第5話
若き少年たちの性欲は一晩続き、彼らが満足な疲労に包まれたのは午前四時頃であった。
ベッドに裸で横たわる藤野は、スマホを取り出し、眠たげな眼でSNSを見ると今日の相手を探り始める。制服のズボンを履き、ベッドに腰を下ろしている牧はつい数十分前まで甘い声で鳴いていた彼の素っ気なさ過ぎる態度に微笑を浮かべている。
しかし、彼にとって牧の表情などはどうでも良く、それ以上に今晩の相手を求める方を優先するべきことであった。
彼の言動は冷淡な態度に映るが、牧も自分と彼との関係が金でやり取りされる不誠実な関係であると同時に、一時の契りでしかないことを理解していたため、不愉快な感情を抱くことはなかった。
ただ、不愉快の代わりに牧はあることを思い出す。それは彼が昨日、ある人から頼まれたことである。
「藤野、ちょっとまってくれよ」
「何を? もしかして、もう一回やりたいのか? 止めとけよ、今日に響くぜ」
気だるそうに頭をもたげて、藤野はスマホを昨夜の情に濡れたマットレスに投げ出した。そして、あくびをしながら牧に向け、苦笑いと注意を紡いだ。
「そういう訳じゃないよ。ただ、明野さんに頼まれてさ」
聞き覚えの無い名前に藤野は首を傾げる。
「明野さんのこと知らないの?」
「誰だよ、そいつ。有名人?」
知っていることが常識のように振舞う少年に、微かな嫌悪感を藤野は示す。世間知らずな彼に牧は、彼の嫌悪感と同じ程度の驚きを示す。
「有名人ってわけでもないけどさ。一応、俺らのクラスの委員長だから知ってるかと思ったんだよ」
「俺から最も遠い存在だ」
「それなら仕方ないか?」
明野さんと呼ばれる人間の正体を知った藤野は、呆れを含んだため息を大きく吐き出した。ただ、正体を知ったところで彼の興味を明野さんという存在が惹く訳でもなく、彼は再びスマホを手に取り、横になってSNSを適当に見始めた。
興味がないことには徹頭徹尾興味を示さない彼の態度に、牧は反って首を傾げる。
しかし、想像をなぞる牧の反応に彼は微かに笑う。長めの白い髪がかかる顔から見える微笑は、少年らしさと少女らしさを兼ね備えており、朝暮れの濃紺の世界で唯一輝く存在である。未だ朝日が顔を出さない世界において彼の微笑ほど輝くものはない。したがって、牧は彼の微笑を注視するのであった。
「それで、それで明野さんって人は俺に用事があるのか?」
暫時見つめられた藤野は、牧の瞳を見ている内に、どういう訳か興味の無かった存在に対する興味が湧いた。いや、訳という論理的な理由などなく、彼はただの興味ゆえに明野さんという人物に興味を示したのであろう。
「今日の放課後、五時半に三棟三階の空き教室で待ってるってさ」
興味が無いと態度で示していた藤野の唐突な変わりように、再び驚きながらも牧は明野さんより預かった言葉を伝えた。
仰向けになり、右手の指先を顎に当て、左手では髪をかき上げると彼は思考の天秤をかけ始める。自らの欲求と、見ず知らずの相手。どちらも損なうのは、欲求に適ったことではないが、どちらか一方を取るのも非常に惜しいことであると彼は考える。
しかしながら、身体も脳も分離しない体を持つ人間にとって、両方の欲求を一気に満たすことは不可能である。このため彼はどちらか一方の選択を自らの思考に迫るのであった。
「もったいないか……」
「何が?」
「新しい出会い」
「純粋な出会いを求めるなんて珍しいね」
ベッドから腰を上げ、天井に体を伸ばしながら牧は間延びした声を漏らした。
「人間、時には変わるときもあるんだぜ」
天井に向けてクスリと微笑みながら藤野は天秤の傾きを答えた。
「今、笑ってるだろ」
「なんでわかったんだよ」
「分かるさ。体を重ねたんだから」
「それだけで俺が分かってたまるかよ。いや、分かる奴はいるかもしれないけど、それはお前じゃない。分かる奴が居るとするなら……」
牧の言葉に藤野は、起き上がりながら反駁した。
ただ、反論を完璧に紡ぎ出す前に、彼は固有名詞を脳裏で言葉を押しとどめた。同時に自らの性分に合っていないことを発そうとしてしまった自分自身に恥を覚えた。割り切った関係だと今まで信じていた関係が、微かなほころびを見せたためである。
怒涛のように反撃の言葉が吐き出されると思っていた牧は、狐に頬を摘ままれたようにぽかんと驚く彼に再度首を傾げる。もっとも、牧は金と体の関係だと割り切っていた関係下にある人間の名前を、彼が紡ぎ出そうとしていたことは理解していた。しかし、その紡ぎ出そうとしていたことに対する訳に首を傾げたのである。
「まあ、誰でも良いけどさ。とりあえず、服着なよ。そろっと、チェックアウトの時間だ」
二人とも分からない理由に固着していても仕方がないため、牧はしわくちゃのワイシャツのボタンを留めながら未だに全裸の藤野に素っ気なく語りかけた。彼は牧の声にこくりと頷くと、床に散らばる服を手に取り着用してゆく。
「俺らしくないな……」
「健全だけどね」
「俺にとっては爛れてるくらいがちょうど良いんだよ」
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