第9話 今宵の宿
ヴィーネと別れたゲッツはしばし街を散策した後、ある場所へと向かった。
太陽が傾いてきた頃、ゲッツがやって来たのは丘の上に建てられた家だった。貴族の物としてはそれほど大きくはないが、庶民の物とは思えない程には大きく立派な屋敷だ。
ゲッツは玄関の前に立つと、ドアノッカー(輪を咥えた、獅子の頭を模している)でもって扉を叩く。程無くして、扉の向こうから人の気配が近付いてきた。
「どちら様でしょうか?」
扉が開かれ、中から
背の高い、赤毛の女性だ。
女中の服は黒いワンピースに白いエプロンと、少しばかりの飾りを着けた物だ。頭にはフリルのヘッドドレスがある。仕事の邪魔にはならず、品位と美しさがあり、しかし華美に過ぎるということがない。
───いい趣味をしてるな。
「失礼。私はゴットブランド・フォン・ベンデルリーン。サー・ジギスカルト・フォン・キルシュテルの友人です。御取り次ぎ願いたい」
「……少々、お待ちください」
一度扉が閉じ、しばらく待たされる。
しばし待っていると、再び扉が開かれた。そこにいたのは、赤毛の女中……ではない。精悍な顔つきをした、ゲッツと同じくらいの年頃の美丈夫だった。
「よく来てくれた、サー・ゴットブランド」
「ああ。久方ぶりだな、サー・ジギスカルト」
†
ゲッツがルットフォルツ伯爵領にやって来たのは、旅の帰り道、宿を借りる為だった。
彼の住まいはここよりさらに東、グリルディール辺境伯領にある。その道中、夜明かしをするのにちょうど良いのがここだったのだ。
「悪いな、ジグ。今日は世話になる」
キルシュテル邸の居間で、ゲッツは家主たるジギスカルト───ジグにそう言った。
今のゲッツは籠手や鉄靴といった防具を外し、剣も外套もない。騎士らしい装備の一切は女中に預け、客間に持っていってもらった。ここは気心の知れた友人の家だ。格式張った正装も、不意の争いに備える必要もあるまい。
ソファーに座りくつろぐゲッツの対面には先程の男、ジグが座っていた。彼は切れ長の目で笑いながら、二つのグラスにワインを注ぐ。
「気にするな。俺も久しぶりに、お前と話したかったからな」
ジグはゲッツの友人である。お互いに
騎士に叙任された後も、しばしば交流があったが、ここ一年ほどは多少の手紙のやり取りしかなかった。
「まったく。少し見ないうちに、立派になったな」
ソファーに身を沈めながら、ゲッツは溜め息を吐いた。
豪邸とまではいかないが、立派な屋敷だ。ワインも上質であり、女中も有能そうだし美人だった。彼が裕福なのは疑いようもない。
羨むような顔をするゲッツに、ジグはさらに得意気に付け足した。
「鎧も一式、揃っている」
「なんだと?後で見せろ」
屋敷があり、鎧がある。どちらも騎士にとっては重要な物だ。外から見てわかりやすい、騎士の証だからだ。
だが、今の時代に屋敷と鎧一式を用意できる騎士はそう多くない。ゲッツも小さな家に暮らす、鎧もない貧乏騎士なのだ。
そんなゲッツ達からすれば、ジグの暮らしは羨ましいものだった。
「お前の方が先に士官するとはな。顔のいい奴は得だよ、ほんと」
「
ゲッツが毒づくが、ジグは勝ち誇るような笑顔だ。
騎士に叙任された頃、剣の腕はゲッツの方が上だった。だから武勲を立てるのは、どこかの領主に召し抱えられるのはゲッツの方が先だと、お互いに思っていたのだ。
だが、実際は逆になってしまった。腕があっても、披露する機会など中々ないからだろう。
それにゲッツが茶化したように、ジグは見目が良い。その自覚もあって、相応の振る舞いをする。その為に、周囲からの印象もおおよそ良好だった。
───とは言え、まさかなぁ。
居間の扉が開く。入ってきたのは女性であり、しかし女中ではなかった。
流れるような金髪と、透き通るような白い肌。ゆったりとしたドレスは私邸で着るそれだが、その上からでもハッキリとわかる豊かな稜線が見てとれる。
女性はゲッツを見ると、たおやかに一礼した。
「初めまして、サー・ゴットブランド。ジギスカルトの妻、エルメリーナです」
エルメリーナは、花の咲いたような笑顔で挨拶する。ゲッツはすぐにエルメリーナの前へと進み出ると、床に跪いた。
「先に名乗らせてしまい、申し訳ありません。私はゴットブランド・フォン・ベンデルリーン。サー・ジギスカルトの友であります」
挨拶と共にエルメリーナの手を取ると、その手の甲に口付けをした。古式ゆかしい、騎士から貴婦人への挨拶の作法である。
ゲッツとエルメリーナは、初対面である。それと言うのも、ジグがエルメリーナと婚姻を結んだ頃、ゲッツは所用で遠出をしていた。その為に、結婚式に参列する事が叶わなかったのだ。
そうして、彼らの結婚から遅れること
その事に満足しながら、ゲッツは立ち上がった。同じアースリングの男と比べて頭ひとつ分は背の高い彼を前に、エルメリーナは「まあ、大きい」などと感心している。
その顔を見て、ゲッツは不意に、既視感を抱いた。
「……
「え?そうでしたかしら?」
つい口に出たゲッツの問いに、エルメリーナが小首を傾げた。
どうやら、覚えはないようだ。いや、実際にゲッツも彼女とは初対面、だとは思うのだが。
「おい、ゲッツ。俺の妻を口説くんじゃない」
「あ、いや……失礼。記憶違いでした」
ジグにからかわれると、ゲッツは我に返って謝罪を口にした。
「奥方のような美しい御方、一度お見かけすれば忘れるはずもございません」
そう言うと、エルメリーナをジグの隣に座らせ、自分もソファーに戻っていった。
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