ミオとヒメ1

 プレゼンが終わり品評が済むと、小休止を挟んで今後の展開とスケジュール調整を確認し、余剰の時間で軽い雑談など交わして和みつつ、規定時刻に「大変参考になりました」と言って磯貝は帰り支度をするのだった。



「次回いらっしゃる際は、是非会食など」



 見送りの際、ビルのエレベーターを待つ中で狩谷は間を取り持つために社交辞令を述べた。あるいは磯貝だけであればやぶさかではなかったかもしれないが、会食、接待の類には三ツ谷が必ず出席する。あの肥満体をして内心「豚」と嘲る狩谷がそんなものを望むはずもなかった。逆を言えば、三ツ谷が参加せず磯貝のみの会議についてはその手のもてなしはないと思って差し支えない。本日も磯貝に対し事前に確認を取ったが「申し訳ございませんがスケジュールが入っており」と断りの返事があった。  

 磯貝は業務以外で取引先と話をする事について煩わしく思っている節があり、基本的に一人で出張、訪問する際はだいたい「スケジュールが入っており」と判で押したように回避している。とことん、ドライな人間なのである。




「それでは、本日はありがとうございました」



 磯貝がエレベーターに乗るのを見て頭を下げる一同。磯貝の方も律儀に頭を下げ続ける。『閉』のボタンを押さないまま長くお互いが地面を眺め、数分後にようやく扉が閉まると、示し合わせたように全員の息が漏れて空気が緩んでいくのが分かった。



「いやぁ、緊張しました。いい方でしたね。磯貝さん」



 のぼせたような調子で伊達がそう言うと、狩谷だけが「そうだね」と生返事をするのだった。女性陣からの反応はない。それというのも、一瞬あった撓みは即座に引き締められ、新たな緊張を生んでいたからである。



「……」


「……」




 ミオとヒメ、二人の視線がぶつかり合って動かない。まるでその行為自体が言葉を介さないコミュニケーションかのようにお互いの目を捉えて離さず、不動となっている。



「あの」



 異変に気が付き両者に向かって声を出すも事態は変わらず。灼熱模様かつ極寒の様相を呈している二人の間に割って入る事ができず、伊達はおずおずと尻込みし後退りをする羽目となった。



「それじゃあ、一旦会議室に戻ろうか」



 膠着状態に亀裂を入れたのは狩谷だった。重々しくはっきりとした口調で声を響かすと、ミオもヒメも「そうですね」と声を揃えて踵を返し、エレベーターホールで繰り広げられた一触即発はひとまず終わりを告げた。




「なんか、変な感じでしたね、鳳さんと岩永さん」


「まぁ、色々と思うところがあるんだろう」



 先行して歩く二人の姿が遠くなっていく頃合いを見計らい、伊達が不満のような言葉を零し、狩谷が答える。




「よく分からないですね。二人とも凄く完成度の高い資料提示していたのに、なんだか機嫌が悪いというか、怒っているというか……磯貝さんも褒めていらっしゃったのに」


「そうだね……あぁそういえば伊達君。鳳さんに磯貝さんが来社された事を伝えた時、どんな感じだった?」


「え? どんな感じと言われても、普通でしたよ」


「本当に? なにか考え事とかしてなかったかな」


「さぁ……別段変わったところはなかったように思えますが……あ、そういえば、いらっしゃる旨をお伝えしたら、誰から聞いたのかというような質問はありました」


「……そうか」


「なにかあったんですか?」


「いや、鳳さんも緊張していたんじゃないかと思ったんだけど、よく分からないね」


「そうですね」



 狩谷は意図して的外れな事を言って伊達を煙に巻きミオとヒメの後を追っていった。彼の事だから、この時点で今回のコンペが出来レースである事をミオが察したと判断したかもしれない。



 来社の報せを誰から聞いたのか。普通なら来社する事は共有メールで確認できるはずなのに、ミオが入っているメーリングリストには届いていなかった。戸田が知っていれば恐らく朝に顔を合わせた際に伝えるだろうから、レイヤー向けに発信されたわけでもない。そうなると、磯貝は狩谷個人宛てに来社する事を連絡したと考えられる。それは何故か。単に物臭でアドレス帳から適当にメールを作成したのか。あるいは、狩谷以外が目にした場合困る事が書いてあるからあえて個人へ送ったのか。



 ミオがどこまで想像を膨らまし確信を得たのかは不明であるが、彼女の中で線が繋がっているのは確かであった。会食の事実に急なクライアントの参加。導かれる論理的推察。憶測の域を出ないとはいえ、もし狩谷に辞退すると伝えればその意志は通っただろう。

 それでもミオは最後までやり遂げ、彼女が伝えたかった事、伝えなければならないと思った事を伝えたのだった。それは意地か矜持か義務感か、はたまた恨みやあてつけのようなものであったかもしれない。しかし、どのような理由であれ、彼女は逃げなかった。自身の企画が落とされると直感しながら最後まで職務をまっとうした。死にゆく事に意味を見出す、殉職者のように……




 ……




「……」


「……」





 一足先に会議室に戻った二人は会話なくPCを眺めていた。空気は重く、後にやってくる伊達と狩谷が可愛そうなくらいである。気まずく、肌がひりつく。





「ねぇ」



 その地獄のような環境で、意外にもヒメが口を開いた。



「なんでしょうか」

 


「今晩、暇ですか?」


「はぁ?」


「飲みに行きましょうよ。二人で」


「……」



 思わぬ提案。ミオは眉間に皺を寄せながらも、「いいですね」と、返答を送った。

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