騎士道斯くあるべし

悟 小吾

雑種のゲッツと令嬢ヴィーネ

第1話 最後の決闘

 遠い昔のある日。永きに渡る戦乱に、遂に終止符が打たれた。

 広大な版図を持つ神聖ミレニガルド帝国。ある事由から生じた領主同士の争いは、様々な思惑と偶然が絡まり、帝国の西半分に広がり、遂には異国・異民族すら巻き込んだ大戦争と化した。

 その乱世を収めたのは時の神聖皇帝と、皇帝率いる親衛騎士団であった。

 本来、騎士とは個々の領主に雇用され仕える、戦闘の専門家だ。騎士はその武勇を持って兵を率い、領地を守護するものだ。すなわち、軍隊とは少数の騎士と多数の兵によって成り立つ。

 だが、親衛騎士団は皇帝の名の元に統率された騎士の軍団……多数の騎士のみにて組織された軍隊なのだ。

 その士気、その強さたるや、並の軍隊の比ではない。神聖皇帝はその威を持ってして、並みいる逆賊を平らげ、異国の軍を追い散らしたのである。


「流石は皇帝陛下。威風堂々たる勝利に御座いますな」


 男は、乾いた笑いと共に称賛の言葉を口にした。

 荒れ果てた砦の広間に佇む男。顔には深いシワが幾つも刻まれ、髪も髭もすっかりと白くなっている。その身を覆う鎧は薄汚れ、そこかしこに傷が刻まれている。使い古されたその様子は彼が激戦を潜り抜けた騎士である事を物語り、手入れもままならぬ様子は彼が敗軍の騎士である事を物語っていた。

