ミオとヒメ4
「何をそんなにイライラしていらっしゃるんですか? せっかく美味しいお酒なのに」
「これが私の普通です」
「そうなんですか? だったら直した方がいいと思いますよ」
「大きなお世話だって言ってるじゃないですか。私に干渉しないでください」
「干渉しているつもりはないんですが。そう思われたのであれば申し訳ないです。ただ、せっかくこうしてお酒を飲んでいるんですから、もっと楽しそうにしていらっしゃればいいじゃないですか。じゃないと損ですよ」
「別に貴女と飲んで楽しいわけでもないので」
「だったら、何故私を誘ってくれたんですか?」
「……」
ヒメは言い淀む。彼女にしては珍しく気まずそうな、そんな表情で、普段の居丈高かつ傲慢不遜な雰囲気が一瞬消えて目を泳がせた。が、すぐにいつもの長子となって、咳払いを一つ残しヒメの方をちらと向いた。
「……一応、けじめをつけておきたいと思いまして」
「けじめ?」
「そうです」
「なんのですか?」
「……私、今日のコンペの前に三ツ谷さんと磯貝さんとの接待を設定していました。この意味、分かりますよね?」
「……」
「悪い事をしたとは思っていません。謝罪をするつもりもないです。ただ、私はそういう手段を使いました。だから今回のコンペは私の案が採用されます。それをお伝えしたかった」
「……」
「プレゼンでスーパーシティについて触れましたが、あれ、もうすぐ候補地の選定が始まるんですよ。それに連動する形となりますので、持ち出しのコストも思った以上にかからないんです。当然、公にはなっていませんが」
ヒメは接待の時、三ツ谷からその情報を得ていた。三ツ谷が最後一人で喋っていた際、最後にこんな事を言ったのだ。
「社内でコンペをやっている。なるほどなるほど……では、スーパーシティ構想を取り込むといいかもしれないね。大きな声じゃいえないけども、今度、官民共同でやってみようという案が出ているんだ。これはほぼ確実に通るんだが、それに乗っかる形でやってみたまえ。勿論、最初はヒメちゃんの会社とグリーングローブと、まぁ我々が適当に出せるような額を記載して、“そんな案知りません”という体で書いておくんだよ」
情報の横流し。リークである。ヒメはこの情報を基に資料をブラッシュアップし、今回発表プレゼンを行ったのであった。
「……どんな手を使ったんですか?」
「どんなって、普通に会食して、豚のご機嫌を取っただけですけど」
「他には?」
「なにもないですよ」
「本当に会食しただけなんですか?」
「そうだって言ってるじゃないですか」
「……え、じゃあ今回、わざわざそんな事を伝えるためだけに誘っていただいたんですか?」
「そんな事?」
予想だにしなかったであろう返答にヒメは絶句した。彼女の事だから、一発殴られるくらいの覚悟は持っていただろうに、「そんな事」で片づけられてしまったのだ。
「そんな事ってなに!? 私は真面目にやってる貴女を出し抜いて、根回しでコンペに勝ったんですけど!? 悔しくないんですか!?」
ヒメが立ち上がると勢いに任せて屋台が揺れ、店主の「おっと」という声が聞こえたが彼女には関係ないようで、真っ直ぐにミオの方を見た。獰猛な獣を想起させる血走った目である。
一方でミオの方はいつもの微笑を覗かせて、ふっと、息をするのと同じ要領でヒメに答えた。
「あぁ、すみません。それは勿論なにも思わないなんて事はないんですけれど、随分と深刻そうな風に仰るので私てっきり、袖の下でも渡したのかと思ったんですが、なんだか拍子抜けしてしまって」
「……! 気に入らない!」
「え?」
「気に入らないの! その余裕そうなところが! 仕事も何でも引き受けて、他人から馬鹿にされて、嘲笑されて、いいように使われているのにいつも笑っていて! それで平気でいられるところが気に入らないの!」
張り上げた声は反響し川のせせらぎをかき消した。感情むき出しの叫びはヒメの心からの叫び、即ち、ミオに対する否定の、根源的な理由である。彼女は馬鹿にされながらも誰より働くミオに対して、嫉妬と憐憫を抱いていたのだ。
「そんな事言われましても、私は私で仕事をしていると言いますか。このスタイルでずっとやってきましたので」
だがミオには伝わらなかった。さして変わらず、淡々と言葉を返すため、ヒメは一段と怒髪天を突く勢いを増し、身体を震わせた。
「なんで!? どうして平気なの!? 雑務や資料作成だって全部やらされてるんだよ!? それがあんたじゃなくて他の人間の評価になってるのにどうしてそんな風に笑っていられるの!? 不細工だからって舐められて侮られて笑われて! 悔しくないの!? なんとも思わないの!? どうして戦わないの! 抵抗しないの! いつもいつも顔が悪いからって理由で軽視されてムカつかないの!?」
夜の河川敷。幸いにして人はおらず、ヒメの醜態を見ているのはミオと屋台の店主だけである(屋台の店主の方についてはどうしたらいいのか分からない様子で立ち尽くしヒメの方を眺めているだけだった)。
「そうですね……」
猪口に入った酒をミオは見つめる。どう返したものか、どう言えば伝わるのか考えているのか、少し口をまごつかせては、言葉を呑み込む。そして、ヒメの過呼吸気味な吐息が整った頃合いに、ようやく喋り出したのだった。
「……岩永さん。ちょっと、この辺りを歩きませんか。お店の人にも迷惑ですし」
「……」
そこでヒメは店主に向き直り、頭を下げた。
自分が何をしたのか気が付いたようである。
「すみません。感情的になってしまいまして……」
「あ、いえいえ。そんな事もありますよね」
簡単な会話。ヒメが続けて何か言おうとした際、横からミオが口を挟んだ。
「ご馳走様でした。お会計いいですか?」
「……私が払います」
「いいですよ。さっきアイスティー奢ってもらいましたし。すみません、幾らでしょうか」
「ありがとうございます。こちら、二千五百円でお願いいたします」
「はい、丁度で」
「はい、丁度いただきました。ありがとうございます」
「今度またお伺いしますね。あ、勿論日吉さんにも」
「はい、是非ともいらっしゃってください」
「それじゃあ、岩永さん、行きましょうか」
「……」
今度はヒメがミオの歩調に合わせて歩いて行った。静かな川に敷かれた道を、ただ、進む。
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