いつも通り

「本日はありがとうございました。それでは、また明日」



 居酒屋から出ると、ミオは入口前で早々に別れの挨拶を切り出した。



「本当に送っていかなくても大丈夫ですか?」


「いいんですよ。近いですし。それに、帰りに寄りたいところもあるので」


「そうですか……それでは、明日からもよろしくお願いします」


「はい、さようなら」



 手を振り、独り。ミオは伊達と反対の方を向き歩いていく。享楽的な繁華街の光と喧騒。平日だというのに、構わず飲み歩く人々に紛れ、足早に道を辿る彼女が足を止めたのは一軒のバーだった。入口に小さく掲げてある『Levee Breaks』がその店の名前である。ガラス張りの扉からは中の様子が伺えるようになっており、本日は既にカウンターは満席。常連と思しき女性が二、三、楽しそうにバーテンダーと談笑している光景が見られる。女性はいずれも美人といっても差し支えなく、骨格から美しくなることが決定づけられているような気さえする。そして、光で反射するガラスには……



「……」



 ミオはそっと目を背け、そのままLevee Breaksを後にした。歓楽街を抜け、駅を過ぎ、人足の途切れる静かな往来を渡り、追われたネズミのように自室へと戻って、バッグを置いた後に棚のエヴァンウィリアムスを持ち出すとグラスに注いで一気に煽り、「ふぅ」と息を吐いてソファに沈んだ。



「不細工じゃない、私は……不細工な姉ちゃんなんて言いますけれど、違うんです。私は美人だから」




 全身脱力し、虚空を見つめブツブツと呟くミオ。彼女が発した「不細工の姉ちゃん」とは、川垣にて植木がミオに対して言った言葉である。



「私は綺麗だから、みんなイジメる。でもそれは仕方ないから。美人だから、普通の人とは違うから……」


「伊達さんも、私が美人だから、遠慮しちゃう。気にしなくていいのに。やっぱり今度、誘ってみて……あぁでも、それだと周りの人たちがまた何か言ってくるかもしれない……私は別に構わないんだけど、伊達さんに迷惑かけちゃうのも申し訳ないかな。全然そんな気ないのに、やっぱり、美人って損しちゃうな」



 ミオは虚空に向かって喋り続ける。その日あった事、彼女の容姿について言われた事や、他者の反応などについての独自解釈が、延々と述べられる。


 このミオの習慣は昔から行われており、特に、他人から容姿について酷く揶揄われたりした日によく見られた。彼女に対して向けられた言動を確認するように口にし、一々と理屈をつけて自分は美人であるという結論に持っていくのである。



「Levee Breaksにいた子達、二十歳くらいかな。流行の服かな、着ていたの。私も買おうかな。でも着ていく場所がないなぁ。仕事が忙しくって」


「このプロジェクトが終わったら、有給をとってどこかに行こうかな。誰もいないところに、山とか、海とか、それで、ゆっくりしたいな。誰とも会いたくないな。みんな大好きだけど、喋るのも疲れちゃうし。あぁ、でも伊達さんとお酒を飲む約束を……あ、結局しないんだった。私が美人だから、気を遣わせちゃうから」


「そういえば、岩永さんどうしてるかな。あの人も少し美人だけど、可哀想。中途半端に整っているから、返って惨めな気持ちになってたりしそう。あぁ、だから私に強く当たるのか。仕方ないね。嫉妬してるんじゃ、どうしようもないもの。次会ったら、優しくしてあげよう」


「でも、本当に私はあの人に優しくできるのかな。どうだろう、どうかな。分からないな。ねぇ、私、優しくできるかな。ねぇ」



 誰もいない部屋で誰かに語りかけるも、誰もいないのだから返事はない。卓に置かれたエヴァンウィリアムスは既に五杯注がれている。ストレートのまま飲み下し、ボトルの容量を減らしていく。



「明日、休んじゃおっかな……」


「頑張っているし、明日くらい体調不良で休んでもいいんじゃないかな。仕事だって大体片づけたし、何かあっても、誰かがやってくれれば、それで……」


「このまま、ずっとこのままでいようかな。それでも別にいい気がするな。どうかな」


「……」




 ミオはしばらく口を閉じた。眠っているわけでもなく、ずっと両眼で虚無を捉えながら、空いたグラスに酒も注がずに、ソファに全身を預けている。時刻は日付が変わる前。寂寞。ジィという電気系統から発せられる音以外に聞こえるものなく、ミオを含めて、部屋全体が現代アートの一つだと言い張ればそれで通りそうな不気味さと不思議なメッセージ性のようなものを感じる空間だった(何を伝えたいのかは一向に不明だが)。整理された部屋が、余計に意味深な印象を与える。照明の一つがカプリバッテリーだったら本当に芸術として展示できるかもしれない。



「あぁ、シャワー」



 もしかしたらこのまま本当に動かないつもりかというタイミングでミオは立ち上がり、シャワーを浴びて化粧を落とし、保湿等の処理をして床に就いた。先ほどまでとは打って変わって行動的で、一連のルーティンを淡々と処理する様子は機械仕掛けの人形を彷彿とさせる動きであり、それもまた、現代アート的といえわれればそんな風に感じる姿であった。


 



「私は綺麗だから」



 最後にベッドそう呟き、目を閉じる。深夜二時を回り、睡眠に当てられる時間は僅か。しかし翌日。ミオはいつものように朝起きて、こう歌うのだ。




「おはよう! 今日も私はビューティフル!」

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