第7話 令嬢ヴィーネ
ヴィーネとの仕合から少し時を経て、ゲッツは市内の定食屋で昼食を採っていた。
ルットフォルツ市は豊かな街だ。お陰で店屋物の食事も思いの外、上質であった。
何種類かの野菜が入ったポタージュに、パン焼きギルドから仕入れているだろうパン。それに塩気の効いたベーコンと薄い
「それじゃあごゆっくりね。騎士様、お嬢様」
定食屋の女将がそう言うと、ゲッツは食事に手をつけた。やはり市井の定食屋としては、美味い。
しかし、だ。
「本当にここでよろしかったんですか?フロイライン・ヴィーネ」
「いいのよ、ここで。ここがいいの」
対面に座るヴィーネは、ニコニコと庶民の食事を口に運んでいた。
彼女がゲッツと食事を共にしているのは、彼女自身の要望によるものだ。仕合の後、ヴィーネはゲッツと話がしたいと言い出したのである。
そう言うわけで、ゲッツは
「だって、このお店は初めてじゃありませんし。ねー」
最後の同意は、隣の席の客に求めたものだ。相手もにっこりと笑っている。
そう言うことならば、良かった。
しかし、ヴィーネ───ウィルトヴィーネという少女が何者なのか、ゲッツは未だにわからずにいた。
薄々と察してはいたが、どうやらヴィーネはこの街でもかなりの有名人らしい。仕合を見ていた野次馬も、この店の店員も他の客も、ヴィーネのことをよく知っているらしい。
まあ、奇抜な服装で剣を振り回すような少女だ。人目を惹くのは当然とも言える。その上で、やはり貴族の令嬢であることは間違いないらしい。
すると気になるのは、親の爵位なのだが……
(本人が口にしない以上、わざわざ聞くのも野暮かな)
ヴィーネは一度も姓を名乗っていない。
家柄を隠したいのか、別の理由があるのか。いずれにせよ、自分から身分を明かすつもりはないのだろう。
まあ、街の者の親しみ方からして、そう高い身分ではなかろう。
「それにしても、最後のあれ。あれ、どうやったのですか?」
ヴィーネの正体に想いを馳せていると、当の本人はそんなことを尋ねてきた。
最後のあれというのは、鍔迫り合いのあれか。
ゲッツはふむ、と唸り、それから答えた。
「言葉での説明は難しいですな」
「えー」
ヴィーネにとっては肩透かしだろうが、仕方がない。
「重要なのは経験です。練習するしかない」
結局は、そう言うことになる。
「なに、フロイライン・ヴィーネは剣才があります。すぐに上達するでしょう」
正直なところ、ヴィーネは天才だ。ゲッツが羨む程に、彼女は才能に溢れている。先程の勝利も、単に体格と経験の差が生きただけだろう。
だが、ゲッツの言葉にヴィーネは不満そうな顔をした。そのまま、苛立ちをぶつけるように料理を食いちぎる。
「経験、練習ね……相手がいれば、そうしたいものです」
「いらっしゃらないのですか?フロイラインの、剣の師などは?」
ヴィーネの剣術は、癖は強いが体系立てられた剣術に思えた。だからゲッツは、彼女には師がいるはずだと思ったのだが。
「昔、叔父様に習ったの。けど、お父様に止めさせられてしまったのです」
「あー、それは、成る程……」
貴族の父としては、愛娘が剣を手に暴れるのを良しとはするまい。淑女たるもの、清楚でおしとやかにあってほしいものだろう。
才能を無駄にするのは惜しいと思うのは、ゲッツが騎士であり剣士だからだ。自分には妻も子もいないが、仮に親の立場だったなら同じことをするかもしれない。
「だから鍛冶屋の親方さんにお願いして、内緒で剣を作ってもらったんです」
腰に帯びた剣を、ヴィーネは自慢気に叩いた。
───これは、御父上も苦労しているだろう。
名前も顔も知らぬ貴族に、同情の念を禁じ得ない。この娘の行動力と奔放さは、どうにも並ではなさそうだ。
しかし、それらを支える情熱。それはどこから出ているのか。
「……フロイライン。どうして、そんなにまで剣に拘るのですか?」
剣術は楽しいかもしれない。ゲッツも腕を磨くことには余念がないし、楽しんでいるつもりだ。
だが、親の反対を押し切って、勝手に剣を作ってまで剣術を続ける意味は何なのだろうか?
