第4話 令嬢剣士(前編)

 ルットフォルツ伯爵領。それはコルンロープ侯爵領にある一都市、ルットフォルツ市とその周辺にあるいくつかの農村からなる領地である。かつての戦乱で武勲を立てた騎士、サー・ゲードリックが貴族に婿入りし、拝領した領土であるという。

 街を囲む城壁はかつての名残であり、今は大した軍備もない。代わりに当代のルットフォルツ伯爵は商業、交易に力を注いでおり、人の往来が盛んであった。

 商人や吟遊詩人、あるいは隠居し旅行を楽しむ貴族。様々な者が、大通りに姿を見せる。

 その中には、仕官の口を探す騎士もいた。


 中央の広場で、硬い木をぶつけ合う音が響く。人集りの輪の中に、二人の騎士がいた。

 鎧一式も揃わぬ騎士二人は、外套を翻し、手にした剣を振るう。剣と剣が激しく激突し、あるいは時に空を切った。

 これは決闘か?否、騎士が手にしているのは鋼の剣でない。刃を持たぬ、木剣であった。

 両者が繰り広げるのは、命を奪い合う戦いではない。互いの技を競い合い、磨き合う仕合なのだ。

 木剣で打ち合うこと十合。一方の木剣が、もう一方の騎士の肩を打ち据えた。同時に、周囲の人々からは喝采やら嘆きの声やらが沸き上がる。


「うっ……!参った、負けた!」


 半ば悲鳴のように、打たれた騎士が降参を叫んだ。

 真剣でないとは言え、木の棒を叩き付けられたのだ。痛くない筈がない。

 一方の勝利した騎士はと言えば、息を吐き一礼する。そして、嬉しそうに笑っていた。


「卿も見事だったが、私の勝ちだ。金貨はいただくぞ」

「ああ、まったく。高い授業料だ」


 敗れた騎士が、金貨を差し出す。

 この仕合は単なる技比べではなく、互いに金銭を賭けたものだ。これもまた、平時に於ける騎士の稼ぎである。

 金貨を受け取った騎士は「毎度あり」などと言いつつ、今日の戦果を勘定していた。

 広場で野良仕合の相手を求めて、これで六試合。その全てに勝ち、中々の金額を手に納めていた。


(今日はこんなものかね)


 十分に稼げたし、腕前も示せた。それに、これ以上は挑戦者も現れまい。

 騎士はそう考え、広場を去ろうとしていた。その時である。


「もし、騎士様。一勝負、よろしいですか?」


 後ろから声をかける者がいた。意外だったのは、それが女の声だったことか。

 振り向くと、そこにいた人物の姿に更に驚かされる事になった。

 騎士に声をかけたのは、まだ二十歳にもならぬアースリングの少女だった。それも、透き通るような白い肌に、三つ編みにした長い金髪が美しく輝いた、気品を感じさせる少女だった。

 すわ貴族の令嬢か。そう思ったが、その出で立ちは些か以上に奇異なものであった。


 ブラウスにベストを兼ねたコルセットボディスを合わせた上半身はそのラインを強調し、美しく豊かな起伏を演出している。それは良い。幾百年前ならいざ知らず、今時の美しき令嬢、貴婦人ならばその胸の豊さを誇示するのが流行だ。

 しかし、その背に羽織っている腰丈の袖付き外套は些か妙だ。その装飾は男性的とも見える。

 ならば、少女の装いは男装なのか?それは否であった。何せ腰から下はスカート、淑女の装いなのだから。

 だが、そのスカートにしても───いや、これがもっとも異様だった。高貴な身分にあるだろう彼女の美しい脚線を惜し気もなく曝す、あまりにも短いスカート。それは破廉恥と言われてもおかしくない代物であった。

