第2話 空っぽ色の世界(1)
さて、良い所で話を切って悪いが少し遡って説明をさせてくれ。いわゆる世界観や登場人物の紹介という奴だ。
なに、ものの5分もあれば見終わるだろうさ。
飛ばしてくれたってかまわない。
要は、世界で生きているというそれまでの僕の実感が、いかに平面的で上っ面なものであったか。
それだけの話だよ。
●
(世の中ってのはぎゅうぎゅう詰めなのにからっぽだ)
僕こと
この時も普通に教室で授業を受け、普通に教科書に隠してゲームでサボり、普通に教師に見つかって、今はただボンヤリと黒板(教室の大モニターをそう呼称するのは何故だろう)を眺めていた。
(まだ二限目、現代日本史の授業。……歴史は嫌いだな)
気に食わないのだ。成績が悪いわけではない。
教師の声が聞こえる。
「人生は自らの意志による選択で決定される。歴史も同じだ」
嘘だ。
(人の生とは結論、どのような雰囲気の時代に落っこち、流されていくかというだけ。個人がどれだけばたばたと手足を動かそうが、社会の圧力と形によってもたらせれる歪な流動に飲まれているだけで、終着点はさして変化しない)
ペンを動かすふりをしながら思う。
人は歩む道を選べない。歴史もまた似たようなものだ。
それは個人が感じ取る幸不幸や苦痛とは関係が無く、ただそのすべてが世界というものに対して無力……否、無関係ということである。
(でも、僕にとっては妥当な事実で特に嘆くことじゃない)
気に入らないのは『歴史は人々が作って来た』という、偉そうな嘘だ。
「時代という大きな流れの中で、強い意志を持った人々が立ち上がり、時に命を失ってでも正義を成し遂げることで正しい歴史というものは作られ――」
(一人の命に力なんて無い。命はただそこにあるだけのもの。選択は本能がその継続を指示し、理性は非合理に屁理屈を見つけ出しているにすぎない)
そのくせ無駄に多くて長い時間積み重なったものだから体積だけは巨大にある。だから社会っていうものは、それ自体は無価値で空っぽなのに、莫大な圧力を有しているのだ。
そして集団の間で生じる圧力の均衡が割れた時、何もかも台無しにする雪崩のごとき無秩序な変動が生じる。
それを生き残った者たちが、人類は自ら形成した集団を制御できないという事実から目を背け、新時代が訪れたなどとうそぶいて新しい枠を拵えて、また価値を持てない空っぽの生命活動をそこに詰め込んでゆくのだ。
それの繰り返しが、歴史というものだ。
人間という仕組みが自身に対して本質の変更を許さない以上、世界と呼ばれている構造に逆らえる個人など存在し得るはずがない。
そんな
(そう思っていたのに。この春までは)
桜散って二週間、僕は少し気分が浮ついている。
黒板に向かった教師の隙を見て、僅かに視線を左、窓側の隣席へ向けた。
そこには彼女が座っている。
長い睫毛の切れ長の目、黒曜石の如き瞳、淡く赤みに染まる唇は自然の艶に濡れている。モデル体型の長身はスレンダーな雰囲気を見させてくるが豊かな曲線を描いていることがターコイズブルーのブレザーごしでも分かる。
目を奪うほどの美しさを特に際立たせるものは、椅子に座れば床に巻を作るほど長いストレートの黒髪。それは繊細であるが強靭で、姿勢に沿って柔らかくなびきながらも威圧するような覇気を少女にもたらしている。
さながら獅子のたてがみだ。
机上は教科書を開くすらせず、事務的に配布された無意味な一枚きりの紙教材があるだけだ。けだるげに背もたれへ沈み、ターコイズブルーの制服のスカートから伸びる白い脚を組んでいた。曲げた左手を体の上に休め、重力に任せて下へ向いた右手に沿えている。そして窓ガラス越しに外へただ視線を向けていた。それは地上5階の良い眺めにはゆかず、地面の方に下がっている。
僕は彼女に心奪われている。
恋とは違うだろう。
(もしかすると、それも込めて惹かれているのかもしれないけど)
一瞬の横眼。
