第23話

 二つの予定が見事に合わさってしまった藤野は、一つの楽しみを抱えながらも鬱々と午前の時間割を消化していった。普段ならば没頭できる勉強や運動も、心穏やかではないこの自分においては全く集中できず、ただひたすらに長い退屈を彼に与えただけであった。

 しかし、酷く進みの遅い時間を過ごす彼にも、三限の美術と四限の家庭科の間の休憩時間にだけは興味深いことが与えられた。と言っても、その興味深いというのは彼にとっては酷く面倒くさく、相手にしたく無いことでもあった。

「ねえ、藤野君、ちょっと良い?」

 三棟一階にある小奇麗な家庭科室の前の薄暗い廊下で、つまり彼と女王が初めて出会った場所で、藤野は魔女に呼び止められた。孤独な彼とは異なり、彼女の周囲にはそれ相応の同性の数人の友達が居た。

 他人が自分たちとの関係に介在することを良しとするのかと、彼は一瞬考えた。

 だが、プライドの高い女王自らが署名した契約を反故するとは思えなかった。したがって、彼は彼女が自分に対して、早急に伝えたいことがあるのだろうと判断した。このため、聞こえないふりをして避けようとした彼女の言葉に従って、一時停止すると彼は彼女だけを見つめた。彼女の取り巻きは彼にとって、水梨と同様の存在でしかなかったためだ。

「なんですか?」

 クラス委員としての仮面をつける明野の微笑に対抗するように、藤野もまた外面をつけて微笑を浮かべた。初めて見るであろう彼の柔和な表情は、彼女の友達の動作を一時的に停止させた。そして、動作を停止させた少女たちを彼は酷く嫌悪した。

「聞きたいことがあってさ」

「なんですか?」

「ここじゃ、ちょっと藤野君のプライバシーにかかわるから」

「分かりました。それじゃ、人気のない場所に行きましょうか」

「物分かりが良くて助かるよ」

 藤野は表情で示してはいないが、あからさまに明野の友達たちを邪険に思う雰囲気を、彼女にだけ分かるように醸し出した。そして、彼女はこれを察知すると、自身の友達に軽く頭を下げて、友達の下を離れ、遠ざかる彼の背中を追いかけた。

 残された彼女の友達たちは、薄暗く肌寒い廊下を共に歩く二人の姿を一つのロマンスとして認識した。ただし、これは客観的な判断でしかなく、彼の内心は気だるさを帯びていた。学校における自由時間ですら奪われるのだと思うと、彼は酷い倦怠を覚えた。

 そして、同じ棟の同じ階にある家庭科室から二教室離れた地学準備室前の扉の前で二人は立ち止まった。

 瞬間、二人は外面を外して、冷淡な自己を見せ合った。

「俺に伝えたいことって?」

 一刻でも早く女王の下から立ち去りたかった奴隷は、ズボンポケットに両手を突っ込みながらあからさま態度を明野に見せた。

「水梨さんのこと。あんた、あの子とどういう関係なの?」

「嫉妬でもしてるのか?」

「あんたのことばらすよ」

 横柄な態度を藤野は取って見せようと試みたが、横柄さで言えば明野の方が上であり、立場も彼女の方が上であった。このため、彼の試みはことごとく失敗し、質問に逆らえない状況を生み出してしまった。

「分かった。分かったから、それだけ止めてくれ」

「じゃあ、話してよ」

 素っ気ないが、どことなく熱を帯びている明野を認めると、藤野は自分たちの相互関係を疑った。彼女もまた嫌悪すべき感情を抱いているのではないかと、彼は考えたのである。

 しかしながら、自身の存在に絶対的なプライドを持ち合わせているであろう女王が、万が一にでも自身の取り決めたことを唾棄するとは到底思えなかった。このため、彼は熱い変化を帯びた彼女の双眸を見つめながら、水梨と交わした会話の内容を彼女に伝えた。もちろん、彼がまだ彼女に伝えていなかった自身の家族のことも。

「……やっぱり、そうなんだね」

 言えることを全て言い終えると明野は、藤野から視線を逸らし、含みのある呟きを発した。彼は彼女の言葉を聞き取れはしたが、その言葉の中に何が隠されているのかは理解できなかった。どういう訳か微かに口角を上げて、昨日の夜に見せた恍惚とした表情を浮かべている彼女が何を考えているのか、彼には皆目見当もつかなかった。

 隠し事を抱えているであろう彼女に対し、彼はその正体を探ろうとはしなかった。これは時間の都合もあったし、彼女が隠している何かしらの事情について暴いたところで自己の自由を得られるわけではなかったためである。

「それで、あんたは水梨さんを袖にするつもりなの?」

 自らの表情を隠匿するためか、それとも単純な興味のためか、明野は冷淡な仮面をつけて彼を見つめた。

「想像にお任せするよ」

 そして、藤野は明野の感情を皮肉るように微笑んだ。

「水梨さんは善い人だよ」

「確かに善良な人だよ。けど、感性に従って生きているから駄目なんだ。俺の理想から離れてる。お前と同じだよ。ただ、その一点だけ俺の理想から遠いんだ」

「本当に面倒くさい奴ね」

「誰とも関わり合わないんだ。それで俺は良いんだ」

 性根が曲がり切った藤野の清々しい回答に、明野は溜息を吐いた。そして、休み時間における彼に対する興味が失われたのか、彼女は彼に背中を向け、家庭科室に戻り始めた。

「けど、あんたのそれは矛盾だよ。あんたはあんたが最も憎んでる人と同じ道を歩んでるんだから間違いないよ」

 ただ、微かな秋の日差しに照らされる薄暗い廊下に明野の嘲る言葉は良く響いた。

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