醜い人2
ミオは植木の家の中、破れた障子を探して周った。物はないものの所々汚れており衛生環境芳しくなく思わず眉を潜める。だが決して文句など口にせず探索を続け、ようやく該当の障子を見つけると、彼女は丁寧にそれを外して玄関を経由し、植木宅の裏側、納屋の前に運んだのだった。
「あ、結構大きいんですね。大丈夫ですか?」
納屋には既に伊達がいて、手持無沙汰に立っていた。烏除けにならない案山子である。
「慣れたものですよ。それより、早く始めちゃいましょう。時間がないですからね」
「障子の張替えって、どれくらいかかるものなんですか?」
「そうですね。正味二時間といったところでしょうか」
「え、そんなに?」
「紙を剥がす。枠を洗う。乾かす。糊を縫って紙を張り付ける。そしてまた乾かすという工程を踏むんです。そりゃ時間もかかりますよ。本来なら数日に渡って作業するんですが、本日は一枚かつ長居もできないので簡易な方法でやっていきましょう」
「簡易な方法といわれましても、僕はさっぱり分からないのですが」
「ちゃんと教えますから大丈夫ですよ」
ミオは喋りながら納屋に入り必要な道具を持ち出してきた。バケツ、ハケ、ブルーシート、糊、雑巾、紙。全て真新しく使われた形跡がない、
「これ、去年私が用意してそのままなんですよ。取ってあってよかった」
「あ、こんなのでも経費出るんですね」
「いいえ? 自腹ですよ?」
「え?」
「私が車を出して、向こうにあるスーパーで買ってきたんですよ」
「自費でですか?」
「そう言っているじゃないですか」
「……」
唖然とする伊達を余所にミオはテキパキと準備を始めていった。水を張ったバケツにハケを浸し、障子を綺麗に濡らしていく。
「どうして、そこまでするんですか?」
その様子をただ眺めている伊達が不満を露わにして、抗議するように疑問を口にする。伊達らしからぬ、敬意を持った人間への怒気を含んだ疑問。並の人間なら心が揺れ、彼の感情に合わせた応対をするだろうが、ミオはいつも通りの口調で答えるのだった。
「さっきも言ったじゃないですか。困っている人がいたら助けるのが私達の仕事なんですよ」
「でも、こんなのただの奴隷じゃないですか。必要のない家の手伝いをして、自腹で道具まで揃えて、そこまでする義理なんてないじゃないですか」
伊達の感情は昂ぶりを見せていた。慣れない怒りに身を任せ、口を震わせながら不条理への反逆を試みているのである。それは彼がかつて経験した事のない、踏み込んだ世界だった。人の顔色を眺めてばかりいた人生からは考えられない境地である。
「伊達さん、仰っている事もお気持ちも分かるんですけど、そんなに悪い事じゃないんですよ、こういうのって。むしろ、私は好きです」
「こんな事のなにが好きなんですか?」
「人の役に立つって、楽しいじゃないですか。自分は誰かのために必要なんだって思うと、それだけで人生が楽しくなりますよ」
「……」
「そういう仕事をしたいから、私はこの会社に入ったんです。困っている人や、助けを求めている人に対して手を差し伸べて、より多くの人に幸せになってもらいたいって」
「……」
ミオは笑顔のままだった。いつもの笑顔でそう言った。しかしコンビニで「いつだって、楽しいですよ」と述べていた時と同じようにどこか痛々しく、言い聞かせているようにも見える。
「……手伝います」
「あ、よろしくお願いします。じゃあ、紙を剥がしていくので、障子を持っていてください」
伊達はそれ以上の追及を避けた。いや、聞けなかったのかもしれない。ミオの心の奥に潜む何かに触れそうになったのを感じ、一歩退いたようにも思える。
この時彼が見ていたのはミオの顔だった。満面の笑みで笑う、不細工な女の顔面だった、彼は確かに彼女の醜い目鼻立ちを眺め、距離を取ったのだった。もしミオがヒメのように傾国の麗人であったならどうだろう。これ幸いと距離を詰め、彼女の本心を聞き出そうと寄り添ったかもしれない。たらればに意味はなく、すべて無価値かつ虚無でしかないのだが、そうならなかったのは、やはり……
「伊達さん」
「あ、はい」
「伊達さんは、生きるのが辛いなって思う時ありますか?」
「え?」
唐突な質問に戸惑う伊達、彼はうんと考え、「どうでしょう」とお茶を濁した。
「もし、苦しくて辛い時に一人だったらって考えると、少しだけ胸が痛くなるんですよ。周りの人が誰も助けてくれず、ずっと一人で抱え込んで、どうしようもないまま時間だけが過ぎて……そんな風になったら、私はどうなっちゃうのか。もしかしたら死んじゃうかもしれない」
「はぁ……」
「もし私が苦しくなったら、伊達さんは私を助けてくれますか?」
「あ、えっと……」
伊達は口籠った。視線が自然とミオの顔へと向かい、答えが出せない。
「……!」
二人の視線が重なり、伊達は思わず目を逸らす。心にあるのは罪悪感か、それとも危機感か。いずれにせよ前向きな心情ではないだろう。
「ま、私がそんな風になる事はないんですけどね」
「あ、そ、そうですよね」
ミオは全てを察した様に明るく振る舞い、いつものように朗らかな表情で笑った。それはいつも見る、いつも聞く、誰もが知っている、鳳ミオだった。
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