第6話 木剣仕合
結局、少女からの挑戦を断りきれなかった。
ゲッツは観念して木剣を手に取ると、軽く素振りをし、重さや長さを確かめる。それから、クリスバーンに声をかけた。
「クリスバーン卿。木剣は
「ああ、片手剣が二本だけだ。諦めてくれ」
剣と一口に言っても、様々な形態がある。ゲッツも騎士である以上、一通りの武器は心得があるが、それでも得意な武器というのはある。実際、彼の腰に帯びている剣とこの木剣とでは、随分と異なっている。
とは言え、あまり不満は言うまい。ゲッツは広場の真ん中に歩み出ると、少女と向かい合った。
「ゴットブランド・フォン・ベンデルリーンと申します、麗しい
「ウィルトヴィーネと申します。ヴィーネでよろしいですよ、サー・ゲッツ」
簡単に名乗り合うと、互いに片手剣を持った側……右手を前に向け、半身に構える。
盾を持たぬ場合、半身に構えることで身体を剣の間合いに隠してしまうのが、手っ取り早く身を守れる形だ。互いに重武装を施した合戦場ではこのような形は希だが、互いに軽装の決闘であれば典型的な構図だ。
(さて、どう来るかな?)
ゲッツはヴィーネの様子を、じっくりと観察する。
お互いの武器は同じであり、ならば戦力の差とは肉体の差だ。その点で言えば、ゲッツは体格に於いて遥かに有利である。
元より男女の体格差は、男が有利である場合が多い。特にゲッツは平均的なアースリングの男より頭一つほどは背が高い。対してヴィーネは平均的な身長である。
即ちゲッツの方が間合いは広く、力は強い。もしもヴィーネが真っ正面から力比べを挑めば、ゲッツは一瞬にしてヴィーネを打ち倒すだろう。
そして、それをわからないヴィーネではあるまい。以上を踏まえて、彼女がどう斬り込んでくるのか。それが見物だ。
「…………」
ヴィーネの切っ先が揺れる。挑発のつもりか、あるいは狙い処を探っているのか。恐らくは後者だ。
ゆらり、ゆらり。まるで幻惑するような動き。ゲッツはヴィーネの切っ先ではなく、手でもなく、目でもなく、全身を見る。その一挙手一投足、全てを監視する。
ヴィーネの大きな目が、一際大きく見開かれた。
───来る。
地を蹴り、少女の身体が射出される。真正面からの突撃だ。
小さく振り上げられた剣が、素早く弧を描く。狙いはゲッツの胴体、ではない。玉砕を覚悟で仕掛けるほど、彼女は無謀でも愚かでもない。
狙いはゲッツの持つ木剣、その切っ先だ。手の甲の側から、平の側へと剣を叩きに行く。その手から剣を叩き落とす腹積もりである。
───やはり。
故に、ゲッツは剣を振るった。迫り来るヴィーネの剣目掛けて。無論、見てから判断したのではない。事前に予想しての事だ。
間合いで劣るヴィーネがはじめに狙うのは剣か腕だろうと、ゲッツは読んでいたのだ。
「っ!」
両者の木剣が激突し、大きな音を響かせた。
ヴィーネの剣が打ち払われ、切っ先があらぬ方向を向く。そこにすかさず、ゲッツの木剣がヴィーネの脇腹目掛けて振るわれた。
「わっ、と、とと!?」
辛うじて引き戻されたヴィーネの木剣が、咄嗟にゲッツの木剣を防ぐ。しかしあまりに不安定な姿勢での防御はヴィーネの身体を揺るがし、たたらを踏んで後退せざるを得なかった。
何とか転倒を免れ、切っ先をゲッツへと向け直す。その先でゲッツもまた、切っ先をヴィーネへと向けていた。
†
衆人環視の中、剣を交えること十九合。
成る程、これはやりにくいとゲッツは得心した。
ここまでの攻防でわかったことだが、クリスバーンの敗因は主に三つある。
まず第一に、彼はヴィーネの実力を知らずに仕合を始めた。
ヴィーネは見た目には可憐な乙女だが、その実、見事な剣士であった。体格、筋力でこそ男の騎士に劣るものの、その身軽さ、俊敏さは瞠目すべきものだ。彼女自身、その強みを最大限に活かそうとしている。ゲッツは彼女の仕合を見ていたために侮ることをしなかったが、そうでなければ想定外の初太刀に動揺し、無様を曝していたやも知れぬ。
第二には、クリスバーンは騎士であり、ヴィーネは令嬢である。
貴婦人を愛し、守護すること。それは騎士道の教えるところであり、それを守るならばクリスバーンはヴィーネに怪我を負わせないよう、手加減していた筈だ。
「───っと!」
今もヴィーネの剣が空振り、即座に翻って再びゲッツへと迫る。その一撃が届くより早く、ゲッツは反撃を行うことも出来た。
だが実際には、そうはしなかった。ヴィーネの木剣を鍔本で受け止め、弾き返す。
(流石に、淑女の顔面を殴るわけにはいかんな……!)
