ミオとヒメ5

 下流に向かって歩きながらミオは「冷えますねとか」「静かですね」とか話をするもヒメは何も答えない。先ほどのヒステリーを未だに尾を引いているのか、終始俯いている。




「……鳳さんは、なぜ怒らないんですか?」



 



 ヒメが口を開いたのは河道に作られた段差で小さな滝が形成されていた場所であった。そこが歩道の終点。目の前には打ちっぱなしのコンクリートの壁。小さな街灯が照らす、薄暗い所だった。




「怒る? 何がですか」


「人に嗤われて、いいように使われて、どうして怒らないんですか」


「そうですね。別に、皆様思う事はそれぞれあるでしょうし、怒ったところで事態が解決するわけでもないからですかね」


「怒った事もないのに何故そんな事が言えるんですか。怖がって態度が改まるかもしれませんよ」


「ありますよ。昔、よく怒っていましたから。でも、何も変わりませんでした」


「え」


「今も昔も、私の事を不細工不細工って言う人が多いんですよ。妬みとか僻みとかで」


「……」


「私、美人だから、みんないじわるしてくるんですよね。それで、最初は怒っていたんですけど、怒ったところで喜ぶだけですから、もう気にしないようにしたんです」


「……なにそれ」


「岩永さんもご経験ありませんか? 貴女も、まぁ美人ですから」



 微笑みかけるミオ。ヒメは少し戸惑った風だが、一文字に結んだ唇を緩めた。



「……美人なんて、ろくなものじゃないですよ」


「……はい?」


「美人なんてろくなもんじゃないですよ。どれだけ頑張っても、結果を残しても全部“美人だから”なんて言われて実績は二の次。男からはいやらしい目で見られて女からは妬まれて、いつもいつも、美人だから、美人だから、美人だから。こんな事ならこんな顔に生まれたくありませんでしたよ。本当に……」




 話しの途中、ミオの方を見たヒメは言葉失った。



「どうして、そんな事言うんですかぁ……」



 大粒の涙が零れ落ち、ミオの化粧が剥がれていく、薄暗い街灯に照らされた、グシャグシャになった彼女の顔は、神話として後世に残された怪物のようだった。



「ちょっと、ねぇ、どうしたんですか」



 さすがのヒメもその異様な事態に大きく戸惑う。ミオが泣いた姿など見た事がなかったし、まさかミオが、そんな風になるとは思っていなかったのだろう。



「どうしてそんな事言うんですかぁ……美人なら、可愛く生まれたらそれだけでみんなよくしてくれるのに、仲良くできるのに、どうしてそんな風に、産まれてこなければよかったなんて……」


「鳳さん……」


「どうして……私は、ずっと、ずっと酷い事されてきて、この顔のせいでずっと……だから悪口も聞き流して、みんなの言う事も聞いてきて、一生懸命頑張ってきて……それでも色々な人から不細工だから、不細工だからって言われて……それなのにどうして貴女はそんな事を言うんですか……そんな美人なのに……こんな顔で生まれたくなかったなんて、そんな事!」


「貴女、自分の顔の事……」


「分かってるに決まってるじゃないですか! 私がどれだけ自分の顔を見てきたと思っているんですか! どれだけいじめられたと思っているんですか! 本当は可愛くなんてない! 綺麗なんかじゃない! でもそんな私は嫌なんです! 美しくありたい……こんな顔、こんな顔嫌だよぉ……どうして私はこんな風に生まれちゃったの……貴女みたいに綺麗じゃないの……私が美人だったらもっと素敵な事がいっぱいあったのに、何もかも、辛い……!」


「だったら、だったらちゃんと言えばいいじゃないですか! そんな事言わないでって!」


「言ったらどうなるんですか!? 優しくしてくれるんですか!? 助けてくれるんですか!? そんなわけない! ずっとそうだった! 昔から止めてって、嫌って言ってるのに皆、皆皆私をいじめて、酷い事をする! 貴女には分からない! 私がどれだけ我慢してきたか、美人の貴女には!」


「こっちだって苦労してきました! なにをやっても本当の評価なんてされずに、ずっと“顔のおかげだ”なんて言われて!」


「何をやっても“不細工だから”で笑われるよりよっぽどいいじゃないですか! さっきから黙って聞いていれば、貴女の言ってる事って全部傲慢なんですよ! 美人だからって他の人を見下して! そんなだから真っ当な評価されないんです! 顔のせいにしないで!」


「顔のせいにしているのはそっちでしょ! 不細工不細工なんて言って自分に酔ったような自虐して! それでうじうじ悩んで打開策もないままに“私は美人だから”なんてピエロを演じちゃってさ! 馬鹿じゃないの!?」


「人の気持ちも知らないで好き勝手な事言わないでよ! 貴女だって私が不細工だって見下してるんでしょ!」


「そんな発想がまず最悪って気付いてない!? 仕事ができるのに! 一生懸命やっているのにどうして顔なんかでそんなに自分を卑下するんですか!? イラつくんですよそういうところ! いつもヘラヘラして利用されているのを見ると虫唾が走る!」


「そうしないと生きていけないから! 誰かのために動かないと私に価値なんてないからしょうがいじゃない!」


「負け犬の発想ですね! そんなに人の顔色ばっかりうかがって情けないったらない! 悪いのは顔じゃなくて性格と根性でしょう! 貴女は顔だけじゃない! 心も不細工なんですよ!」


「顔のいい貴女にそんな事言われたくない! なんなんですか! 貴女は本当の評価がされてないなんて言うけどそれこそ過剰に認められたいだけなんじゃないんですか!? 顔だけじゃないなんて自惚れもいいところですよ! 例え今の顔じゃなくたって同じですよ!」


「だったら!」



 暇は鞄の中に入っているハサミを取り出し、開いて刃を自分の顔に向けた。



「だったらこんな顔切り剥がしてやりますよ! それで結果残せばいいんですよね!」



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