第2話 現在の騎士道なるは(前編)

「追い打つは誉れ高き親衛騎士団。迎え打つは老騎士“鉄腕”ロスマン。もはや命運尽きるとも、末期の奉公ここにあり」


 コルンロープ侯爵領は、ブラウフェルト伯爵領からルットフォルツ伯爵領へと続く街道を、馬車が進む。

 馬車は大きく頑丈そうな作りをており、幌がかけられている。中身は左右に長椅子が設けられ、人間が乗せられていた。馬は二頭立ての、乗合い馬車だ。

 馬車に乗る者はぴったり八人。そのうちの一人、席の端に座る年若い女がうたうたっていた。

 女は手にしたリュートでもって多彩な旋律を織り成し、その音色に乗客も御者も聞き入っていた。


「果たして両雄相討ち、共に倒れ伏す。然れど姫君は老騎士の忠節に涙し、異国へと逃れん」


 朗々と歌い上げる女の出で立ちは、些か珍しいものだ。愛らしい顔付きに、アースリングよりややも低い背丈。瞳は赤く、茶色い髪の頭からはと兎のような耳が延びていた。

 奇妙に露出の多い、ともすれば扇情的な衣装を着て吟う彼女は、ヴォーパル族の吟遊詩人である。兎の耳を持つ、自由奔放で臆病な民は、総じて芸事を好む。そんな彼ら、彼女らの祖先は聖人にその身を捧げた兎の生まれ変わりとも、月の王国から追放された民だとも言われているが、真実は定かではない。

 ひとつ間違いないのは、ここにいる全ての者が彼女の詩に聞き入っているということだ。

 やがて、リュートの音色が止む。それからヴォーパルの吟遊詩人は、ぺこりと一礼して締め括った。


「“鉄腕”ロスマン最終章、最後の決闘。これにて、終わりとなります」


 その言葉を聞くと、他の乗客は拍手を送る。それから、吟遊詩人がサッと出した帽子に、おひねりを入れていく。

 音を立て、一人あたり数枚の銅貨が支払われていく。小銅貨であったり大銅貨であったりと様々で、吟遊詩人は馬車に乗りながら馬車台を稼げたことに、ニコニコと笑っていた。

 そこに、隣に座る男の手が伸びてきた。そして、その手から一枚の銀貨が現れ、帽子の中に落ちる。


「あらまぁ!銀貨だなんて、いただいていいんですか?」


 吟遊詩人は喜びと困惑の声を発した。銀貨一枚とは、一曲のおひねりにしては中々に高額だ。

 隣の男は、優しく微笑みながら頷く。


「好きなんだよ、“鉄腕”サー・ロスマン。俺の憧れだ」


 そう言う男は、年若い───二十五歳ほどの、アースリングの男だった。背はアールヴのように高いが耳は尖っておらず、屈強な体つきをしている。

 男の身体は胸当てキュイラス籠手ガントレット脛当グリーヴ鉄靴ソルレットで守られており、傍らには剣を立て掛けていることから、戦いを生業とする者であることがわかる。そして、その背中に羽織った外套と踵をかざる黄金拍車は、騎士の証だ。

 大柄で無骨な武具を身に付けたその姿は、厳めしい。だが人当たりの良い言葉と笑顔は、ヴォーパルの吟遊詩人を威圧することはない。


「そりゃあ良かったです。けど、おひねりは次第とはいえ、もらいすぎはちょっと悪い気がしますねぇ」


 吟遊詩人が恐縮する。それからややもして、良いことを思い付いたと指を鳴らした。


「そうだ、騎士のお兄さん。あたし、アレッタって言います。お兄さんのお名前、拝聴してもいいですか?」


 兎の耳をピョコピョコと揺らしながら、突然にそんなことを言い出す吟遊詩人アレッタ

 騎士は何事かと面食らいながらも、女性に名を尋ねられたなら答えるのはやぶさかではないと応じた。


「あ、ああ。俺の名はゴットブランド・フォン・ベンデルリーンという。」

騎士サーゴットブランド……なら、サー・ゲッツですね!」


 当然のように愛称で呼ばわれ、騎士ゲッツはますます面食らう羽目になった。はて、ヴォーパルとは臆病な人種ではなかったか。はたまたこの短時間で、それだけ信頼を得たのだろうか。

