ミオとヒメ2
そしてまた沈黙。ただただ静寂が過ぎてゆく。途中会議室に戻った男二人はその様子に面食らった様子でしずと椅子に座り、咳払いもできないままキーボードを叩いたりマウスをクリックしながらタイミングを見計らう。そうしてほんの一瞬だけ緊張が解けた隙を突き、戸田が声を出したのだった。
「本日はありがとうございました。岩永さんも鳳さんも大変素晴らしいプレゼンでした。コンペの結果については後日お伝えいたしますが、どちらに決定してもプロジェクトは成功すると確信できるもので、大変満足しております。まだまだ始まったばかりですが、ひとまずは第一ステップ完了という形となり、一旦はお疲れ様という事で、通常業務に戻っていただければと思います」
ひとまず、第一ステップ、一旦と、途上である旨がふんだんに盛り込まれた挨拶により締められ社内コンペは終わった。ミオと伊達。ヒメと狩谷は順に会議室を出ていきそれぞれの部署へと帰っていった。
一仕事終わり、それぞれ受け持つ次の仕事へ着手し、日常へ溶け込んでいく。ミオについては会議室から戻った瞬間次々と人から声をかけられ対応に追われていった。皆彼女の都合など関係なしに利用し、用が済めば「ありがとうございました」と軽く頭を下げて去っていく。それは変わらない、いつも通りの風景であり、また、定時以降も続く恒常的な行事でもあった。
ミオがようやく自らのデスクに座ったのはとっくに残業時間に入っている頃合い。一息吐いてPCを眺め、後回しにしていた確認事項に目を通していくと、その内の一つに視線が移る。チャットではなく。社内連絡用フォルダに一通のメール。Fromには岩永ヒメの名。クリックして詳細を展開。
業務終わりに会社前のカフェで待ってます。
受信時間は六十分前。ミオはしまったなという顔をしつつ急いで残務処理を行う。対応しなければならない業務は幾つかあったようだが、全て翌日のスケジュールに詰め込んでいる様子だった。PCをシャットダウンし、荷物を鞄に詰め込んで、席を立って退勤処理を行い、急ぎ足で指定のカフェに向う。店に到着したのはメール受信後から百二十分後。定時より九十分が過ぎた頃だった。
「すみません。仕事が残っていたもので」
カフェに入ったミオはヒメを見つけるとすぐに駆け寄って対面の席に座り、水とウェットタオルを運んできた店員に「アイスティーをください」と注文をして、落ち着かないまま切らしていた息を整えたのだった。
「相変わらずお忙しいようで」
ヒメが冷たい声で皮肉めいた事を言った。酷く無感情な、少しも興味がなさそうな様子であったが、ミオはいたって普通に返事を述べた。
「そうですね。中々スケジュールが進まず。もうちょっと効率化できればいいんですけどね」
向けられた笑顔にイラつきを隠せないヒメは、更に言葉を重ねていく。
「安請け合いのし過ぎなんじゃないですか。体よく利用されているんですよ」
「困った時はお互い様じゃないですか。私が助けてほしい時は、逆に皆さんに協力をお願いする事になりますし」
「助けてくれますかね。鳳さんを」
「どうでしょう。少なくとも狩谷さんや戸田さん、伊達さん辺りは手を貸してくれそうですが」
「その他はどうです? 日常的に尻拭いしている人間や、一人で案件を進められない人間。管理が杜撰でいつも進捗が不明な人間が貴女に力を貸してくれますかね。私にはどうにも、望みが薄いように思えますが」
「まぁ、全員の方に対応いただけるわけではないですよね。それぞれ仕事もありますし。でもまぁ、誰かのサポートに入ればその分私の経験やスキルも培われていきますし、そこまで悪い事ばかりじゃないですよ」
「偽善的ですね。自己満足じゃないですかそんなの。それじゃあいつか破綻しますよ。利用されるだけされて終わりです」
「私はそうは思わないんですが、心に留めておきます。それにしても意外ですね。岩永さんが心配してくれるなんて」
「誰があんたなんかの心配を!」
尋常ではない感情が籠った怒声がヒメから発せられ店内の注目が集まる。方や美女が狂乱し、方や不細工がニコニコと笑っている。随分と、奇妙な光景に映るだろう。
「……出ましょう」
「すみません。私、アイスティーを注文してしまったので、それだけ一杯いただいていいですか?」
「いいでしょうアイスティーなんて飲まなくても」
「いえ、店員さんに悪いので。すぐ飲みますから。もしあれでしたら、先にお店に行っていただいてもかまいませんよ。教えていただけたら向かいますので」
「……」
ヒメはミオを視線で刺しながら座席にもたれた。従業員がアイスティーを持ってきて卓におき、それを飲み終わるまで鋭い眼光が外れる事なく注がれ、グラスが空になった瞬間。「行きましょうか」と急かすのだった。
「はい。分かりました」
ミオの返事を最後まで聞く事もなくヒメはレジまで歩き会計を済ませて店を出た。ミオは礼を言う間もなく、ただ、ヒメの後ろをついていくだけだった。
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