第28話

「お姉ちゃん!」

「待ってよ、アキラ」

 入力された動画は明野が操作を終えた後、スムーズに出力された。そして、プロジェクターよりスクリーンに映し出された映像というのは、二人の小さな女の子が青々とした公園で追いかけっこをしている様子であった。

 向日葵のような笑みを浮かべた純粋な子供は、もう一人のへとへとになって足がもつれた見覚えのある眼鏡をかけた女の子を知ってか知らずか、元気に走り回っている。そして、その後ろでは、壮年期に達しているであろう男性の渋い声とその男性よりも若いであろう女性の幸せそうな談笑が繰り広げられていた。玉のような汗をかく二人の少女、非の打ちどころのない夫婦と思われる二人組の声、それは一つの家庭を明確に示していた。

「これ、お前の?」

「そう、私の小さい頃を記録したホームムービー。どう、ちっちゃな頃の私も可愛いでしょ?」

「小さいころ限定だ」

「そう?」

 いつの間にか藤野の腕に抱き着き、自らの豊満な胸を押し付けている明野は彼の皮肉をものともせず、嫌味な笑みを浮かべていた。

 ただ、彼にとって彼女の笑みなどどうだって良かった。今の彼にとって自分に干渉してくる肉体を持つ彼女よりも厭わしい存在が居たのだから。

「アキラ、走りすぎ……」

「お姉ちゃんの体力が無さ過ぎるだけだよ」

 アキラと呼ばれる小さな子供。

 アキラと呼ばれる一切の不幸を知らない純粋な子供。

 アキラと呼ばれる疲れて座り込む姉にあどけなく腹を立てる子供。

 アキラと呼ばれて笑う子供。

 藤野は自身と同じ名前の存在を嫌悪した。だからこそ、彼は映し出される存在を目の敵のように睨みつけ、心の内から湧き出る憤りを少女にぶつけたのである。もちろん、彼は自身のしている行動が何の意味もないことを知り得ていた。

 だが、彼は自らの本能に従った行為をしなければ理性を保てなかった。

「なんでそんな怖い顔をしてるのさ」

「……黙れ」

「嫌だよ。私はあんたの女王なんだぜ?」

「……」

「それこそがあんたの矛盾だよ」

「矛盾?」

 怒りによってバランスを保たなければ、理性を保証できない自分を見透かすように明野は嫌味な笑みを見せた。そして、彼女は藤野をくすぐるように彼の喉仏をほっそりとした手で撫で始めた。

「矛盾。多分、敷島さんにも指摘された矛盾だよ。子供っぽくて、あんまりにも馬鹿々々しいあんたの愚行を象徴する矛盾」

 誘惑する悪魔のように藤野の耳元で明野は囁いた。そして、出来るだけ意識を彼女や映像から逸らそうと彼は首を脇に逸らそうと試みた。

 だが、喉仏を撫でていた手と空いていたもう一方の手によって彼の逃避行は妨げられてしまった。そのため、彼は彼女の囁きと映し出される不快な映像を凝視しなければならなかった。

 右耳よりささやかられる相変わらず分からない不可解と、主に左耳から入ってくる彼女の暖かな家庭の映像。二つの不快な温床は彼を苛立たせた。そして、彼の感情のコントロールは、今日の昼休みのように、感性に委ねられかけた。

 しかし、彼は自身が矛盾を抱えているという指摘を動機にして、彼女の家庭に関する矛盾を厭わしい映像より見出した。

「けど、お前も矛盾してるじゃないか」

「矛盾?」

 絶対的優位を取っていたと考えていた明野は、突拍子もない彼の問いかけに首を傾げた。

「ああ、お前は厭わしいと思っているはずの家庭に順応してる」

 しかし、藤野の指摘は明野により悪意のある笑みを浮かばせた。

「残念。私が嫌っているのはこの家庭じゃないの。一つ前の家庭」

「一つ前?」

「そう、一つ前。だから、私と妹の顔をよく見比べてみなよ」

 自信満々に指摘したことが外れてしまった藤野は、自身に対する苛立ちと明野に対する苛立ちという二重性のある苛立ちを抱いた。だが、それらを抱きながらも彼女に言われたことを、嫌々ながら見つけ出そうとする。もっとも、彼女に指摘されたことは、昨日彼女の写真アルバムを見た時、彼が気付いていたことなのだが。

「全然似てない……」

 そして、藤野は嫌悪すべき映像からたった一つ、幸せではない点を見出した。それは明野とアキラと呼ばれる少女の顔が、仕舞なのにも関わらず、全く似ていないという点であった。

 彼女はまるで彼の言葉を待ち望んでいたように、にんまりと口角を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る