第29話 閑話 寺捻時宇覚の章1

「大道さん、こんにちは」


 閉店間際の【よろず堂(仮)】に訪れたのは、引き締まった体躯をパリッとしたスーツで包んだ精悍な顔つきの青年だった。


「いらっしゃい、宇覚うかくさん。お店はもう閉めるところなのでちょっと待ってもらえますか? 奥の休憩室にご案内もできますけど」

「いえいえ、お構いなく。邪魔をしないように店内を回ってますから」


 そう言って爽やかに白い歯を見せた青年は慣れた様子で【よろず堂(仮)】の中を歩き始める。表向きのこの店にはごく普通の日用雑貨やリサイクル品などしか置いていないうえにさほど広くもない店内のため、見て回っても時間を潰せるかどうかは微妙であるが。

 店主は店内の時計を一瞥し、閉店時間間際であることを確認すると隣で書類仕事をしていたシファに声をかける。


「シファ、ちょっと早いけど今日は店じまいにしよう」

「はぁい、じゃあ鍵は締めてきちゃいますね。寺捻時じねんじさん、ちょっと待っててくださいね」

「なんかかしてしまったようですみません、ミルミナインさん」

 

 青年の名前は寺捻時 宇覚。この【よろず堂(仮)】の顧客であり、常連客。しかもこの店の売り上げの大きな部分を占めているとなれば店主たちの丁寧な対応も頷けるが、その顧客としての立場がなかったとしても、店主と宇覚はすでに面識があり旧知の間柄だった。


「寺捻時さん、まだ名前呼びは慣れませんか?」

「はは、すみません。どうも女性を名前で呼ぶのは慣れなくて」


 シファの正式な名前は『シェーファリア・ユーリ・ミルミナイン』だが、彼女と知己を得た者はシファと愛称で呼ぶ。彼女を知るもので彼女を姓で呼ぶのは宇覚だけだ。


「まあ、いいですけど。少しは慣れておかないと彼女も出来ないですよ」

「おっと、それは困りますね、肝に銘じます」


 からかうような言葉に真顔で固い返事をした宇覚に、シファは可愛らしく小首を傾げる。


「う~ん、真剣味が足りないです。まあ、寺捻時さんはモテそうですから女性には困っていないのかも知れませんけど」

「そんなことありませんよ。私なら私のような堅物は選びませんし」

「……そうは思いませんけど(これは隠れファンがたくさんいるとみた)」


 そんな話をしながらシファが戸締りをしている間に、少ない今日の売り上げを集計してレジを締めた店主が軽く伸びをして席を立つ。


「お待たせしました宇覚さん。話は奥でしましょう」


 店主はレジカウンターの奥にある扉へ宇覚を案内し、倉庫内を経由して従業員の休憩スペースへと先導する。宇覚も何度も訪れている場所のため特に戸惑うこともない。


「シファ、お茶をお願いしていいですか?」


 休憩室の応接セットのソファーを宇覚に勧めつつ、後ろから付いてきていたシファへと声を掛ける。


「はい、寺捻時さんはいつも通り緑茶でいいですか」

「いつもありがとうございます」


 シファがお茶の準備をしている間にローテーブルを挟んで反対側に座った店主はスキル『蒐集図鑑』を発動して図鑑をテーブルに乗せる。


「今日のお話は先日試供品としてお渡しした物の件ということでいいですか」

「はい、あの生地と革の耐久性は素晴らしいです。既存の防弾装備の半分以下の重量と質量で同程度の効果があります。いろいろテストは必要ですが、従来品の下に着こんだり、重ねたり貼り合わせたりすることで更に着用者の安全性が高まることは確実です。早急に製品化まで持っていって紛争地や災害地に赴く隊員たちの正式装備にしたいと思っています。つきましてはある程度まとまった数を買い取らせていただきたいと考えています。予算の関係もありますのでまずは最も必要とされている場所に配備して性能を証明します。そうすればいずれは全隊員の正式装備として認められるはずです」


 店主の質問にやや食い気味に身を乗り出した宇覚は先日ウェインの世界からメイラが持ち帰ってきた生地や皮の素晴らしさを熱く語る。


「ちょ、ちょっと落ち着いてください大尉殿」

「大尉ではありません、自衛隊では一等陸尉です」


 寺捻時宇覚は若くして自衛隊の一尉となったエリート自衛官である。【よろず堂(仮)】とは、互いの祖父同士が知り合いだったことで学生だった頃からの付き合いであり、店主には自衛隊員の装備等を研究したり、調達する部署に配属されていると伝えていて装備に使えそうなものがあったら情報提供を受けている。


「寺捻時さん、お茶です。トモさんもどうぞ」

「ありがとうございますシファ」

「いただきます」


 ちょうどいいタイミングで戻ってきたシファがテーブルに緑茶の入った湯呑を置く。お礼を言ってそれを手に取った宇覚は心を落ち着けるように細く息を吐きだし軽くお茶を冷ますとずずっと口に含む。


「……ふぅ、取り乱してすみませんでした。それほどあの素材は素晴らしいものだったので。日本の技術ならあの固めの生地も肌着として着られるほどに柔らかく加工できると思います。普段着としてあの素材の服を着用できるようになれば、自衛隊員どころか全国民の日常生活上での安全度が跳ね上がります」

「再現はできそうですか?」


 あの素材の価値を正しく評価している宇覚の言葉に頷きつつ店主は日本で、いや地球で再現可能かどうかを問う。どんなに有益な素材であるとしても現状では店主が複製するか、ウェインの世界に行って買い付けてくるしか入手方法がない。それでは世間に広く普及させる訳にはいかない。


「現状では無理とお答えします。これから時間をかけて素材を研究していって、もしかすればというレベルです」

「なるほど、再現できる可能性があるだけでも凄いですね」


 店主の賞賛に溜息を漏らした宇覚は手に持ったカップをテーブルに置く。


「といっても本当に可能性が少し残った程度です。今回の素材は魔力などが介在しないタイプの物でしたから」

「地球には魔力等を扱う技術は無いですからね。いずれにしろ今回も素材を卸すのは宇覚さん経由のみにしておきます」

「ありがとうございます。現状でもぎ取ってきた予算は五千万円ですので、これで買えるだけ生地を売ってください。革の方はひとまず製品化は見送るので研究分だけで構いません」

「わかりました。品物の準備に……そうですね、一週間ほどください。試供品をお渡しした際に提示した値段を元にお渡しできる数量は計算します。シファ、お願いします」

「はぁい」


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