 異なる文化、異なる身体の相手というのは難しいものだ。そんな思考が脳裏をよぎるが、アレッタは嬉々として話を続けた。


「サー・ゲッツの武勇伝をお聞かせくだされば、あたしが詩にしてさしあげますよ」


 騎士にとって名誉、名声とは大切なものだ。己の武勇伝が詩になって語り継がれるのは、騎士の本懐とも言える。

 華々しく活躍した騎士ならば、自然と人々の間にその名も知れ渡ろう。だが、大体の騎士は喧伝しなければ埋もれてしまうものであり、中にはわざわざ金を積んで自分の詩を吟じさせる者もいるほどだ。

 それを考えれば、有り難い申し出だ。


「俺の?ふむ……」


 ゲッツは少し考える。

 一体どんな話が出てくるのか、アレッタも、他の乗客も期待していた。詩吟も良いが、騎士本人からの冒険譚も実に面白そうではないか。

 そうして見守っていると、ゲッツは「それなら」と話し始めた。


「実はな。ブラウフェルト伯爵領の西の端に、化け物が出た……俺はそう聞いて、化け物退治に赴いたんだ。今はその帰りなのさ」

「おお!」


 化け物、怪物、魔物。そういった人知を超えた邪悪を打ち倒すことは、騎士道物語の王道だ。伝説に語られる騎士の多くは、化け物退治をしているものだ。


「いったいどんな化け物だったんです?」

「ああ。恐ろしく巨大な、魔の猪。熊もぶっ飛ばす程の巨体だ」


 魔猪と言えば、西方はアヴァロア王国の伝承に幾度も登場する怪物である。高名な騎士も、魔猪に敗れ命を落とす伝説すらある。

 そんな大物が、この国に現れたのか。そしてこの騎士はそれを退治したのか。

 一同、期待と疑惑の眼差しを騎士に向けた。すると騎士は不敵に笑い、やや間を置いて───


「……そう聞いてたんだが、ちょっとデカイだけの猪だったよ」


 肩を竦めるゲッツ。乗客は「だと思ったよ」などと言いながら、笑い出した。

 事の真相は、ただ少し大きいだけの猪が畑を荒らして人を襲い、噂に尾ひれがついた。ただそれだけの話だった。結局、来たからには仕方ないと、猟師達と協力して猪を退治したのだという。

 まあ、それだけでも地元の人間には感謝されたし、役人からは少しばかりの謝礼も貰ったが、旅の代金を埋め合わせる程度でしかなかった。

 そもそも、化け物だなんだが出たなどというのは、遥か昔のお伽噺だ。昨今に聞く怪物の噂などは、どれも眉唾物ばかり。きっと、本物の化け物は伝説の英雄達が狩り尽くしてしまったのだろう。


「そうでないと困りますよ。巨人だのワイバーンだのがそこら辺を彷徨うろついてたら、こんな風に馬車を出すのも一苦労だ」


 不意に御者が、笑いながらそう言った。

 ───確かにその通りだ。

 ゲッツは御者台を覗き込み、馬車の前方へと目を向けた。平原の街道は穏やかで、遠くに街が見えてくる。

 この馬車の目的地、ルットフォルツ市だ。道中、野盗にも獣にも襲われることなくここまで来たのだ。

 もしも戦乱の最中であったり、神話の怪物が跋扈していたりすれば、このような旅も難しかろう。


(まあ、騎士オレにとっては困りものなんだがな)


 騎士とは、戦う者だ。

 この国、神聖ミレニガルド帝国で戦争があったのは、もう五十年近く昔の事だ。戦後間もなくは残党狩りや賊徒の討伐などが多々行われていたそうだが、今では大きな争いはない。時折、領主同士が私戦───私的に兵を動かし争う事があるが、それもあまり大事にはならない。

 すると、どうなるか。

 そもそも騎士とは一般的に、領主に雇用され、有事の際に戦う者だ。即ち、争いが少なくなれば召し抱える騎士の数は最低限で良い。

 端的に言って解雇され、働き口を失うのだ。今日日そのような騎士は珍しくなく、斯く言うゲッツもまた、仕える主君を持たぬ騎士であった。

 平和でなくば市井は苦しみに喘ぎ、乱世でなくば騎士は仕事がなく貧困に喘ぐ。兎角、騎士道とは悩ましいものだ。


「まあ、その時は俺が護衛でも……ん?」


 冗句でも言おうとした、その時である。

 外から、音が聞こえてきた。いや、より正確には、声だ。大きな怒鳴り声が、近付いてくる。

 例え乱世でなくとも、争いと言うものは決して尽きはしないのだった。


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