 そう。彼はこの戦に敗れた。

 もはや砦には彼一人しか残ってはいない。皆、逃げたか捕らえられたか、はたまた死んだか。いずれにせよ、完敗であった。


「百の兵と百の騎士では勝負にすらならぬ。陛下と御領主では、器が違ったわい」


 独り呟きながら、男は振り向いた。来客を迎える為に。

 ドカドカと脚音を立てて、広間へと乗り込んで来る者達がいた。いずれも全身を金属の鎧フルプレートに包み、踵を黄金拍車で飾った騎士である。その数、十人を超える。

 彼らこそは皇帝直轄、親衛騎士団が一部隊。栄光の騎士達が、目の前に現れたのだ。


「失礼。サー・ロスマン・フォン・フランキントとお見受けするが、相違ないか?」


 先頭に立つ親衛騎士が、問いかける。対し、敗軍の老騎士は頷きと共に返答した。


「如何にも。我輩がロスマン・フォン・フランキントである」


 その答えを聞くや、親衛騎士団はゆっくりと、老騎士ロスマンを取り囲むように動いた。一方で、正面に立つ一人の騎士は、兜の面具フェイスガードを上げて素顔を見せる。


「御初に御目にかかる。私は神聖皇帝陛下が臣、ディルムント・フォン・バルケンベーア。親衛騎士団に名を連ねる者である」


 ディルムントと名乗る騎士は見たところ年若いが、精悍な顔付きをした、力強い眼差しを持つ男だった。

 重い鎧を着ても、その立ち姿は安定している。練度は高く、親衛騎士団の名は伊達ではなかろう。

 真っ先に名乗りを挙げたということは、ディルムントがこの場を預かる者ということか。そう判断し、ロスマンは彼の言葉を待った。


「ロスマン卿。貴卿の主君、ウルベルト伯爵は討ち取った。もはや貴卿に勝ち目はない。投降されよ」


 ディルムントの降伏勧告は、しかし、一切の期待が籠ってはいなかった。

 同志たる騎士も、兵もなく、それでも一人砦に残り続けたロスマンだ。降るつもりがないことは、始めから分かりきっているのだろう。

 事実として、ロスマンは穏やかに微笑みながら、背負った剣を引き抜いた。


「申し訳ないが、サー・ディルムント。この老骨、無為に長らえようとは思わん」


 ロスマンの声音は穏やかだ。しかし、眼差しは剣のように鋭く、覇気に満ちていた。

 敵に囲まれながら動じず、剣を手にしながら殺気に逸らず、死を目前にしながら闘志を燃やす。

 若輩の騎士では、こうは行くまい。その佇まいに、ディルムントは畏敬の念すら覚えた。


「無粋を申した、サー・ロスマン。ここに非礼を謝罪しよう」


 故に、ディルムントもまた、己の騎士道を示す。

 右手に長剣を握り、左手に盾を構える。スタンダードにして磐石の構えでもって、戦意を露にした。

 それを見るや、ロスマンが破顔する。


「気にするな、ディルムント卿。乱世が終われば、我輩の如き古い騎士は生き方もわからぬだろう。ならば恥を曝す前に、戦場で華々しく散りたいというだけよ!」


 騎士の誉れは武勲なれば、太平の世に誉れなし。

 乱世と共に消えようと叫び、ロスマンもまた、剣を構えた。


「承知した。ならば貴卿の最期、誉れある一騎討ちにて飾ろう!」


 ここに、乱世最後の一騎討ちが開幕する。



 †



 多くの騎士が見守る中、ディルムントは対敵の構えを観察する。

 ロスマンは一振の剣を、両手で握っていた。しかし、両手大剣ツヴァイヘンダーと呼ぶには刀身が短い。かといって長剣ロングソードと呼ぶには柄も刀身も長すぎる。

 その剣が如何なるものか、ディルムントは知っている。


「やはり片手半剣ハンドアンドハーフ


 片手半剣。それは両手で振るうことも、片手で振るうことも想定して造られた剣だ。

 剣と盾を同時に持つのが常道である長剣、あるいは広い間合いと絶大な破壊力を持つ大剣。そのどちらとも異なり、どちらのようにも使うことの出来る片手半剣は、それ故に雑種バスタードとも称される。

 だが、長剣と大剣の中間にある片手半剣は、独特の間合いと重心を持つ。それを使いこなすには、やはり独特の技を求められるのだ。

 それを踏まえた上で、ロスマンの構えは完璧だ。両手で構えられた剣の切っ先はぴたりとディルムントに向き、揺るぎない。

 ディルムントは浅く息を吐き、盾を前に突き出しながら、緩やかに間合いを詰め始めた。

 ゆっくりと、緩慢に。床を擦るように足を運ぶ。

 剣の間合いは、ロスマンの片手半剣の方が広い。迂闊に飛び込めば、すかさず迎え撃ってくることは間違いない。故に構えを崩さず、緩やかにこちらの間合いに持ち込む。それがディルムントの策であった。


「…………」

「む……」


 ディルムントの意図は、ロスマンにもわかっている。だが、焦って間合いを離せばそれこそ思う壺。そう判じて、ロスマンはその場に留まる。

 一歩、二歩。距離を詰める毎に、両者の緊張が高まる。

 周囲の騎士達が固唾を飲んで見守る中、不意にディルムントの身体が弾かれたように動いた。

 飛びかかるように踏み込み、右手の剣を斜めに振るう。狙いは兜と鎧の隙間、首筋だ。内は鎖帷子で守られているやも知れぬが、全力で振り下ろされた一撃を防ぎきることは不可能だ。

 だが、全くの同時に、ロスマンもまた動いていた。ロスマンの剣が揺れ、ディルムントの剣めがけ落下した。

 金属の激突する音と、火花が散る。ディルムントの斬撃は打ち落とされ、ロスマンの剣の下に抑えられた。


(読まれた!)


 機先を制された。ディルムントは背筋に冷たいものを感じながら、咄嗟に剣を引く。同時に後退り、反射的に盾を繰り出した。

 そこに、跳ね上がるようにロスマンの剣が迫る。重く鋭い刃が盾に当たり、またも大きな音を響かせた。

 両者、姿勢が崩れる。それをすかさず立て直すと、どちらからともなく剣を振るった。

 剣と剣、剣と盾が幾度も衝突し、あるいは空を切る。激しくも精妙な技の応酬、数えること三十合。


「ぬ、お……!」


 ロスマンの眼前を切っ先が走り抜け、堪らず後方へと飛び退いた。追撃はない。

 互いに荒くなった息を調えながら、油断なく構える。


「流石は皇帝陛下の剣たる、親衛騎士団。見事なものよ」

「サー・ロスマンこそ。音に聞こえし剣の冴え、真でしたな」


 互いに賛辞を贈り合いながらも、視線は隙を探し、思考は必殺を狙っている。

 特に、ロスマンとしてはこの状況は些かの焦りがあった。


(やはり歳か。若い者が羨ましい)


 ロスマンとディルムントの年の差は、三十近いだろう。如何に鋼の如く鍛え上げた肉体であろうと、衰えは隠しきれない。

 持久力。その一点に於いて、ロスマンは明確に不利だ。そして、その不利は戦いが長引くほど大きく響く。

 それはディルムントも承知しているだろう。いつからかディルムントは大きな攻め手を控え、守りを固めている。

 それを姑息とは思うまい。武具、体格、そして年齢。それらの有利不利を駆使することこそが戦術であり武術なのだから。


「……決めに行こう」


 ロスマンは決断し、構えを変えた。

 剣を大きく振り上げたその構え。切っ先は天を衝き、ロスマンの眼差しから裂帛の気合いが放たれる。

 それを見て、ディルムントは僅かに眉をしかめた。

 ロスマンの狙いは、片手半剣による上段からの振り下ろし。構えを見れば、まずそれとわかる。成る程、その威力は兜ごと頭蓋を叩き割るだろう。

 しかし、こうもあからさまな大振りが今更通用するなどと、彼は本気で思っているのか?


