ロブ・ロイ3

「私も、ラフロイグをください。ソーダ割で」



 便乗するようにヒメが次の一杯を注文。バーテンダーは「かしこまりました」と小さく呟き、グラスと酒を用意していく。



「相変わらず気取った酒を飲むね。スコッチなんざ成金か解雇主義者くらいしか飲まないよ」


「私は好きで飲んでいるんだけど」


「だったら趣味を変えろ。お前にはクルボアジェ辺りが似合っている」


「いかにも最近ブランデーを知りましたみたいなセレクトで笑える。ナポレオンなんて飲みだしたら、それこそ成金になっちゃうね」


「誰しもが歩く道だから王道というんだ。横道にそれるより余程いい」


「だったらラフロイグだって王道でしょう」


「確かにそうだった。しかし今は没落して俗物の趣向品に成り下がった。そんなものをお前が飲むな」


「大衆向けのマーケティングをしているクルボアジェだって俗物がターゲットの一部になっていると思うんだけど」


「いいや、ブランデーの気品は未だ健在だ。根拠を提示してやろう。バーでラフロイグやボウモアを飲む豚のような奴は腐る程いるがブランデーを頼む奴は少ないし、いたとしても全員が真っ当な人間だ」


「限定的だし主観的だし統計取ってないしデータとしてあやふや過ぎる。だいたいブランデーって家で飲む人が多いんじゃない?」


「小賢し気に語るじゃないか。顔がいい割にお前は矮小だな」


「……」



 

 エットは終始このような風に「顔のいい人間は」と講釈を垂れる。そして、必ず最後にはこういうのだ。



「岩永。お前も美人であるという自覚を持て。相応の振る舞いをしろ」



 エットにとって顔のいい人間とは“持つ者”であり、持つ者は彼独自の解釈にって築かれる規範に則った行動をしなければならないというフィロソフィがあった。それは顔のいい人間には気品と気位。そして気高さが求められ、不細工、つまり“持たざる者”のための偶像として振る舞いながら、時に施さなければならないというものであった。荒唐無稽な内容であり、ヒメからは「独善的なノブレスオブリージュ」と揶揄され笑われていたが当の本人はいたって真面目にその哲学を掲げており、出会う度に反対意見を述べるヒメに対して、彼の価値観に基づいた苦言を呈し窘めるのである。



「そもそもお前は狭量で余裕がない。だから論理武装に頼って、それが使えなくなるとすぐ感情的になるんだ」


「知ったようなこと言わないでくれる?」


「知ったような。じゃない。知っているんだ俺は」


「へぇ。あんたが私の何を知っているのか、是非とも教えてほしいね」


「いいだろう。まずお前は今日、仕事関係で何か嫌な思いをしたな?」


「……どうしてそう思うの?」


「簡単だ。さっきお前が送ってきたメッセージだが、“今日飲まない?”の一言だけだった。覚えているか?」



 狩谷と別れ一人になった後にヒメはスマートフォンを操作していたのだが、あれはエットに連絡をとっていたのだった。



「それがなに」


「いつもは“たまたま時間ができて暇”だとか“出張の帰りにどこかで夕食を取りたいから”とか、聞いてもいないのに理由を説明してくるのに、今日はそれがなかった。理屈屋でプライドと自尊心が高いから、基本的にお前は理由がないとに誰かを酒の席に誘う事もできないのにそれがないという事は、精神になんらかの影響があると思ったんだ。それで来てみたら案の定顔に覇気がない。疲弊した人間特有の表情をしていた」


「ふぅん。でも、全部推測でしょ? 根拠に乏しくない?」


「まだある。その服装、地味だが衣裳が煌びやかでお前の趣味じゃない。接待用に用意したものだろう。さては会食終わりだな? 時間的に一軒で終わっているが、これは失敗したか先方都合で早期におひらきとなったか……賢しいお前の事だから、接待の場でやらかすといった事は考え難い。だから恐らく後者だ。大方、相手が不愉快な人間だったが、早めに終了したため憂さを晴らしに来た。そんな所だろう」


「……全部憶測に過ぎないけど、これ、外れていたら結構な赤っ恥じゃない? 大丈夫?」


「恥? なにが恥なんだ?」


「何って……」


「お前の言うように、俺の言った事は全て憶測だが、そんな事は別に関係ない。推理ゲームで当たった外れたと騒ぐのと変わらん。些末な事だし、その内に忘れる。むしろ、俺はお前の方が恥ずかしい人間のように思えるね」


「私が恥ずかしい? どうして?」


「もし俺の憶測が的中していた場合、お前は素直になれず、かといって自分の中で消化もできずに誤魔化す事しかできない馬鹿だし、外れているのであれば意味もなく焦燥している軟弱者だ」


「焦燥しているなんてあんたの主観でしょう」


「ならば鏡を見てこい。酷い顔をしているぞ。せっかくの造形が台無しだ。少し前、名画にトマトソースがかけられるなどという事件があったが、俺は今、その時と同じ苦痛を感じている。元がいいだけに酷い。芸術作品が不当に貶められている悍ましさがある。お前は本当に自覚しろ自分の美しさを。その気にならなくとも働く必要のない程の顔を持っているのに、なぜわざわざストレスを抱えてまで労働に固執するんだ。俺のように写真一枚数万、数十万で売れるポテンシャルがあるんだぞ。もっと自分の美しい顔を大切にしろ」



 エットは本気でヒメの顔を案じているようで、声にも視線にも熱がこもっていた。だが、だからといって思いが届くというわけでもなく、ヒメは終始鬱陶しという風に眉を潜めて、いつの間にか置かれていたラフロイグのソーダ割を口にして、ついでといわんばかりにエットが頼んだナッツを口に運んだ。



「で、どうなんだ。実際のところ」



 ヒメがナッツに手を付けた事を咎める事もせずエットは事実確認に走る。存外、気になっているようである。




「……まぁ、嫌な事はあった」


「そらみろ! 当たりだ! どうだ! 俺は凄いだろう!」




 当たっていようが外れていようがといった割にははしゃぎ騒ぎ、エットはカウンターに置かれた側から二杯目のグラスを飲み干た。ヒメはそれを忌々しく睨むも、脱力して当たり前のようにナッツを口に運び続けた。何か言うのも馬鹿らしくなったんだろう。



「で、どんな事があったんだ。聞かせろよ。わざわざ来たんだ」


「……大した話じゃない」



 そう言いつつもヒメは語るのだった。ラフロイグと、ナッツを片手に……

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