しかしのその刹那に、冬の薄暗さに馴染んだ目にちかっと反射した春の光が入ったのか、視界が真っ白に消える。
瞬刻の空白の中で流れる記憶。
銃すら持った男達をなぎ倒していく少女。
桜が朝日にひらめく正門通りで、
大勢が強制しようとした世界の浮流を拳で穿つ彼女。
魂の立ち位置を貫く為に力を振り撒き、自らに手傷を刻むことを恐れない在り方。
その強さに、焦がれと揺らぎの創傷を心へ受けたのだ。
「平井和人っ」
一目惚れのフラッシュバックから教師の怒号によって教室へと意識は戻った。
だが、しかし。
「……?」
疑念を感じた。
今、自分は椅子に座って机に着いている。目の前にはこちらを見下して睨む教師がいて、周囲は大人げない激高を見て居心地悪そうにしているクラスメイト達が座す。
そして窓側の隣には。
「――――」
彼女は、いない。
「どうした平井。黒木が欠席しているのがそんなに気になるか。ああ?」
いなくて道理だ。今日は彼女は登校していないのだから。
「授業中にゲームの次は女で頭が一杯か。裏切らない『でぐ』だな全く」
この教師が録音を外部に暴露すれば放逐されるであろう罵倒を言えるのは、それなりの後ろ盾があるからだ。この国の最高学府とされている大学の卒業生である、校長、教頭、各学年主任も含む教員で作った派閥(たかが高等学校の中で)に所属しているのである。
抗議は容易だが、手順は面倒くさい物になってしまう。
(ここは大人しくしていた方が無難だな。それに権力をかさに着ていびられるくらい、今更気にするほどのことではないし)
席を立ち頭を机に鼻がつくくらい下げる。
「申し訳ありませんでした。ここに深く反省を致し、以降はあなたのご指南に従順に学ばせて頂きます。万が一逆らう事があれば教頭へ僕の不心得をお伝えください」
教師はしばし憤りの雰囲気で圧してきたが、やがて教壇へと戻っていった。だがあの手の人間は言葉の反省など信じはしない。下がったのは、言質と、僕が逆らえないと思っているという態度を確認したからだ。
だというのに、黒板の前へ戻る途中にまだ愚痴をこぼす。
「黒木の欠席でさっき急ぎで刷った資料が無駄になったというのに」
わざとらしく靴音を立てて歩きながら喋り続ける。
「資源給付センターへの仕事もやらされる羽目に」
電子出席簿と連結され効率化された配給システムは、生徒が欠席すると自動で給食の量を調節する。仕事といっても連絡メールの確認コンソールの「はい」をタップするだけだ。
「なにより事前連絡の欠席とはいえ、規則のせいで口頭で教員に共有しなきゃならん。ああもう、面倒だっ」
(なんか、奇妙だ……)
違和感がある。因果にずれがある。辻褄が合っていない、気がする。さっきから教師の言葉を聞くたびに、理屈と感覚が異を発していた。
その時、一枚の紙切れが舞って目の前をよぎる。
左を見ると窓が空いていた。
そしてさらにその先、長い正門通りの上。
地面まで届きそうな、黒くなびく長髪の後ろ姿が悠々と歩き、校門から出て行ったのを見てしまった。
来ていないはずの人が出ていく瞬間を。
(授業が終わったら『病気で早退』させてもらって、外に赴こう)
そう決めて。
「事前連絡でこれだけ人様に迷惑かけるとは。たいした『あばずれ』だあの女。はっ、貴様とお似合いだよ」
やはり今すぐ出ていくことにした。
椅子を蹴立てて立ち上がる。それは全く大きい音ではなかったが、ちょうど前へ振り返ろうとした意識の隙に響いた教師にとっては驚かされるものであった。
「な、なんだ。なんだよ……」
こちらの表情を見た教師がたじろぐ。別に険しい顔などしていない。ただの無表情だ。見ている者にとっては知らないが。
一瞬腰が引けた教師が先ほどのやり取りを思い出し、怒号で勢いを取り戻そうと息を肺一杯に吸ったのを見計らう。
そして、言った。
「う、痛いっ。腹がっ」
またしても隙を突かれた教師が復帰する前に言葉を続ける。
