第13話

 オカルト趣味。

 これだけの情報で、これ自体を想像することは困難である。果たして、何がオカルティックな雰囲気を生み出しているのか、これを記述するないし観測する他、これを明瞭に思い描くことは困難である。

 明野の部屋は全体的に暗い雰囲気でまとめられている。それは廊下と同様の紺色と橙色の壁に始まり、フローリングの上に敷かれた紫と赤の幾何学模様の絨毯にも表れている。加えて、彼女の部屋は都内の一人暮らし用のマンションの一室にしては極めて大きいワンルームである。畳数で言えば二十畳であり、天井も高く、消極的な表現を使うのならば、だだっ広さを抱かざる負えない部屋である。そして、このだだっ広さが暗い雰囲気をより際立てる。

 天井からぶら下がるゴシック調のシャンデリア、黒い木目が浮き出た歪んみを意匠として持っている部屋の入り口から見て左側の壁を埋め尽くしている本がびっしりと入った本棚、部屋の中央には彼女が据わる一人用のレザーソファーが置かれ、その右方にはレザーソファーより手前から、家庭用プロジェクターが置かれたギリシアのコリント式の柱を模した彼女よりの肩程度の高さがある置台、黒いフェルトが背面に張られて赤いフェルトが座面に張られた成人男性が三人ほど座れるソファ、天井からぶら下げられ、右壁面に垂らされた大きめのスクリーン、スクリーンの左右に置かれた家庭用の中でも大きい部類に入る黒いスピーカが設置されている。

 また、入り口より真正面にはロココ調の黒々としたベッド、ベッドの右枕元には骸骨の模様が施されたランプシェードが特徴的なテーブルランプが、木製の黒いチェストの上に設置されている。また、チェストの上にはどういう訳か人間の頭蓋骨の模型が置かれており、ところどころ歯の抜けた頭蓋骨の残った歯には、指輪やネックレスなどの装飾品が掛けられている。そして、日光を取り入れる窓はベッドの真後ろに一か所だけ、広々としたガラス窓が設置されており、そこには黒いレースのカーテンが掛けれ、日光、月光に流入を意図して妨げている。ベランダも構造的にはあるようだが、その出入口は部屋のどこかに、およそ本棚の後ろに隠されており、ベランダに侵入することは出来なくなっている。

 このような部屋の中心に彼女の鎮座し、奴隷たる藤野の舌でもって自らの足を舐めてもらおうとしているのだ。その妖しさは頂点に達しており、雰囲気と超常的な表現を用いれば、彼女は男をたぶらかす魔女に見違えるであろう。

 妖しく微笑む魔女の艶やかな空気に当てられる奴隷であるが、どうやらその肝は据わっていたらしい。つまるところ、藤野は明野の突拍子もない要求に対して懐疑的な姿勢をとることが出来たのだ。儀礼的な品の無さもうかがえるその行為に、彼はいたって真面目に眉をしかめて、首を傾げて見せる。

 だが、魔女は魔女のままである。余裕たっぷりな笑みを浮かべたまま手招きをして、自らの足を舐めさせようとする。

 かくして、部屋の中には二項対立の概念がもたらされるのである。一方は超常的な非現実、一方は倫理的な現実、こうした対立関係が二人の視点を支配するのだ。

「儀式としてどうして俺はお前の足を舐めなければいけないんだ?」

 現実として今を捉えている藤野は、もっともな疑問を、髪を弄りながら明野に投げかけた。

「無粋な質問だよ。今は私が女王で、あんたは奴隷。つまり、私が儀式って言えば儀式になるんだよ。行為自体に疑問を抱いちゃ駄目なんだよ」

 現実的な問いかけであったが、傍若無人で非現実的な態度を取る明野にとって藤野のそれは愚問であった。したがって、彼女は彼の疑問を傲慢な言葉で跳ね返し、即刻自らの足を舐めるように勧める姿勢をとったのである。

「駄目だ。お前が俺に望んでいることには、何かしらの動機があるはずだ。そいつを伝えてもらわなきゃ俺はお前の望むことは出来ない」

「面倒くさい人間だよ」

「お前はそれを承知で俺を縛り付けるんだ。説明は当然の義務だ」

 白い髪をかき上げながら、さも決め台詞かのように藤野は明野に要求した。

 彼の言動を蔑むことによって受け流すことも彼女には出来る。しかし、彼女は毅然とした態度で、非現実の現実において彼を満足させる言葉を紡ぐつもりであった。

「なら、説明してあげよう」

 呼応するように明野も髪をかき上げた。

 シャンデリアの光は金縁眼鏡を輝かせ、底知れない知性を概念的に藤野に与えた。もっとも、彼は自らの感じ得た印象はたったひと時の錯覚に近いものでしかないこともみとめていた。

