ミオとヒメ6
「やめて!」
ミオはヒメの手を掴んだ。二人の間で刃先が回り、顔の高さで彷徨う。
「離してよ! あんたより醜くなって、その後で結果を出してやるんだから!」
「そんな事してなんになるの!」
握る手指が圧力により変色している。どうやらヒメは本気のようだ。そして、ミオの方も負けじと力を込めて自分の方へ引き寄せようとしている。ハサミなのか、筋肉なのか、筋なのか、ギリギリ軋む音が小さく聞こえ始め、徐々にミシ、ミシ、と鈍く変わっていく。
「いい加減にして! いつまでこんな事続けるつもり!? さっさと諦めて!」
「絶対に嫌! そっちこそ馬鹿な真似はしないで!」
「何をしようが私の勝手でしょ! 私は自分の実力だけで周りを認めさせてやる! 顔なんて関係ない! どんな風になろうと私は私なんだから! 私だけの力で黙らせてやる!」
「だったら!」
ミオは喉の奥から燃えるような叫びをあげ、握る力を強めた。
「だったら想像してみて! 私の顔で生きていく事を! 不細工に生まれた自分の事を!」
枯れ果てた声での精一杯の訴えだった。これまで彼女が味わった辛酸や苦痛、屈辱が込められた呪いが、聞く者の心を切り裂く魔法の言葉が、彼女の口から発せられた。
「そんな事、別にどうだって……!」
そこまで言いかけヒメは表情を一変させた。恐らくだが、彼女はRNでエットが言った事を思い出したのだろう。
「今のお前、お前がこれまでされてきたのと同じように、その不細工の女を顔で判断して批判しているぞ」
多少の差はあれ、人は見た目で判断するものである。倫理道徳がなく、人の心を鑑みない時分に醜い者を嬲り排斥したという経験をするのも珍しくはない。そこまでいかなくとも、心の奥底で「なんと不細工な人間だ」と蔑み、態度に出てしまう程度の邪悪さは誰しもが持っているものである。そうして歳を重ねて理知を培い慈しむ土壌ができると、これまで見てくれで判断してきた自分を恥じるようになり、そこでやっと後悔して内面に目を向けるのだ。その域にまで到達できるまでには長い時間がかかるし、もしかしたら生涯縁なく過ごす人間もいるかもしれない。人はそれだけ目に見えるものに固執する。時代により美醜の価値観は変わろうとも、美が善であり醜が悪であるという構造が覆る事は難しいだろう。姿形だけではなく本質的な部分へ焦点を向けるためには、きっかけが必要である。
ミオの声は、そのきっかけとなるものだった。
「あ」
ヒメの手から力が抜けた。ハサミは勢いよく、体重をかけていたミオの方向へと向かっていく。
「痛……」
目じりとこめかみの間、髪の束が振れる部分に刃が当たった。先端から数ミリがミオの肌を切り裂き出血。ナイフではないため大きな傷にはならなかったがしかし、髪が動けば否応なしに目に付く位置。どうしたって、目立ってしまう。
「ちょっと!」
ヒメはミオに駆け寄り肩を抱いた。置いた手が、微動する。ヒメではない。ミオが震えているのだ。
「怪我はないですね?」
震えながら、血を流しながらもミオはヒメの心配をしていた。そうして、彼女の顔に傷一つない事を確認すると、安堵したような顔を浮かべだらりと座り込んだ。
「なんで! 別に私がどうなろうとあんたには関係ないでしょう!」
「私だったらどれだけ顔に傷がつこうといいんですけどね。岩永さん。貴女は綺麗なんだから、駄目ですよ」
「……馬鹿みたい。顔なんてどうだっていいのに」
「どうだっていいなら、どうして手を離したんですか?」
「……」
「岩永さん。私、貴女の顔好きですよ。私だけじゃないです。皆、貴女を綺麗だと思っています。だからつい嫌な事も言いたくもなるし、妬ましく思ってしまう事もある。でも、いいじゃないですか。それでも。貴女は、どんな顔をしていたって貴女なんです。美人に生まれた貴女は、美人に生まれた貴女にしかできない生き方があると思います」
「なにそれ。自己啓発みたい」
ヒメは鼻で笑って膝を曲げ、座り込むミオに視線を合わせた。
「鳳さんは、不細工ですね」
「知ってます」
「でも、貴女だって、顔の事でそんなに悩まなくたっていいじゃないですか。貴女は、どんな顔をしていたって貴女なんです。不細工に生まれた貴女は、不細工に生まれた貴女にしかできない生き方があると思います」
「意趣返しですか?」
「そうです。気分悪いでしょう? 顔の事で説教されると」
「面と向かって言われると、腹が立ちますね」
「私も同じ気持ちですよ」
「美人のくせに」
「美醜関係なく、他人の顔についてとやかく言うのは社会的に不適切だと思います」
「それもそうですね」
「でも、きっと言われるんだろうな、これからも」
「私も言い続けますよ。岩永さんは美人だって」
「私は……私は言わないようにしますね。鳳さんが不細工って」
「気遣いですか?」
「腫物には触れない方がいいですから」
「ずっと思っていたんですが、性格悪いですね、岩永さん」
「社会のせいだと言っておきます」
「くっだらない」
「自分を美人だと思い込むよりはましですよ」
夜の河川敷。薄明りの下で、二人の会話は続いた。方や美女と、方や不細工の二人が、対等に、平等に。
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