「すみません、とっ、トイレへ、行ってもよろしいでっ、しょうか」
腹を手で押さえて猫背になりながら、脂汗を浮かべて苦悶の表情を作り話す。こちらのお願いに対して、教師がやや引きつりながらもにやにやを取り戻して返す。
「駄目だ。授業中は我慢するのが常識だろう。どうしてもというなら誠意を……」
「そうですか」
姿勢や流れる汗はそのままに言葉は流暢に変わる。
「では先ほど言った通りあなたのご指導に沿って、ここで噴火するしかないようですね。社会的な死は残念ですが教員の指導とあらば是非も無し。時間的に事後処理が終わる前に次の授業が始まってしまうでしょうが仕方ありませんね」
次の授業という言葉に教師の眉がピクリと上がった。
「次の教員は女性ですからお見苦しいブツや臭気は控えたいのですが。クラスメイトが迷惑しているさまを御覧に入れるのも心苦しいですし」
にやけ顔を張り付けたまま教師の頬が僅かにひきつる。
その理由は、次の授業を受け持つ女性教員が別の派閥に所属していることに合った。それは教員の妻や生徒の母親たちも関係している超派閥の巨大クランである。その人たちは、普段は夫のキャリアを自慢し合うような階級付けに躍起になっているが、子供の学歴に関しては皆、運命共同体だ。
校内の治安、学習環境には子供の為に異次元の協調性を発揮する。
この学校の教員は未だに男性が殆どなのだ。そしてこの男性教員が派閥に所属している以上、その交流で自分の妻と女性教員は繋がりがある。
もし、自分の強制で生徒が粗相をし、女性教員に迷惑が及んだとなったら一体どこから応報が返ってくることか。
その可能性は教師の顔から笑みを剥がすのに充分であった。
震えを隠す声で教師が話す。
「貴様は、俺を――」
「いいえ。単にお腹が痛いので迷惑をかける前に出ていきたいだけです」
「俺は朱門派の所属だぞ。俺の言うこととお前の下らない脅しなんて信用が……」
「脅しなんてそんな。でも次の女性教員の方は、二度と不愉快な思いをクラスメイトに及ぼさない為に、生徒から事情を聴き、家に帰ったあと彼らが親御さんに話したことも踏まえ、ご自身の考えで正しい判断をなさることでしょうね」
隠しきれはしない。
僕には当然処分が下るとして、この教師もなにがしかの戒めを受ける。生徒を縄から逃がす屈辱と巨大組織からの小さな
そして、相手が再び権威に縋った発言で時間稼ぎをしようと息を吸った瞬間。
「あ、痛い、いったた。お腹痛い。ああ、トイレに行けたら誰にも迷惑が掛からないのになあ。でも僕が悪いからしょうがない。こんな時、保健用センサーに体調不良が記録されたらむしろ強制的に行かされるのになあ」
「い、行ってきなさい!」
教師がはっとして叫んだ。
「た、確かにセンサーで見ると異常がある。悪いのは君だが、保健衛生規約に従うのは当然だ。そうだ、それが、それでいい」
こちらに教員用端末のカメラを向けて言う。当然、異常は検知されていないだろう。だが本式ではない簡易センサーの記録値はいくらでも誤魔化せる。
「ありがとうございます」
しっかりと背を伸ばし感謝を述べた。
「あ、腹具合が戻らなかったら欠席にしてください。その時は自分で保険担の女教諭に連絡をして……」
「いや、結構! もう授業時間のほとんどを居たわけだからな、出席にしておこう。もしそのときは早退しても構わない。連絡は、全部、私がやっておこう。さあ、早く行け」
「はい、では失礼させていただきます」
両手をもう一度体側に丁寧に当てて起立の姿勢をとり、ついでに敬礼ごっこを加えて言った。そのままカバンも取らずに(どうせ空だ)素早く教室の前扉から外へ抜け出る。
教室を出て扉を閉めると、沈黙した廊下があった。演技の汗を袖で拭うと、トイレではなく中央階段の方へ向く。
「さて、探しに向かいますか。取り敢えず街の方かな」
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