これである。
ヴィーネは強い。だがその足、ブーツの踵には黄金拍車も銀拍車もない。騎士どころか従騎士ですらないのだ。ゲッツやクリスバーンからすれば、まだまだ未熟である。
にも関わらず、こうも手こずるのは、相手が女性だからと手加減をしているからだった。
もっとも、ゲッツとしてはそれを言い訳にするつもりはない。女性相手に手加減をするのは騎士である自分の責務であり、手加減した上で敗れるのは己の未熟でしかないのだから。
「これはこれで、いい経験になるな」
などと強がりながら、気を紛らわせる。やはり、苦戦すれば焦りもするのは人情だ。
とは言え、先の二つはまだ対処できる。真に問題なのは三つ目の理由かもしれない。
「やっぱりお強いですね、ゲッツ卿!」
呼吸を整えながら、ヴィーネが賛辞を送る。その表情は実に楽しそうだが、視線は絶えず隙を窺っている。
彼女は気付いているのだろうか?ゲッツも、そして恐らくはクリスバーンも、全力ではないということに。
(気付いているだろうな)
この腕前だ。気付かないとは思えない。その上でこの楽しみ様は、はて、どういうつもりなのか。勝ちを譲られて喜ぶ程度には見えない。むしろ侮られていると憤慨するのでは、と思っていたのだが……
「参ります!」
宣言と共に、ヴィーネが動いた。
さて、三つ目の問題とはこれだ。彼女の脚捌きだ。
ヴィーネの、間合いの不利を補う為の大胆な踏み込み。しなやかな脚が力一杯に地を蹴り、短いスカートがふわりと浮き上がる。
「おっと!」
その一太刀を受け止め、受け流す。そこからゲッツが反撃に繋ごうとすると、ヴィーネの脚は踊るように、幻惑するようにステップを踏んだ。小刻みに動くブーツの脚に釣られるように、ゆらりゆらりとスカートも踊る。
そして、間合いから逃れるために跳躍するような遁走。白い太股が躍動し、スカートが盛大に翻った。
そのスカートの動きに、あるいはその中に、つい視線を誘導されてしまう。
───これは、武器だ。女の武器だ。
騎士とて男。あるいは何者よりも男であらねばならぬ者。その弱点を狙い打つ恐るべき罠が、あの大胆なまでに短いスカートに隠されているのだ。そう、真の敵は己の助平心である。
「馬鹿か俺は……?」
自分自身にほとほと呆れ果てるが、だからと言って気を緩めればクリスバーンの二の舞だ。
胸中で自身に一喝し、克己の意志を強く持つ。同時に、ヴィーネの剣を受け止めた。
如何にしてクリスバーンが敗れたか、その秘訣は全て見た。そして、その中でも真実厄介なものは、ヴィーネの俊敏さだ。
故に、ゲッツはその素早さを奪う。
「あっ!?」
ヴィーネの短い悲鳴が聞こえた。
彼女の剣を受ける瞬間、ゲッツは自らの剣を跳ね上げた。剣の鍔でもって、相手の刀身を下から叩き上げたのだ。
ヴィーネの剣が弾かれ、持ち手は大きく姿勢を崩す。対してゲッツはそのまま、剣を振り上げる形となった。
打ち下ろされるゲッツの木剣。ヴィーネが後退しながら、辛うじてその一撃を受けられたのは、紛れもなく彼女の才能の賜物だ。
しかし、それが限界でもある。ゲッツの剣を受け流すには紙一重に過ぎ、打ち払うには体格差が歴然であった。
ゲッツはそのまま、ぐいと剣を押し込んだ。すると両者の剣は絡み合うように押し合い───
鍔迫り合いとは如何に押し切るか、あるいは引いて逃れるかの駆け引きだ。しかし、体格で劣るヴィーネには鍔迫り合いで押し勝つのは非常に困難である。それ故に、彼女自身もこうはなるまいと警戒していた。
だが、現実にはとうとう、互いの木剣が絡み合ってしまった。これはゲッツの技故、というだけではない。
繰り返すが、ヴィーネは間合いで劣り、それを素早さでもって補っていた。それはつまり、ヴィーネは大きく動き続けなければならなかったということだ。その分だけ、彼女の疲労は大きい。
やがて動きが鈍ったその時を、ゲッツは狙い打ったのだ。
「こ、のぉ……!」
目論見に嵌まったヴィーネは、ゲッツの押し込みに堪える……そう見せかけ、すぐに剣を引いて横へと逃れた。
ゲッツは前に押す力のまま、前傾に姿勢を崩す。その筈だった。
しかしゲッツはヴィーネが剣を引くのに合わせて力を緩め、即座に追撃を見舞った。堪らずヴィーネが剣を振るうと、木剣同士が音を鳴らしてぶつかり合い、再びの鍔迫り合い。
「嘘でしょ!?」
驚愕するヴィーネ。ならばと、今度はゲッツの力を受け流し、こちらの切っ先を捩じ込もうと木剣を捻る。
すると今度は、まるでお互いの剣が紐で括られたかのように離れない。
今やゲッツは、ヴィーネの呼吸を完全に読み切っている。彼女がどのように剣を操ろうとも、主導権は常にゲッツの手にあった。
「なんだこりゃ……」
観衆の誰かが呟いた。
先程までの、火花を散らすような剣戟とはまるで違う。二人の呼吸がピタリと一致した絡み合いはさながら舞踏のようであり、剣を通じてヴィーネの動きを支配する技は魔法のようであった。
「待って待って、ちょっと待ってよ!?」
困惑するヴィーネ。やがて、
突然、鍔迫り合いが解ける。ヴィーネが意図した形ではなく、するりと、すり抜けるようにヴィーネの木剣が空を切ったのだ。
そして、ぽん、と。ヴィーネの豊かな胸に、木剣の切っ先が軽く当てられた。
「───勝負あり、ですな。
ゲッツが勝利を告げ、息を吐く。一方のヴィーネは自分が何をされたのかまるでわからず、ただ呆けるばかりだった。
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