フィードバック3

「それより鳳さん。プレゼンどうするんですか? “ロープウェイを使って人を呼びます”だけじゃ弱いですよね?」



 一緒にバーに行くとか行かないとかの話を逸らし仕事にフォーカスをあてると、ミオは「それは大丈夫です」と即答した。



「ロープウェイ開設の構想と一緒にグリーングローブ市の立て直しも考えていました。それを改めて起こしてまとめるつもりです」


「どんな感じになりそうなんですか?」


「それは秘密です」


「え? 何故」


「職場外で話すわけにはいかないからですよ。まぁ散々グリーングローブ市の話をしちゃっておいてなんなんですが」



 社外で案件に関する話題やクライアント名を声に出すのは非常に危険な行為でありあってはならない事である。社会人は情報リテラシーを学び、軽率な言動は控えなければならない。



「確かに。でもそれで言うと、ロープウェイの話はかなりまずいんじゃないんですか?」


「まぁ、過ぎた事は仕方ないですよね。覆水盆に返らずと言いますし。終わった事はこの際置いておきましょうよ、ねぇ。野暮ですよ野暮。そんな事を言うのは」


「……」



 先程おかれたメーカーズマークのソーダ割を半分ほど飲んだミオは顔を赤くしてあっけらかんと笑った。疲れている身体にバーボンなど入れたら酔わぬわけがない。普段は見せないテンションでのコミュニケーションは彼女の上戸である。

 彼女と初めて酒を飲み交わした伊達は戸惑い、「水いりますか」と気を利かせたがミオは「まだまだ宵の口ですよ」と拒否。グラスに残った半分を一気に飲み干し店員を呼び寄せるのだった。



「メーカーズマークボトルで。セットは炭酸水でお願いします」


「あ、そんなに飲んじゃ明日に響きますよ」


「大丈夫ですよ。余ったらキープしときますから。私、たまにここ来るので」


「そうなんですか」


「はい。家までの動線にあるのでつい。伊達さんはあまりお酒飲まないんですか?」


「嗜む程度ですね。たまに誘われるんですが、だいたい一、二杯飲んで後はソフトドリンクです」


「健康的ですね。もっと遊んでいらっしゃるかと思っていたんですが」


「僕も鳳さんがそんなに飲めるなんて意外でした」


「そうですね。一人でいる時間が多くて、やる事もないので暇な時はだたいお酒飲んでますね」


「あ、そうなんですか」



 思わぬ私生活の告白を受けて言葉を選びきれない伊達。一定の距離がある人間から破破綻していそうなプライベートの情報を聞けば誰だってそうなる。二の句を失った伊達は、じっとミオが酒を作るのを見ていた。



「どうぞ」


 

 押し黙っているところにミオからでき上がったメーカーズマークのソーダ割を渡され、素直に受け取る。薄い鼈甲のような色をしたハイボールは、静かに泡が始めていた。



「あ、ありがとうございます。ウィスキーですか、これ」


「そうですね。バーボンです」


「あぁ、これがバーボン」


「大衆的ではありますけど、甘くて美味しいですよ。個人的に好きでして、よくミントジュレップにして飲んでいます」


「ミントジュレップ」


「ミントとシロップを入れたカクテルですね。ほら、グレートギャッツビーに出てきた」


「あ、すみませんちょっと存じ上げないかもしれないです」


「あ、そうなんですか。面白いですよギャッツビー。村上春樹版は現代的で読みやすいのでおススメです」


「あ、村上春樹の本なんですね」


「あ、翻訳したんですよ。春樹が」


「あ、そうなんですか」




 噛み合わぬ会話。趣味が合わないうえに一人は酔っており脳の機能がいまひとつ。円滑なコミュニケーションは展開されずに淡白なやり取りが行われる。飲み会でよく見られる落差である。そして生まれるのは無言の間。盛り上がり切らぬ話題の応酬は互いの興を削ぎ言葉を発する気力が消費されていくのだ。案の定、しばらくとりとめのない事を言っていくうちにミオも伊達も言葉を発することなく周りのノイズだけが聞こえるようになっていた。ミオは酒を減らしていき。伊達は更に残る料理を摘まんでいく。互いに手持無沙汰で、空気が淀んでいるようだった。





「……伊達さんはどうしたらいいと思いますか?」


「え?」




 沈黙が続く中、ミオがふいにそんな事を呟いた。




「どうしたらとは、何についてですか?」


「……」


「鳳さん?」



 ミオは語らなかった。自分から聞いておいて返答を無視するなど礼を失する行いではあるが、深刻な姿にそんな事は忘れ去られる。いつの間にか消えていた彼女の笑顔。酒ばかりが進む中でなにがあったのか、伊達には分かりかねる様子だった。



「どうしたんですか? 飲み過ぎましたか?」


「……」


「鳳さん」


「……」



 ミオの口は噤まれたまま、時が過ぎる。淀んでいた空気が汚泥のように重々しく、粘着性を持ち始めた。伊達は困惑に暮れ冷や汗を出しながら「鳳さん」と呼びかけるもやはり返事はない。なにがどうしたのか、自分が下手な事を言ってしまったのかと思っているだろう瞬間、ミオは伊達の方を見据えて、ようやく口を開いた。



「あ、すみません、ちょっと寝ちゃっていました」


「え?」


「よくあるんですよ。お酒飲みすぎちゃって。駄目ですね。私」


「あ、あぁ……そうなんですか……」


「ちょっと、羽目外し過ぎちゃいましたね。今日はこれでお開きにしましょうか」


「……はい」




 伊達は彼女が決して眠ってなどいない事を知っていた。ミオが最後に見せた表情は、それまでの彼女とはかけ離れて、酷く、陰鬱だった。だが、それを口に出す勇気は彼になかっただろう。彼の傍らに置かれたメーカーズマークは、一口も飲まれなかった。

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