第3話 空っぽ色の世界(2)
走り出す。
音は最小。
速度は最高よりやや遅くなる。
中央階段は大きな2棟を繋ぐ連絡通路を兼ねた巨大な吹き抜け構造だ。下に鉄棒みたいなモニュメントが構える校舎の出口が見える。四角い螺旋で壁面に沿う階段は一つの階を下るにも長い。ここは5階。普通に降りると時間がかかる。
だから、吹き抜けの中央へ飛び出した。
落ちる。
自然落下の定理に従って、瞬く間に加速して地面へ近づく。4階、3階、あっという間に2階の高さまで降りた。
そこで飛び出した際の慣性が向こうの壁面の階段、その側面へ体を運んだ。
「ほっ」
側面を足場にして右斜め後ろへ跳ぶ。出口方向へ下る階段の手すりへ足を乗せ、膝を曲げて衝撃を逃しつつスライド降下。
だが斜降しても5階分の落下エネルギーは消却されきっていない。目の前にはもう出口が見えているが手すりの終わりは地面への激突を意味する。
「よっ」
故に前へ跳んだ。
校舎出口前の鉄棒のような飾り。その上部を掴んで体操選手のように回転し、体幹軸が水平を超えた瞬間に離す。上向きへ偏向されたベクトルは放物線を描いて再び地面へ向かう。やや着地の角度が浅いので体を起こして修正。
そしてほぼ垂直に近い姿勢で地に足がついた。体が倒れるのに逆らわず、ひねりを入れてくるぶしを次に接地。更に膝、腰と落とす。そのまま肩を付けて、最後に背中と反対の肩を地面に沿わせて転がり、全身を使って受身を取った。
それでも余った速度が体を地に打とうとするので、思い切って跳ねて一回転。スライディングのような姿勢で再び足で地面に接し、砂埃を立てて滑走。
3メートルを経て、静止した。
残身を取りながらゆっくりと立ち上がる。
「ふぅ」
そして、ブレザーを一度脱ぎ、勢いを付けて打ち払って砂を取る。足や腰に着いたものも
そしてまた走り出そうとした時、上から声が掛けられる。
「おお、平井じゃねーの」
「げっ、
中央階段を擁する塔の屋上、フェンスの外の縁に腰かけている男子生徒がいる。
三島
筋骨隆々では無いが、長身で男らしい直線と角張を持つ肉体は金剛仏像の迫力を連想させる。掘りの深い顔はそれを更増すが、たれ目と左の泣きほくろの柔和な印象が厳つさを中和していた。
蔦のようなうねるセミロングの髪は、前髪だけ雑にヘアゴムで縛られて逆ちょんまげの様に頭頂へ上げられている。
「授業中に外出なんて、ひょっとしてサボりか?」
気さくに声を掛けてくるが、別に親しくもなんともない。入学以来、話しかけられたのはこれが初めてだった。
三島はこういうおかしな奴で名が知れている。ほとんど授業に出席せず、躊躇いなく喧嘩を起こす昔の不良みたいな奴なくせに、通りかかる人へ無差別にフランクな態度で塔の上から声を掛けてくるのだ。
話しかけられる相手は困惑する。たいてい三島とそれまで一切関係が無かったのだから当然だ。
「どこ行くんだよ。駅の方だったらマスドでドーナツとナゲット買ってきてくんね? あ、金。えーと、財布こっから投げるわ」
「……」
無視する。
「街の方に行くんだったら……。ああ、なるほど。お前もいい感じに、真面目に不真面目になってきたじゃないか」
反応が無くてもお構いなしだ。だが三島の奇行はそういうものだった。一方的に話しかけて、よしんば返事が来ても益体の無い話か意味不明なことしか喋らない。付き合うだけ無駄だ。
変人のことは思考からすっぱり切り離して、彼女のことに集中を向ける。
「学校をサボタージュして女を追っかけるなんて、実に良いな。それでこそ男子ってもんよ」
走り出す。
正門通りの桜は新緑を芽吹かせていた。
そして敷地から出る瞬間、最後の声が来る。
「莉緒に会ったら、張り切るな、と伝えてくれ」
「――」
無言を残して門を超えた。
走る、走る。
高層ビルが並ぶ街の影は数キロ離れたここからも見えるが、到着するのはまだ先だ。
平屋が並ぶ住宅地を駆けながら、授業中に感じた違和感について整理する。
(彼女は今日、学校へ来ていない)
これは確かだ。自分の記憶にも、朝から誰もいない彼女の机があった。
(まずここに、奇妙な感じがある)
今日は彼女を見られて嬉しかった、そんな感情が沸いたという、昨日のことを今日起きたみたいに勘違いしたような感覚があったのである。無論、それだけならば思い込みで話は終わりだ。
しかし。
(教師の言動。無駄に資料を刷った、資源配給センターへ連絡、今から教員間で欠席情報を共有だと?)
おかしい。
彼女の欠席は最低でも一限目の開始前には通知されていたはずだ。そして出欠をシステムが確定した時点で、それ以降の手続きや仕事は自動的に調整される。後から作業が生じるということは無い。
にもかかわらず、あの様子はまるで。
(彼女が途中で消えたみたいじゃないか)
一連の動きは、体調不良などで生徒が早退したさいの挙動そのものだ。
(でも、最初からいないことになっている)
学校運営の辻褄が会わず、原因と結果の理屈がずれていて、自分の感覚に無視できない違和感がある。
そして、とどめにさっきのあれだ。
(三島は『莉緒に会ったら』といった)
自分が見た校門から出ていく姿は見間違いではなかった。彼女は確かに学校から出ていったのだ。来てもいないのに。
横切っていく風景の流れが増す。
街へは思ったより早く到着しそうだ。
もしそこで彼女を見つけたとして、自分は一体何をしようというのだろう。
なんでこうも彼女の姿を求めているのだろう。
(その理由も、変なあれこれも、答えが見つかるはずもないだろうに)
僕は、走っている。
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