ゲッツの問いに、ヴィーネは自分が僅かばかり、沈黙する。だがすぐに、答えを口にした。
「私、騎士になりたいのです」
「騎士に……?」
それは、思いもよらぬ答えだった。
騎士とは戦士だ。戦いとは、男の役割だ。
それは誰かが決めたことではない。古来より体格に優れ、筋力で勝り、野蛮で暴力的な男が外敵を打ち殺してきた。それは貨幣や爵位のような、人の定めた法ではない。天地自然の流れとして続いてきた歴史なのだ。
そこへ来て、騎士になりたい。そんなことを言う女性を、ゲッツは初めて見た。
呆気に取られるゲッツの前で、ヴィーネははにかみながら話を続けた。
「私、小さい頃から騎士道物語が好きなのです。けれど、姉様達がドラゴンや魔女に囚われたお姫様に憧れるのに、私だけはそれを救い出す勇敢な騎士に憧れたの」
小さい頃は、二人の姉がお姫様役。自分はそれを助ける騎士役だった。懐かしみながら、ヴィーネはそう言った。
それから、笑顔のまま───けれども不安そうな表情になる。
「やっぱり変かしら?女が騎士になりたいだなんて」
それは変だと、父は言ったのだろう。
成る程、確かに変だ。普通ではない。ゲッツにも騎士の知り合いは何人もいるが、女騎士など一人もいなかった。
その事を思い、ゲッツは頷いた。
「確かに、変わってらっしゃる」
ヴィーネの表情が曇る。それは悲しみと、失望か。
だが、ゲッツはそんな彼女に微笑みかけた。
「ですが、良いではありませんか。風変わりであることが悪いなどと、私は思いません」
「え……」
「それに、私も騎士の端くれ。
曰く、遥か古の女戦士は
それを思えば、強く勇敢な女が騎士を志しても良いだろう。いや、むしろ自然な事だ。
その、ゲッツの答えを聞いて……ヴィーネはテーブルを叩き、勢い良く身を乗り出した。
「そうですよね!アウラスクトラ様は女神様なのですから、女が騎士になってもお許しになるはずです!むしろ歓迎してくださるかもしれません!」
「お、おお……その意気です、フロイライン」
「はい。ゲッツ卿のお陰で勇気が湧いてきました。お父様が何と言おうと、諦めません!」
「……しまったなぁ」
ヴィーネはすっかりその気になっている。それは微笑ましいが、父親の気苦労を考えると申し訳ない。
とは言え、貴婦人が悲しみにくれていたのだ。それを慰めもしないのは、騎士にあるまじき……と、いうものだ。反省はしているが、後悔はない。
自己弁護するゲッツだが、ヴィーネの暴走、もとい情熱は激しく燃えていた。ゲッツの賛同を得られたのが、余程嬉しかったと見える。
───表情の多い娘だ。
そのはしゃぎようを微笑ましく見守っていると、ヴィーネがより一層、身を乗り出した。金の髪と大きな紺碧の瞳が、ゲッツの視界を奪う。
「では、手始めにゲッツ卿。私をあなたの
「そう来ましたか……」
騎士になるには、相応の手順がいる。
騎士を志すならば、まずは騎士に師事せねばならない。この、騎士の弟子を
従騎士は数年間を騎士とは共に過ごし、武術と作法を学ぶ。そうして十分な訓練を積んだと見なされれば、騎士の推挙によって叙任の機会を得るのだ。
なので、まずは師と仰ぐ騎士に出会う事。それが騎士への第一歩なのだが……
「フロイライン・ヴィーネ。まずは御父上を口説き落としてください。無断で貴女を弟子に取れば、きっと恨まれてしまう事でしょう」
ゲッツも貴族相手に揉めたくはない。それに、弟子を取れるほどに練達の騎士と言うつもりもないのだ。
丁重にお断りすると、ヴィーネは頬を膨らましてしまった。やはり、最初にして最大の難関は父親なのだ。
「ゲッツ卿はいけずなのですね。すっかりその気にさせておいて、つれない人」
「申し訳ない。しかし、私のような行きずりの騎士よりも、もっと信頼出来る者に師事されるが良いでしょう」
苦笑しながら、最後と思い忠告をする。
従騎士は数年間、騎士の傍に仕えるのだ。美しい女性が男に仕えるからには、相手は厳選せねばなるまい。
だがヴィーネは椅子に座り直すと、事も無げに言ってのけた。
「あら、でしたらやっぱりゲッツ卿ね。私、あなたより強くて誠実な騎士を知りませんもの」
それは、光栄な言葉であった。
強く誠実であること。それは騎士道の教えであり、即ちゲッツの理想である。
実際には、力は理想にはまるで足りず、心もまた然り。それでも騎士に憧れる少女の目にそう映る程度には、強がりも様になっているらしい。
だが、それはそれ、これはこれだ。
「御父上の同意があれば、いつでも歓迎しますよ」
「それが難しいのに……」
如何にも残念がるヴィーネだが、無理を言っている自覚はあるようだ。ゲッツが断ると、渋々と引き下がってくれた。
前途多難だが、困難に立ち向かい乗り越える。その負けん気も、また騎士道だ。ゲッツとしては、そう思ってもらいたかった。
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