「君は私の所有物だからだよ。あんたは私に脅され、そしてあの空き教室で私について来ることを決めた。私があんたに提示しようとした契約の内容の概略も聞かずに、あんたは現状から目を背けてのこのこ私の家までやってきた。その時点であんたは私の所有物になったんだよ。私があんたに求めた契約は、あんたが私の奴隷になること。そして、奴隷として私の所有物となったあんたは、私と一緒にいるとき自分の自由を私に預けなきゃいけないの。それが詳しい契約の内容。もっとも、奴隷って名詞であんたの身分を定義した時点で、あんたの自由は、法律に触れない限り、私の所有物となったんだけどね」

 取ってつけたような理由であるが、明野の言い分には筋が通っていた。彼女に脅された時点で藤野は自らが置かれている立場に絶望し、契約の内容を詳しく聞こうとしなかった。そして、放心状態のまま彼女の背中を追いかけて、彼女の家まで不用心にもやってきた。これらは全て彼の不注意によるものであり、彼が自分の置かれている状況と自由意志の範囲の定義を把握していれば、屈辱的な行為を避けられたはずなのだ。つまり、今の状況は全て彼自身の不甲斐なさによるものであり、避けようと思えば避けられたことなのだ。

 だが、彼女の言い分の中には事後法的な、つまり契約の後に契約内容を付け加えたような節がある。このため、彼女の彼に対する要求が明らかな正当性を持っているものなのかと言われれば、疑問符が残る。

 しかしながら、彼女は浮かび上がるであろう疑問符を握りつぶす権利を持ち合わせていた。これは彼女の人徳の高さに由来するものであり、これを否定することは彼の持ち合わせる一切を賭けても成すことは出来ない。

 表向きの仮面が成してきた尊敬の含蓄がもたらす脅しにより唯一の疑問符すら握りつぶされた彼は、奥歯を噛みしめ、後悔を味わう。元をたどれば自分にたどり着くこと、そして彼女が日常にもたらした呪縛から抜け出せる唯一の手段であったことが封じられたことも、あからさまな感情を彼が示す要因となった。

「どう、これで納得してくれた?」

 そして、明野は藤野の苛立ちを逆撫でするように、猫なで声で彼に微笑みかけた。

「納得した。ああ、納得したとも」

「不服気だ。けど、その顔もまたそそるね。ぞくぞくするよ、もっとあんたをいじめたくなる。弄りまわして壊したくなる」

 蠱惑的な微笑を明野は浮かべ、狂気に満ちた声を紡いだ。

 温度的には暖かいが、本質は極めて冷たい彼女の声に晒された藤野は、全身がゾッと震えあがる現象に見舞われた。彼女を恐れているのだ。そして、彼はこれを自覚したくなくとも自覚しなければならなかった。それこそが自らの現状に対する具体的な提示である上に、これに従わなければならない状態に自分が置かれているためである。

 顔を伏せながら、さも白旗を上げるように彼は彼女の下へ歩み寄って行く。

 一歩、また一歩と自身の下に近寄ってくる哀れで惨めな奴隷に、彼女は頬杖をつきながらサディストの笑みを浮かべる。にんまりと口角を上げる彼女は、彼が今まで培ってきた哲学を全て壊し尽くすことを意図しているようだ。積み上げたプライドは魔女の放つ魔力の前では無意味となり、彼の存在は奴隷に成り下がる。

 奴隷は魔女の足元に跪くと、生温かくしなやかで湿気を帯びている右足を手で包み込む。

 手は彼女が人間であり、現実を生きる少女であることを証明する血流を感じ取り、彼女がいたって普通の少女であることを明らかにする。

 しかし、心に臆病を抱く彼の目に映る金縁眼鏡の少女は、この世に顕現した悪魔の様にしか映らない。無条件の恐れが、彼の精神を脅かすのである。

「じゃ、舐めてよ。私の奴隷」

「……分かった」

 心から今を楽しむように明野は、愉快の言葉を紡いだ。静かなる暴力に晒される哀れな奴隷は、精神的な隷従を敷いて来る魔女の言葉に頷いた。

 彼は艶やかな唇を彼女の親指の爪につける。その接吻は彼が彼女に言われたことをそのままやってやるということの意思表示である。

 唇を親指から離した彼は、嫌悪を覚えながら舌を出した。幾度も陽物を舐めてきた下であるが、彼の舌は彼女の足に対しては極めて顕著な拒絶を示す。しかし、彼は意を決し、彼女の足の親指に口をつけ、舌を出して、酸化した彼女の汚れを舐めとるのだ。

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