 極め付きには、腰に剣が提げられている。長さから見て、片手剣アーミングソードであろう。

 あまりに風変わりな少女の姿に、騎士はしばし絶句していた。


「騎士様?どうなさいました?」

「あ、ああ……申し訳ない、お嬢さんフロイライン。今、何と申された?」


 少女に呼ばわれ、ハッと我に返った。

 すると少女は苦笑しながら、もう一度用件を口にした。


「仕合をなさってるのでしょう?私とも勝負、していただけませんか?」


 もしやと思ったが、騎士の聞き間違いではなかったらしい。どうやら、挑戦者のようだ。

 騎士は唸りながら、改めて少女の姿を見た。

 しなやかな脚線、豊満な胸元、美しい肌、そして凛とした美貌。身に纏う服も、珍しくはあるものの、生地も作りも一級のようだ。間違いなく、どこぞの令嬢であろう。

 まさか、そのような人物が剣の仕合に名乗りを挙げる等と誰が思おうか。腰に剣を帯びているところから察するに、心得はあるのだろうが……


「誠に失礼ですが、お嬢さん。当方は騎士として、貴婦人に剣を向けることは出来ません」


 騎士とは貴婦人を愛し、守る者である。騎士道の教えに従い、騎士はその挑戦を断った。

 本音を言えば、女子供を相手に戦っても格好が付かないからだ。賭け金は取れるだろうが、周りに野次馬がいる中で淑女を殴ってしまうと、自分の名前に傷が付きかねない。それを嫌っての事だ。

 騎士は少女を剣士とも見なさず、戦えば自分が勝つと確信していた。さて、その態度は少女にはどう見えただろうか?


「あら。でしたら私の不戦勝ということですね」


 きっと、不愉快だったのだろう。あまりに露骨な挑発であった。

 からかうような表情と声音。美女のそれは蠱惑的であり、足を止めそうになってしまう。だが、こんな児戯に付き合うのも馬鹿馬鹿しい。

 可能な限り非礼にならないように断ろう。その為にはどうすれば良いのか、頭を悩ませる。

 すると、野次馬の中から声があがった。


「いいじゃないか、やってあげなさいよ」


 ───なんだと?

 意外な声に、騎士がぎょっとした。その隙に、方々から勝手な言葉が次々に出てくるではないか。


「騎士殿、逃げなさるんですかー!?」

「お嬢様のお誘いですよ、サー!」

「もう一勝負、見せてくださいよ!」


 野次馬共はどいつもこいつも、騎士の心中など無視して盛り上がっている。

 無視したいところだが、これではそうも行かなくなってしまった。このままでは、女子供から逃げたなどと噂されかねない。

 そうなれば、騎士としてやっていけなくなる。


(仕方がない……)


 面倒な事態になった。そう思いながら、騎士は少女に向き直った。


「よろしい。では、お相手しましょう。フロイライン……?」

「ウィルトヴィーネ。ヴィーネでよろしいですわ、サー」


 少女───ヴィーネは騎士の手から木剣を受け取りながら、にこりと笑った。

 実に愛らしい笑顔だ。剣を振るう者とはとても思えない。


「承知しました、フロイライン・ヴィーネ。我が名はクリスバーン・フォン・レーヴネッケ」


 騎士、クリスバーンは一礼すると、一度距離を取って木剣を構えた。

 木剣の形は片手剣のそれだ。刀身の長さ、身幅、鍔の形……いずれも一般的と言えよう。真剣と違うのは、斬れない事と、幾分軽い事か。

 少し離れた場所で、ヴィーネも木剣を構える。その様を見てクリスバーンは、存外にもしっかりとした構えだと感心した。


「木剣で一撃入れた方の勝ち。負けた方は金貨一枚、銀貨なら十一枚を払う。よろしいですな?」

「ええ、お願いします」


 取り決めルールを確認すると、クリスバーンは最後にもうひとつ、付け加えた。


「では、いつでもどうぞ。先手はお譲りします」


 相手は騎士でもなく男でもない。ならば少しくらいこちらを不利にせねば、釣り合いが取れまい。そう思っての発言であった。

 それを、クリスバーンは激しく後悔することになる。

 何せ、彼の言葉を聞くなりヴィーネが矢のように迫ってくるなど、思いもよらなかったのだから。

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