拝聴3

「そうそうミオちゃん」



 ひとしきり笑った後、岩井が改まってミオの名を呼ぶ。



「これは話し半分で聞いてほしいんやけども、ウチの畑、売れんかね」


「え……」


「俺ももう歳やし、どんだけ畑仕事を続けられるか分からん。今のうちに処分しておかんと、子供らの負担にもなるし」


「お子さんは、戻ってこられませんか」



 ミオは、それが愚問であると知りながらあえて口に出した。



「戻ってきてくれたらええけどね。ただ、都会に行った子は中々難しいよ。みんなビルの中に入って、綺麗なところで働きたいもんやから。今更、毎日泥土に汚れて、虫と一緒に働く仕事なんてしたがらんのよ。この辺りには遊ぶ場所もないし……」



 岩井の代わりにチヨが述べた言葉は、ミオが何度も聞いてきたものだった。

 彼女はこの集落を出ていった若者と幾度となく話をしている。それは就職説明の場であったり、職場であったり、取引先だったりと様々だが、皆一様に、「田舎の仕事はしたくない」というのだ。都会に憧れ、ビルに憧れ、マンションに憧れ……それまでフィクションの中でしか見た事のなかった世界で生きたいと願い、住んでいた土地から去って人混み著しい世界へと足を踏み入れる。ミオは、そうした人間を何人も見てきた。彼らの中で描かれる幻想の都は苛烈に光り輝き、目に映る現実を灰色に染めるのである。



「都会の生活もええけども、じゃあ、あんたらが食っとる飯は誰が作っとるんやと。着とる服は、住んどる家の素材はどこから来とるんやと。今の子は生きていくのに必要なものを全部他人に任せとるね。どうやって生きているのか、当たり前すぎて考える事もないんやろうね」



 そう零した岩井の愚痴は極端でもあった。老人というのは得てして自身の経験の中で培ってきたエビデンスのない論拠をさも定説であるかのように語るものだ(この一節自体もエビデンスなどないのだが)。しかし、実際一次産業における若者の就農率は低い水準で横這いとなっており、労働力の向上は現状見られていない。どこも人手が不足して中、グリーングローブ市のような僻地であればなおの事人は集まらないのだ。



「話がそれちまったけどもね。なんとかして死ぬ前に土地を処分したいんや。それこそさっき言っとったみたいに若い子がきてくれるのなら家ごと使ってもらってもかまわん。なんぞ手があったらミオちゃん、教えてくれんかね」


「……分かりました。お約束はできませんが、可能な範囲でお手伝いいたします」


「本当かい? いいのかい?」


「はい。ただ、もし難しかったらすみません」


「いや、そんな事はいいんだ。どの道こっちじゃなんともならんもんだからね。いや、ごめんね、こんな我儘に突き合わせてしまって。もし無理なら無理でかまわないから」


「できる限りの事はさせていただきます。市町村や組織的に農業経営をしている方に話をしてみますね」


「ありがとうねぇ。私達がやらなあかん事やけど、この歳だと、もうしんどくて……」


「農地売買は難しいですからね……この件、一旦私が扱いますので、もし他の方からそういうお話しあったらご連絡ください。最近は詐欺なんかも増えているので」


「ミオちゃん以外には任せんよこんな話。それに、詐欺に引っかかるような間抜けはせぇへん」


「そんな事言ってあんたこの前、還付金が貰える―って騒いどったやないの」


「あれは手口が巧妙やったからしゃあない」


「みぃんな分かってたのに、あんただけやったよ、浮かれとったの」



「……」


 

 岩井はバツが悪そうにして胡坐を崩して顔を背け、縁側の方を向いた。外は太陽の色が濃く、夜の前、最後の輝きを見せていた。水戸と伊達は長居できない時間である。



「それじゃあすみません。そろそろ……」


「もう行っちゃうのかい? もっとゆっくりしていきなよミオちゃん。なんなら泊っていってもええし」


「すみません。明日も仕事がありまして、後、植木さんと柏木さんのところに行かないといけないので」


「植木と柏木? あの爺らのところなんて行ってどうすんのよろくでもない。タダであれやれこれやれって言われるだけやで。やめときんさいよ」


「せっかくお話を伺うチャンスなので。あと、伊達さんにも見てもらいたいところがまだありますから、ねぇ? 伊達さん」


「は、はい」




 伊達は取り繕って姿勢を正したが、スーツの皺が気の緩みを物語っていた。ミオは心ここに在らずな状態の彼を見逃さず、あえて名を出したのだ。



「どこ行っても田んぼと畑しかないから若い人が見てもなぁんも面白くないでしょう。兄さんも、ねぇ」


「あ、そんな事ないですよ。あまり自然に馴染みがないので」


「そぉお? でも、すぐ飽きちゃうでねぇあんなもん。私も子供の頃は綺麗だなぁなんて思っとったけど、年取るにつれてそれが当たり前になっちゃて」


「そうなんですね」


「そうなんですよ」



 チヨは揶揄うようにして伊達の口調を真似たが、一瞬、悲し気な顔になる。



「でも、合併しちゃってねぇ。あん時からしばらく、なんだか自分の住んでるところが違う場所に感じられちゃって、急に今まで見えていた景色がまた綺麗に見え始めたんやから、現金なもんやねぇ」


「……」




 チヨの言葉は重く、寂しい物だった。そこにいる誰もが何も言えず、苦しい沈黙が流れるばかりで、部屋の中に差し込む太陽の光だけが強く象徴的だった。

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