(ならば、これは騙しフェイントか)


 一見して狙いの読める構えなど、熟練の剣士に通じるはずもない。恐らく本当の狙いは異なる。

 僅か数秒の内に、ディルムントの思考はロスマンの狙いを看破するべく閃いた。そして、応じる手を導き出す。


「参る!」


 ロスマンが吼える。その脚が一歩を踏み出し、掲げられた片手半剣が───くるりと、回った。

 天を衝いた切っ先は反転し、ピタリとディルムントの心臓に向く。

 ロスマンの真の狙いは、振り下ろしではない。突き下ろしだ。


(やはりこう来るか!)


 ディルムントは胸中で喝采した。

 片手半剣は大剣と長剣の中間である他に、もう一つ特性がある。そもそも剣とは斬ることと突き刺すこと、そのどちらかを主として造られるものだ。だが、片手半剣はそのどちらをも成すべく造られている。

 無論、金属の鎧を貫く事は用意ではない。しかし、鍛え上げた老騎士の渾身と、高きより低きに落下する剣の重さは絶大な貫通力を発揮する事だろう。

 これを受ければ、絶命は免れまい。されど、この必殺を掻い潜れば、勝利は間違いない。


「おおっ!!」


 雄叫びと共に、ディルムントが盾を振るった。正面から受け止めれば、盾をも貫かれよう。故にロスマンの剣を横から殴り付けるようにして、その切っ先を逸らす。

 盾が抉られる。表面の鉄が削れ、下地の木が割れる。

 驚異的な威力だ。だが、ディルムントの左腕は見事振り抜かれ、片手半剣を押し退けてみせた。

 渾身の一突きを外されたロスマンは、もはや無防備だ。その兜に剣を叩き込まんと、ディルムントはすさかず一歩を踏み込んだ。

 ディルムントが勝利を確信した、その瞬間。一瞬、その視界が失われた。


「な、に……!?」


 次いで、衝撃。顔面───面具を殴打され、ディルムントの身体が大きく仰け反った。ばかりでなく、視界がぐるぐると回り、足元がふらつく。

 ───何事か!?

 疑問が沸くが、それは周囲で戦いを見守っていた親衛騎士からすれば、一目瞭然であった。

 先のロスマンの突き下ろし。その時に剣を握る手は、右手のみであった。

 片手半剣とは、両手でも片手でも扱える物。両手を駆使してきたロスマンは、ここに来て片手での使用に切り替えたのである。

 ならば空いた左手は何のためか?その答えが、ディルムントの顔面に叩き付けられた衝撃だった。


「ふん!」


 ディルムントの顔面を、籠手に包まれた左手で殴り付ける。例え兜に守られていても、頭を揺るがす衝撃は平衡感覚を奪い去る。

 ふらつくディルムント。その兜に横殴りの追撃が炸裂した。遂に、ディルムントが堪らず膝をついた。

 上段からの打ち下ろしも、突き下ろしも、どちらも騙しであり誘いだった。ディルムントが勝負に出る局面を作り出し、その上でこの鉄拳を叩き込む為の策……ロスマンの狙いは、ここに成った。


(立て、反撃……いや、防御せねば!立て直せ!)


 激しい眩暈の中、ディルムントの戦意は未だ尽きてはいない。

 その意志を、ロスマンは容赦なく、兜と頭蓋諸共に叩き割った。


「御見事。素晴らしき決闘であった」


 ゆっくりと剣を引き、ロスマンは賛辞を口にした。

 頭蓋を砕かれたディルムントの亡骸が、力無く横たわる。ひしゃげた兜からはドロリとした赤い血が流れ出し、床を覆っていく。


「ディルムント卿!?」


 周囲の親衛騎士達から、悲鳴にも似た声が聞こえた。

 続けて親衛騎士は各々に武器を取り、十重二十重にロスマンを取り囲む。その、怒りと恐怖に燃える様子は、もはや決闘などと言う雰囲気ではない。ただ、凶暴な戦士達の怒号が響くのみ。


「やれ、ディルムント卿の仇を討て!」


 ───もはや、これまで。

 四方八方から襲い来る剣、槍、鎚。勝利の果てに待つのが無惨な死であっても、ロスマンは満足していた。

 最期に、誉れある戦いが出来た。それで、充分だ。


「さあ、我が首を獲るが良い!」


 咆哮し、剣を振るう老騎士。彼の生涯が幕を引くのは、このすぐ後の事であった。

 

 斯くして、凄惨にして華々しき戦乱の世は終わりを告げた。

 戦場無くして、武勲無し。然りとて騎士道は、終わる事なし。

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