与えてしまった。

「泣かなくたって良いだろ」

「……狂人が」

「あんたにだけは言われたくなかったよ」

 涙ぐむ声と折れてしまったプライドを引っ提げて、藤野は明野を睨みつけた。

 あまりにも必死で、あまりにも惨めな体裁を見せつける情調不安定な奴隷の必死な足掻きは、女王の笑いのツボをくすぐった。無情な女王の笑みは、奴隷の心をより恐怖に満たした。

 しかし、この恐怖によって心が満たされることは境地にある理性を彼に与える契機ともなった。笑い声によって増幅される恐怖が与える冷たさは、あらゆる感情を停止させ、彼を境地に至らせた。そして、彼は自分が恐れている対象を初めて明確に捉えた。

「トオル」

 自身を脅かす存在を藤野は澱みにない声で指摘した。

 突拍子もなく下の名前を呼ばれた明野は、きょとんと首を傾げた。そして、知的な雰囲気から遠く離れたとぼけた表情を浮かべた。

「俺はお前が怖い」

 しかし、藤野にとって明野の表情などどうでも良かった。彼は純然と彼女に対して抱いている恐怖を伝えられれば良かったのだから。欺瞞と虚飾に満ちた女王が持つ怖さを彼は訴えかけられれば、それでよかったのだ。

 あまりにも率直な彼の告白に際して、彼女はさらに首を傾げた。

「嘘を平然と吐いて、俺を傷つけるお前の心が俺は怖い」

 言葉足らずだということを理解していた藤野は、ぽつぽつと雨だれが地面を穿つように自身の言葉を補足していった。なるほど、彼が恐れていたものは明野ではなく、彼女の着飾った心だったのだ。理解できるが、それを動機にするというにはあまりにも弱すぎる動機で自分を奴隷にした彼女の心は彼にとって恐怖の対象であった。

 秘密のベールに覆われた心が奴隷に恐怖を覚えさせているということを理解した女王は、呆けた表情をかなぐり捨てて、嗜虐的な笑みを浮かべた。

「へえ、そっか、あんたは私に恐れを抱いているんだね。なるほどなるほど、良いねえ、ますます楽しくなってきた」

「楽しいのはお前だけだ」

「それはそうでしょ。だって、私が楽しむためにあんたは今ここに居るんだからさ。じゃなかったら、あんたとなんか関わらないよ。あんたみたいな野暮で、捻くれてて、馬鹿な男とさ」

「ああ、一昨日の俺は馬鹿だったよ。牧にまんまと乗せられて、自由が奪われるなんて考えても無かった俺は馬鹿だ」

 いつの間にか恐怖を乗り越えていた藤野は、遠い目をしながらジッとスクリーンに映る二人の少女を見つめていた。ある境地に達した彼の理性は、自分には無かったものを見つめることによって自分の中に、楽し気な思い出を良い記憶として保管しようとした。嫉妬や憎悪ではなく、大人びた態度を彼は取ろうとした。

「あんた、まさかまだ自分がファウストだとでも思ってるの?」

 だが、澄ました奴隷の横顔を見つめていた女王は呆れの意を込めて溜息を吐いた。そして、彼女は彼の関節を考慮せず、両手で彼の頭を無理やり自身の方に向けた。

 ある程度の力を首に加えていた彼は、その力に反する作用を外的に加えられた。したがって、彼は鋭い痛みを首に覚え、肉体の連関作用により涙を生じさせた。彼にとって彼女に反駁することよりも、その痛みの方が優先された。

「あんたはファウストじゃないよ。ましてやメフィストフェレスでもない。あんたは愚昧で凡庸な一般人だよ」


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