第3話
日が落ち夜の帳が天幕にかかり始めたころ、藤野は独りぼっちの家に帰り、シャワーを浴びていた。滑らかで赤らむ肌に滴る温水は、彼の女性的な肉体を美しく演出させる。
「まあこんな具合で良いか……」
不浄の穴に指を入れ、先ほどの汚れを落とし終えると髪をかき上げる。髪に付着する水分は、藤野の動作に従って微かに取れ、髪に隠されていた美しい額が露わになる。年齢のことを考えれば当たり前のことであるが、彼の体には沁み一つない。また、年齢に応じたニキビ一つない。
汚れ一つない中性的な美しさを持つ彼は扉を開け、バスルームより脱衣所に出て、バスタオルを手に取り、頭からつま先にかけて滴る水気を拭きとる。そして、水蒸気によって曇る洗面鏡の曇りを手で拭い取って、洗面台の両ふちに手を置いて体を支える。ふやけたような脱力しきった体を支える彼は、水滴が垂れる洗面鏡に映る自分を曇った眼差しで見つめる。彼の視線は自分自身の中にある何かを、形而上の何かを忌み嫌っているように見える。
「チッ……」
脱衣所に響き渡る舌打ちをすると藤野は、ドライヤーを点けて髪の毛を一心不乱に乾かす。美しい髪を大切に扱うことなく、彼は乱暴に、搔きむしるように乾かす。だのに、荒々しい手つきで乾かしたのにもかかわらず、乾かし終えた彼の髪は絹のように美しく、髪の毛一本一本がはらはらと個を保ちながら重力に従う。
肩までかかる髪を彼は後ろで結ぶと、先ほどまで着用していた制服を着る。せっかく洗い落とした汗が染み込んだ服を着用することは、理解しがたいことである。
だが、彼の行動には理由がある。
「制服汚れるとめんどくさいのに……」
ズボンポケットからスマホを取り出し、SNSを開いてDMを確認しながら藤野は愚痴を吐く。なるほど、彼が制服に着替えたのは、この後に行う淫靡な宴に興じるためであった。
しかし、自分で誘っておきながら彼は中々気分が乗らないらしい。もっとも、責任を負って春を売っていることを彼は理解してる。したがって、興味が乗らないと思っていても、やらざる負えないというのが、沈む気分に対する彼なりの解決である。
ため息を吐いて、髪を掻きながら脱衣所から出た彼はそのまま怠そうな足取りでリビングに向かう。
一人暮らしにしては大きすぎるアパートのリビングは、あまりにも寂しい。天板がガラスのテーブルも、本が敷き詰められた大きな本棚も、小奇麗なダイニングキッチンも、閉じたカーテンも何もかもが寂しさを帯びている。
閑散として静まり返った中を、わざと音を立てないように歩き、彼はソファに横になる。そして、SNSを開いて意味のないつぶやきを書きこむ。
瞬間、彼の投稿には『いいね』の赤いハートマークがつく。彼はこの『いいね』がつく瞬間に、形容しがたい幸福感を覚え、胸が高揚する。先ほどまで感じていた気だるさも、この瞬間の彼にとっては感じられないものとなっていた。
簡易化された承認に浸る彼であったが、約束の時間は刻一刻と迫る。止めることの出来ない時の流れを表示するスマホの時計に、彼はため息を漏らす。
湿っぽくて気だるい彼の息は、閑散とした部屋全体に満ちる。物理的な体積から考えれば、彼の溜息など些細な変化でしかなかったが、こと精神面においては物理量を凌駕する影響を彼にもたらした。そして、彼の溜息は寂しい空気と混じり合う。
形而上の混合気体は、彼の空想上の肺を満たす。瞼を閉じながら、肺に満ちる空気を感ずる彼は気だるさの中に、じんわりと淫売の性欲を覚える。あるいは、性を持て余す思春期が覚えさせたのかもしれない。
かかる道理は不明であるが、彼は生理的欲求を覚えソファより立ち上がり、ズボンポケットに手を突っ込む。メッシュ地の中でくしゃくしゃになった五千円札が、手の甲を摩る。独特な紙質による独特なくすぐったさと達成感に、彼は微笑を浮かべる。そして、半ば捨てられた塵紙のように丸まった五千円札をテーブルに転がすと、足取り軽く玄関に向かった。
軽装も軽装で都内へ繰り出した少年は、退勤ラッシュで混み合う池袋駅構内の切符売り場前の柱に背中を預け、スマホをいじりながら今宵の相手を待つ。
「お、待った?」
スマホをいじること十五分、藤野と同じ制服を着用した彼の相手は到着した。彼の相手は、至って普通の高校生である。先ほど彼を犯していた桑原とは異なり、素行の悪い高校生からはかけ離れた黒髪センター分けの好青年である。
どこにでもいる爽やかな高校生の到着に、彼は作り笑顔を貼り付ける。
「いや、待ってないよ、牧。てか、なんでわざわざホテルでやるの? 明日授業あるし、帰るのめんどくさいんだけど」
笑みの中に冷ややかでありながら、現状と背反する道徳性を藤野は見せる。彼の発言に、牧はこみ上げるコメディを抑えきれず、笑い声を漏らす。一極集中の結果生まれた生暖かい雑踏の中で、漏れだす笑い声は構内に木霊しない。牧の噴き出す笑い声は、ただ彼に向けられるだけである。
「なんだよ、その反応?」
「いや、こんなことやってるくせに真面目なんだなって思ってさ」
白い髪を弄びながら眉間に皴を寄せる藤野に、牧は思っていることをついつい漏らす。過去数回、彼と関係を結んでいる牧は、彼がこういった彼自身の背反する性格について問われると不機嫌になることを知っていた。このため牧は、思わず両手を口に当てる。
目の前で滑稽な動作をする牧に、彼は悪戯心を含めた笑みを浮かべる。不機嫌な調子は彼の表情に現れておらず、牧は胸を撫でおろす。
「毎回ってるだろ? 俺は学のない奴が嫌いなんだよ。俺は蒙昧な男娼じゃない。教養ある陰間だよ」
「へえ、そういうプライドはあるんだ」
「プライドがあるからお前とやるんだよ。知性あるお前とさ」
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